インタラクションの待ち時間

ユーザの期待と利用状況とをきちんと把握すれば、インタラクティブシステムの応答時間を適切にデザインし最適化することは不可能ではないだろう。UXDは、こうした時間制御のデザインをも含んでいるのだ。

  • 黒須教授
  • 2015年9月2日

不応期と応答期

神経には不応期というものがある。これは、神経細胞が興奮して活動電位が発生した場合、その後、短い時間、続けて刺激を与えても神経細胞が反応しなくなる時間のことである。その機能的な意味としては、神経細胞が興奮した情報を一定の方向にだけ伝達し、逆方向には伝えないようにブロックするためのものと考えられている。

さて今回は、不応期の逆で、対話型システムが応答するまで待っている時間、それを応答期と呼んでもいいかもしれないが、そのことについて考えたい。

人間の場合の応答期と待ち時間

人間という高度な生体システムも対話型システムのひとつである。ちょっと道を聞こうと信号待ちをしている隣の人に尋ねた場合、相手が無言で数秒がたってしまったら、ちょっと変わった人だなと思いつつも、これは脈がないと諦めるだろう。会話をしていても、1分、いや30秒くらいでも、相手が無言でいたら、何かまずいことを言ったのかな、と少し不安になるだろう。どちらも日常的に応答期と考えている時間を超えてしまった場合の話だ。

待ち時間という言い方をすると、もっと多くの場面を思いつく。たとえばグループで食事に行こうとしているとき、連絡なしに遅れてしまった人を何分くらい待つかという場合がある。二人で待ち合わせをしている時は(僕は1時間までなら待ったことがあるが)、多分一般的には30分くらいが許容限だろう。

グループの待ち合わせの場合だと、15分から20分くらいかもしれない。ミーティングでの遅刻者に対しては、関係者がその場を離れてしまわないため、もう少し厳しい基準になる。司会担当者が遅れてしまうのは仕方ないにしても、一般参加者の場合には時刻になったので、と定刻に開始されてしまうことが多いだろう。

書類の提出期限や原稿の締め切りなども待ち時間の例だ。大抵の場合、どちらも若干は、恐らく一週間程度の遅れまでなら認められるだろうが、最近では学会でも受付サイトを閉じてしまうという厳しいケースが増えてきた。入学書類など、大学の事務が学生にとる対応も厳しいものになっている。

人工物の場合の応答期と待ち時間

さて、人間に関する話はそれくらいにして、人工物、特に機器の場合を考えてみると、そこには応答期のあるものと、ないものがある。応答期があるものとは、一定の応答期、つまり待ち時間の間にこちらが何か操作をすればそれに応えてくれるが、それを超えてしまうと、元の状態に戻るか、デフォルトの設定で処理を継続してしまうというものだ。応答期がないものとは、その反対に、いつまでも人間の操作を待っていて、どのくらい時間が経過しようとも何か人間が操作をすれば、その瞬間、それに応答してくれるというものだ。

応答期のあるものは、パソコンのアプリケーションなどに見ることができる。余計な話だが、良く分からないのは、ウェブサイトで「30秒しても画面が変わらなければ、ここをクリックしてください」というようなものだ。すぐに新しいURLに飛ばしてしまっても不都合があるのか分からない。パソコンの画面の消灯や電源のオフについては、待ち時間の長さをユーザが設定することができるが、やはり応答期に関わるものである。多くの場合、それは節電や機器の消耗の防止という目的のためだろう。

待ち時間という意味では、ホテルの室内電源が、カードキーをホルダーから取り出した後、10秒程度経過すると自動的に切れてしまう例をあげることができる。消したくなければ、またカードを入れればいい。パソコン充電中に部屋を出るような場合、以前はカードキーでない別のカードを挿しておくなどということをしたことがある。ただ、最近はカードキーにICが入っているので、カードキーでないと認識してくれないことが多い。

エレベータの扉の開閉も待ち時間の例だろう。気の早い人が増えたせいか「閉じるボタン」が押されることも多くなったが、それを押さなくても一定の時間が経つとドアは閉まるようになっている。自動ドアも同様だ。CDなどのメディアを扱う機器の場合は、オートシャットオフという形で、演奏や上映が終了して一定時間が経つと、電源がオフになるものが多い。

