インターネットのせいで人は孤独になるのか?

インターネットが社会に与えた影響を議論する際、用語やコンセプトに関する産業時代の定義に惑わされないことが重要である。

インターネット経済において、コンセプトがどのように変化したかを理解しておくことは重要だ。スタンフォード社会計量研究所(Stanford Institute for the Quantitative Study of Society)から発表された新しい調査結果をめぐる議論は、この重要性をさらに強調している(※下記の調査データと報道資料を参照)。基本的にこの調査結果では、インターネットが社会的孤立を引き起こし、仕事の負担を増やしたと言っている。

この調査には、いくつかの方法論的な弱点がある。最も重要なのは、インターネットの影響力を研究する方法として、サーベイ調査は向いていないということである。あなた自身の行動がどう変わったか報告してください、と単純に人にたずねるわけにはいかない。時間の使い方を把握するのはとてもむずかしい、ということは良く知られている。過去を振り返って報告するように言われたとき、人間は自分の行動を合理化しがちなのである。

第二に、たとえ回答者の言っていることを信頼するとしても(本来そうすべきではないが)、そこで得られた数字がまた信用できない。例えば、インターネットのヘビーユーザーのうち、屋外で行われるイベントへの参加が減ったと回答した人は13%。同じくテレビを見る時間が減ったと答えた人は65%に上る。しかし、屋外イベントへの参加がどれくらい減ったというのだろう?1年に野球を1回見に行くくらい?それとも1週間に1回?あるいは、テレビを見る時間がどれくらい減ったというのだろう?1日に1分?1時間?あいまいな回答の裏に、どれほどの真実が隠されているかによって、インターネットがもたらす影響力の解釈は明らかに異なってくるのである。

社会的孤立

この調査では、人々がインターネットに時間を費やす時間が増えるほど、他人とのコミュニケーションをとらなくなるということがわかった。特に、ヘビーユーザーの27%が電話で家族や友人との会話する時間が少なくなったと言っている。また15%は、友人や家族とともに過ごす時間が減ったと回答しており、さらに13%は、屋外でのイベントに参加する時間が減ったと報告している。

友人や家族と過ごす時間は減ったと言っていないヘビーインターネットユーザが85%もいるという事実はさておき、この調査にあたって社会的孤立の定義が正しかったかどうかが本当の疑問だ。

どうして電話の方が優れた社会的交流の形態だといえるのだろう。それはインターネットとそれを利用したコミュニケーションの形態よりも優れているのだろうか。たとえば電子メールやディスカショングループ、あるいはあなたの孫が描いた新しい絵をホームページでチェックしたりすることよりも。

もしも同様の調査が100年前に行われていたら、お茶を飲みに友人宅を訪ねたりするような伝統的社会交流の形態に比べると、電話は冷たいメディアだという主張がなされたに違いない。

インターネットの影響を評価するとき、問題なのは、インターネットが(全体的に、あるいは部分的に)他のコミュニケーションや社会的接触の形態に取って代わるかどうかということではない。なぜなら、インターネットは、独自のコミュニケーション、社会的接触の形を新たに追加するものだからである。例えば、ミーティングに出席したり、屋外イベントに参加する機会が減っても、一方では、別の人たちとのコミュニティーでは、もっと頻繁にオンラインで「会って」いると感じることがありうるのである。

問題は、その新しいライフスタイルが楽しいかどうかであり、それが人間にとって有益か、有害かということなのである。中には、チャットルームやロールプレイングにはまってしまう人が出る危険は確かにあるだろう。だが、この問題を扱うには、違った種類の調査が必要だ。

仕事が家庭を侵略

調査結果によると、ヘビーインターネットユーザーの28%は、家庭で働く時間が増えたと答えている(この28%のうち、さらに12%は、オフィスでの労働時間も増えたと報告している)。このことをもって、家庭のプライバシーを仕事が侵害している証拠だと非難されている。

