なぜデザイナーはユーザーを怠惰だと感じるのか:
人間の3つの振る舞い

ユーザーのことを怠惰だとか、ちょっと間抜けなどと思ったことはないだろうか。デバイス慣性や慣性的行動、選択的注意といったよくある振る舞いによって、ユーザーが怠けているように見えてしまう。しかし、ユーザーがエラーを起こしやすい経路をたどる真の要因は、ユーザーの努力不足ではなく、インタフェースのデザインにあるのだ。

自分たちのデザインに対してユーザーがうまくいってないのを実際、目にすると、我々は通常、ユーザビリティを良くするため、インタフェースを改善しようとする。しかし、ユーザビリティテストを見ていて、ユーザーのせいにし、彼らのことを「不適切なタイプの顧客」とか、もっとひどいときには「鈍臭い」などと言ってしまったことはないだろうか。私が聞いたことのあるユーザーに付けられたレッテルの中の非常に無礼なものの1つが、「怠惰」だ。デザインとしてはユーザーの必要なものをなにもかも提供しているのに、なぜ彼らはいつも間違ったやり方でタスクをやるのか、というわけだ。「もう少し読んで、もう少しスクロールし、もう少し機能を調べる」ことさえすれば、「正しい」やり方が見つかるだろうに、と。

しかし、ユーザーを責める前に彼らの行動の背景にある理由を理解しようと努力したほうがよい。そうすれば、人間の自然な振る舞いに合ったデザインを作り出すことができるようになる。特に、よく見られる以下の3つのユーザー振る舞いには気をつけよう。こうした振る舞いによってユーザーは怠け者のように見えてしまうが、実際にはそれらこそが人間の効率的振る舞いの代表的事例であり、我々はそれに向けてデザインをする必要があるからである:

  1. デバイス慣性(Device inertia
  2. 慣性的振る舞い(Momentum behavior
  3. 選択的注意(Selective attention

ユーザーは努力が最小限ですむ経路を選ぶ傾向にある。そして、上に挙げた振る舞いはどれも、もっと良い行動を取ることによるユーザーの知覚便益がそうしたときの知覚コストに比べるとあまりに小さいという状況の典型だ。このような行動から外れた他の経路は非効率なものなので(ユーザーの努力という観点からみると負担が大きすぎる)、選ぶ価値は無いというわけだ。また、そうした代替経路が単にユーザーには発見しにくかったり、表示されてない場合もある。

デバイス慣性

数年前のことだが、私はリビングのソファに婚約者と座って、お互いのスマートフォンを利用し、家のリフォームのための床材を見ていた。そのとき、我々はいくつかのUXの問題に直面した。たとえば、木目をよく見ることはできなかったし、いいと思った床のタイプを表示するためのフィルターには苦労したし、ウィンドウが1つしか出せない小さな画面という環境では選択したもの同士を比較するのもたいへんだった。そうした問題が出るたびに、私は自分のiPhoneの3インチ画面をスワイプして、見つめながら、「これはパソコンに行ってやるべきよ」とSteveに言ったのだが、彼は彼で、「確かにね」と答えながらも、自分の携帯電話を見て、木材見本の画像をピンチアウト(ピンチオープン)し続けていた。こうしたやり取りが20回はあったに違いない。その間、1メーター弱しか離れてないテーブルの上にはフル充電されたタブレットが2台待機していたし、すぐ2部屋先には32インチモニターにつながった高速のノートブック2台も準備万端な状態にあったのだが。

私はSteveに自分たちの「デバイス慣性」にはうんざりすると言ったものだ。だが、以来、私はこの用語をこうした振る舞いを指すものとして使っている。デバイス慣性が発生するのはユーザーが複数のデバイスを利用可能なのに、他のデバイスのほうが目の前のタスクにはずっと適している可能性があっても、その時点で使っているデバイスを利用し続ける場合である。

デバイス慣性の主な原因になるのは、前に述べたように、知覚コストが知覚便益に比べると大きすぎることだ。大きな画面に切り替えることの知覚便益はより大きな画像が見られるようになり、比較しやすくなることである。しかし、別のデバイスのところに行って、目的のサイトまで移動し、そのサイトでもう一度調べるという知覚コストがかかるため、デバイス慣性に陥っているユーザーはそうした労力がかかることにおじけづいてしまうのである。

使う時間と労力に対して、今後どのくらいの時間と労力を節約できるかを、ユーザーがきっちりと計算して、比較したなら、かなりの量で追加されることになる新たな利用状況すべてに最適なデバイスに移ろう、という結論になるだろう。しかし、残るインタラクションをあと1つだけと仮に決めてしまうと、この計算の結果は今のデバイスを使い続けるというものになる。そして、ほとんどの人はすぐ先のことまでしか考えられないものだ。つまり、直感で操作し続けられる限り、1ステップ先のことにしか目を向けないというのが人間に備わっている性向なのだ。というわけで、ユーザーはその時点で使っているデバイスに固執するのである。