反対に、パソコンのソフトウェアでは、ユーザの次の操作をずっと待ち続けているものが多い。また機器の電源スイッチ関連のものは、ユーザが操作しなければ何も状態が変化しないというものが殆どだ。電子レンジや洗濯機、天井燈など、同様の機器は種類が多い。

応答期や待ち時間の設定が不適切な場合

では、応答期や待ち時間の有無やその長さの設定は、現在ではもう基本的に最適化されているかというと、必ずしもそうではない。

人間の場合

人間の場合、学会の質疑の時間とか論文審査会議の時間などがひとつの例だ。学会発表や論文審査会議は時間を設定せずに延々と続けてしまうと関係者にも差し障りがでるから、それなりの時間に限定されている。それはまあ仕方ないだろう。しかし、後になってから発表や論文内容に疑問が生じることもある。僕のように頭の回転がスロー(だが、適切な判断はできると思っている)な人間の場合は特に困る。その場合、どうしたらいいのか。現在の学会や論文審査というシステムの仕組みはそれを適切に処理しきれていない。時間内に質問がなければそれで終了、である。

しかし、内容をきちんと吟味することが目的なら、たとえば時間を延長するのではなく、発表や審査に先立つ形で内容を公開しておくことだ。あらかじめ発表内容や論文の内容を公開し、意見のある人がじっくり考えて適切な質疑を行えるようにする。これならできないことではないだろう。特に学位審査などの場合、締め切り時間に追われて、議論が不十分になってしまっては、審査結果の妥当性にも関わってくる。何らかの改善をすべきところだろう。

製品の場合

人工物でも応答期の設定が不適切なものがある。CDやDVDなどのプレーヤにはレジューム機能が付いていて、一時停止をしたまま放置したりしておくとオートシャットオフで電源は切れてしまうが、改めて電源を入れて再生すると、止まった箇所から再生してくれるのは常識になっているかと思っていた。しかし先日購入した某有名メーカー製のミニステレオはそうなっていなかった。だから途中で一時停止したときは、ちょっと時間がたってしまうと最初から聞き直さなければならなかった。

反対に、結構時間のかかるソフトウェアのインストールで、スタートボタンを押し、あとは自動的に完了するだろうとコーヒーでも飲みに行ってしまった時に、インストール処理の途中で応答待ちになっていて、つまり応答期がなくユーザ入力をずっと待っている状態が続いていて、パソコンに戻って来たらまだ完了していなかったこともある。デフォルトでやってくれていいのにと思ったが、それからはずっとパソコンの前に座ることにした。

サービスの場合

製品でなくサービスでも同様のことがある。飲食店での注文について、注文端末を導入したチェーン店が増えてきたが、あれはユーザの望むタイミングで対話処理ができるからそれなりにいいと思う。しかしそうした端末のない場合、ある程度の時間が経過したら「ご注文はお決まりでしょうか」といった形でに聞きに来ることが望ましいだろう。客の存在を店員が忘れてしまうのは論外だが、もしかして忘れられてしまったのではと客に感じさせてしまうようなサービスは問題である。

ただ、客というものはわがままである。時として適切に構って欲しいと思ったり、時には構って欲しくないと思ったりする。目の肥えた店員なら、そのあたりを察知できるのだろうが、マニュアル通りに動いてしまう店員にはそうした対応は望めない。

ユーザの期待と利用状況に合わせて、応答時間の最適化を

インタラクティブシステムの応答時間を適切にデザインするのは難しいことではあるが、ユーザの期待と利用状況とをきちんと把握すれば多くの場合、その最適化は不可能なことではないだろう。UXDというのは、こうした時間制御のデザインをも含んでいるのだと思う。

編集部注

ニールセン博士のAlertboxにも、ユーザーとインタラクティブシステムにまつわる時間についてのコラムがあります:

  • 10の累乗: ユーザーエクスペリエンスにおける時間スケール
    ユーザーインタフェースのデザインには0.1秒から10年以上まで数多くの異なる時間枠があり、そこには各々、固有のユーザビリティの論点がある。
  • Webサイトの応答時間
    今日、ページのレンダリングが遅くなってしまうのは、サーバーの遅延や凝りすぎたページウィジェットが原因であることが多く、大きな画像のためではない。ユーザーが遅いサイトを嫌うことは相変わらずで、彼らは遠慮なくそれを言ってくる。