だが、仕事生活と家庭生活を一体化させて、どこが悪いというのだろう?反対に、特定の場所を「オフィス」と決めて、どんな仕事もそこ以外でやってはいけないという方が、人間の本質から逸脱した偏った見方だ、ということもできるのである。人間の歴史のうち、ほとんどの時代で、人々は仕事と生活を同じ場所で行い、労働と余暇は絡み合っていた。現在の私たちが仕事を日常生活と切り離して考えるようになったのも、T型フォードを生産するためには、組み立てラインの作業者が中央工場に報告する必要があったからに過ぎない。産業時代のコンセプトである。

インターネット経済では、人々はすでに家庭生活を職場に持ち込み始めている。たくさんの私用メールが会社のコンピュータから送られているし、プライベートなショッピングの多くは会社のT-3回線を通じて行われている。なぜなら、現在のEコマースサイトの多くは、高速アクセスでないとストレスなしに使えないからである。

本当に問題なのは、インターネットのせいで私たちのストレスが増えるかどうかである。残念ながら、この点では、現在の電子メールシステムの悲惨なデザインを見るにつけ、インターネットにもいくらかの非があると認めざるを得ない。

しかし、インターネット以外の技術はさらに責任が重い。携帯電話、ページャー、ファックス、それにFederal Express(そう、トラックに乗ったあの連中だ!)のおかげで、私たちの生活はますますあわただしいものになり、ゆっくり物事を考え、分析する能力がどんどん衰えてきている。

デジタルデバイド

今回の調査には、大げさにとりざたされている上記2つの結果よりも、もっと信頼できるのにもかかわらず、さほど広く知られていない第3の調査結果がある。

Stanfordの報告書から引用しよう。「インターネットへのアクセス率を上下させるもっとも大きな要因は、教育水準と年齢である。収入、人種/民族、あるいは性別は、アクセス率との相関が5%以下であり、統計的に有意なものとはいえない」

デジタルデバイドについてのこの調査分析は信頼できる。人種、教育、年齢といった問題は、厳密に定義できるし、調査主体が信頼に足る機関であり(この点でStanfordの看板が役立ったのは間違いない)、回答結果が匿名で扱われるとわかっていれば、みんな安心して正確な報告をしてくれるはずだから。

さまざまな要因を分析する過程で、この調査は、インターネットアクセスを左右する条件は、主として以下の3点であることを明らかにした。

  1. 教育(大学の学位を持っている):+49%
  2. 年齢(18~25歳と、それ以上の人々):-43%
  3. 収入(高収入):+21%

この調査結果を私なりに解釈すると、デジタルデバイドとは、すなわちユーザビリティの問題だということになる。デジタルデバイドを経済問題と捕らえる政治家もいるようだが、お門違いもいいところだ。確かに、コンピュータへの出費が障壁になることも(少しは)あるだろう。だが、この第3の問題は、急速に解消しつつあり、2~3年もして、コンピュータの値段がドーナツ並になった暁には、完全になくなってしまうだろう。

しかし、年配の人がいなくなるということはない。現に、今、40代、50代の人たちには、この先、まだ長い人生が残っているのである。子供たちが難なくコンピュータを使いこなしているからといって、彼らを無視するわけにはいかない。大学教育を受けていない人についても同じことが言える。彼ら全員に対して、社会に参加するためには、まず4年間、学校へ戻れ、と強制することはできない。

答えはひとつしかない。コンピュータとインターネットを、実質的に今よりもっと簡単に使えるようにしなければならないということである。

追加文献

  • Stanford Institute for the Quantitative Study of Society (この調査のスポンサー)
    • 調査結果概要(HTMLフォーマット:オンラインでアクセスする方には、こちらを推薦)
    • (予備)報告書全文 (注意:43ページのPDF形式ファイル – 印刷にのみ適する)
  • この件に関する報道と論評から:

2000年2月20日