携帯電話とコンピュータがライバルなのは明らかだが、デバイス慣性が発生する機会は他にもいろいろとある。1つ思い出すのは、何年も前に実施したアクセシビリティ調査で対象者だった脳性まひのユーザーのことである。身体の細かい運動を制御する彼の能力は限られたものだったので、コンピュータのカーソルを遠く離れたところに動かすのに、彼はマウスの側面をタップしていた。そうすれば、カーソルが彼の望む場所の近くに素早く移動するからだ。しかし、特定のリンクや画像のような画面上の非常に限定された場所にカーソルを移動させるのには、彼はキーボードの矢印キーを利用していた。調査中、彼はこうしたアクションを何度も行っていた。ピシャリとマウスを叩き、矢印キーをタップ、タップ、タップ。また、ピシャリとマウスを叩き、矢印キーをタップ、タップ、タップ。さらにピシャリとマウスを叩き、矢印キーをタップ、タップ、タップ、という感じだ。しかし、指がすでに矢印キーの上にあるのに、次にやりたいアクションのためにカーソルを遠くまで動かすのが必要な場合には、彼はマウスをタップするのではなく、矢印キーを使い続けた。マウスのほうがカーソルを速く動かせるし、楽なのだが、そのかわりに彼が選択したのは、矢印キーをタップ、タップ、タップ、タップ、タップ、タップ、タップ、タップ…とすることだった。理由はなぜか。それは多分彼がすでにキーボードを利用中で、デバイスを切り替えることのほうが、今のやり方をただ続けることよりも労力が要るように思えたからだろう。

なお、デバイス慣性が起こるのはテクノロジー関連だけとは限らない。キッチンで料理していて、卵を泡立てるのにフォークを使ったら、その同じフォークを使って、フライパンで揚げている魚をひっくり返そうとするものだ。壁にかかっているフライ返しのほうが道具としては魚をひっくり返すのには向いているのだが、すでに手にフォークを持っているからだ。また、庭で花を植えるのに小さなスコップで穴を掘っていたとき、根の深い雑草に出くわしても、草抜きに手を伸ばすかわりに、その小さなスコップでなんとかしようとするだろう。

慣性的振る舞い

Lotus DevelopmentのFreelance Graphicsプレゼンテーションパッケージのデザインチームで働いていたとき(大学を卒業後の私の最初の仕事だ)、同じく、当時、大学を卒業したばかりの友達にこのソフトの使い方を教えたことが思い出される。彼女はボストンの大きな会計事務所で公認会計士として働いていて、Freelanceを使っていたのだ。デザインチームに持ち帰れるような提案を彼女はよくしてくれたものだ。たとえば、「なんでユーザーが背景としてロゴを入れられるようにしないの?」とか、「おすすめの色にはない色も選べるといいかも」といった感じで。ほぼすべての彼女のアイデアはこのソフトウェアの機能にすでにあるものだったので、我々はそれらをUIの中でより発見しやすくする作業をしていた。しかし、彼女は、その間に、我々のやり方とは違う、煩雑な、最善ではないタスクのやり方を見つけ出していた。たとえば、スライドに背景を追加するのではなく、スライドの1枚1枚にロゴを入れて、それを最背面に移動させていた。また、「カスタム色」から色を選ぶかわりに、「基本色」のパレットから最も近い色を選んでもいた。こうした解決策には欠陥がある。それではシステムが提供できる、あるいはこのユーザーが望んでいることに対する最良のアウトプットは絶対に得られないし、本来、そのUIで選択可能だった最善の経路に比べると、ユーザーの時間と労力が余分にかかってしまう。

ここで、私の友達が非常に知的な人であり、怠惰でもないことははっきりさせておきたい。けれども彼女は自分で発見した最善ではないやり方に固執した。その理由とは:

  • それが彼女が最初に見つけたやり方だった。
  • タスクを達成するためのもっと優れたあるいは容易なやり方がソフトウェア側から提供されるとは思ってなかった。
  • そのやり方で問題なくうまくいった。

最善ではないアプローチを使い続けるのは、「慣性的振る舞い」の一例だ。私は長年にわたって、ユーザーがデザインを利用するところを観察し、さまざまな慣性的振る舞いの事例を見てきた。我々の著書「Eyetracking Web Usability」では、慣性的振る舞いを次のように説明している:

「慣性的振る舞いが発生するのは、ユーザーが自分にとって役に立つ選択肢を目にしているのに実際には選ばない場合だ。なぜならば、彼らは自分の取る経路をすでに選択していて、それに固執しているからだ。選択の直後であっても、ユーザーは自分の選んだルートに疑問を持たなくなり、他のインタフェース要素に気付かなくなるのである。

慣性的振る舞いは、インタフェースにユーザーがそれを必要とするときに彼らを引きつけるほどの力がない箇所がある場合に発生することもある。つまり、名前かスタイル、配置がユーザーが取るべき経路に彼らを引きつけるには十分ではないような場合である。また、慣性的振る舞いの原因には、ユーザーは常に最短ルートを探しているわけではないというのもある。彼らはタスクを終わらせるためだけなら、いわゆる「最善でない経路」も取ろうとする。そうすることで彼らの経路があっちこっち行く観光ルートのようになってしまうとしても、だ。もっといいルートがあるかもしれないという意識があったとしても、それは見つけられないだろう、あるいは、時間がかかりすぎるので試せないだろう、と彼らは思っているのである」。

慣性的振る舞いも、知覚便益が低いのに知覚コストが高いという例の1つだ。こうした状況では、時間をかけてインタフェースを探索し、新しい手順を学習することのほうが(つまり、知覚コストのほうが)、すでに知っている手順をとおして数秒、節約するより、はるかにたいへんだとユーザーにはわかっているのである。

選択的注意

選択的注意」は昔から知られている人間の振る舞いの1つで、人は特定のオブジェクトに集中すると、関係ないと思ったそれ以外の情報は無視するというものだ。たとえば、テーブル同士が非常に近い騒々しいレストランにいると想像してみよう。隣のテーブルの会話をはっきりと聞き取ることも可能なのに、我々はそうした音は無視して、自分の食事相手の話だけを聞き取っている。また、携帯電話のアプリで天気をチェックしているときには、意図的に動画広告から目をそらし、気温や太陽と雲の画像に焦点を合わせているものだ。

デザインや状況、個々のユーザー、過去の経験によって、画面のある特定の要素(有益なものもあれば、役に立たないものもある)が無視されることになる。その結果、選択的注意はユーザーにとっては役に立つこともあるが、有害にもなる。

ユーザーがニュースサイトでニュースを読んでいるところを想像してみてほしい。彼女はある記事に非常に集中していたので、トップにあるナビゲーションにはまったく目がいってない。しかし、このシナリオではナビゲーションを無視しても、このユーザーには害はない。他に移動する必要がないからだ。しかし、この同じユーザーがそのトピックに非常に興味をもってしまい、他の記事も読みたくなって、記事の最後にある「この記者の他の記事」の情報に集中しすぎてしまうと、ページの一番下に出ている「関連リンク」が目に入らなくなる。この最後の状況が、選択的注意がユーザーに損害を与える例である。

選択的注意も費用便益分析にもとづいていると言えるが、この振る舞いはどちらかというと人間の性質により根差したものであり、進化によってもたらされたのではないかと考えられる。というのも、人は絶えず、大量の刺激にさらされているので、その1つ1つに注意を払うのは非常に非効率だからだ。たとえば、マンハッタンで道路を横断しているとき、人や車をやり過ごしながら、ファッショニスタたち(訳注:ファッションに敏感な人。ファッション誌系の用語)の着ているものや、ごみ箱から漂う臭いにも平等に注意を向けてしまうと、速く動けず、自分の方に急接近してくるその黄色いタクシーをよけられないこともあるだろう。何をおいてもまずは重要な刺激に注意を向けるようにし、以前、遭遇したときに、それほど脅威がない、あるいはおもしろくないとわかってしまった刺激は無視するように人間は学習してきたのである。

我々は過去の経験から、Webではバナーやナビゲーションメニュー、検索などのクロームはページの上部に出ていることが多いと学習してきた。その結果、バナーや広告のように見えるものは無視しがちだ。ただし、お買い得品やおすすめ商品を具体的に探していて、そうしたコンテンツがあると思われるエリアに注目している場合は別だが。

Webデザイナーのための解決方法

ユーザーがデバイス慣性や、慣性的振る舞い、選択的注意の犠牲になって、失敗してしまうことを防ぐのに役立つ戦略が以下である:

何よりもまずは、ユーザーを怠け者と決めつけるかわりに、最善のデザインソリューションを探ろう。人類の進化は百万年かけて、我々の今のユーザーを作り出してきたのだ。したがって、あなた方のアプリやWebサイトを扱っているからというだけで、そうしたユーザーがメンタルリソースの配分方法を急に変えるということは、まずないだろう。

人間の振る舞いがWebの利用にどのような影響を与えるかについて、さらに詳しく知るには、我々の1日トレーニングコース「人の心とユーザビリティ」の受講を検討してみてほしい。