Slate誌 - 速報レビュー

Slateは、「まじめな」オンラインマガジンを立ち上げようとするMicrosoftの新たな試みで、編集長にはMichael Kinsleyをいただいている。Slateはオンラインメディアに合ったものになっていないために、おおむね失敗に終わっている。ただ、いくつか有望なイノベーションやうまいウェブの使い方をしているところもある。

このレビューは、Slate誌創刊号の初期体験を元に書いたものだ。実際、この号の最新記事をすべて読んだわけではない。なぜなら、それにはとうてい耐えられない出来だからだ。Slateはオンラインで読むためのデザインになっていない。特集記事は、どれもみなあまりにも長すぎる。事実、長くなる理由が見当たらないコンテンツも珍しくない。もちろん、ユーザが記事をプリントアウトすればいいだけかもしれないが、このサイトにはプリント可能なバージョンをダウンロードするオプションも用意されていない。

印刷した長い記事を読むつもりなら、The New Yorkerの方がいい。もっとコンパクト(私のプリンタから出力したものよりも光沢のある薄い用紙で、製本もしっかりしている)だし、マンガのできもいい。Slateにもマンガが掲載されているが、これはオンラインメディアにあまり適していない。単に手書きの絵をスキャンしてアンチエイリアスをかけただけもので、3階調グレーになっているから、お世辞にも魅力的とはいいがたい。幅610ピクセル、高さ849ピクセルもあるので、大型モニタを持っている人でないと作品全体を見渡すのは無理だろう。もっと予算をうまく使い、Media LabでMark Hurstがやったインタラクティブマンガのような前衛的な成果をメインストリームに持ち込むことができていればおもしろかったはずだ。

画面上で読むには長すぎるものの、記事の見せ方は、オンラインで見ることを意識したデザインになっている。HTMLテーブルをふんだんに使って複数コラムのレイアウトにしてあるのだが、これは画面上では効果が大きい。印刷物なら、紙の無駄使いと言われかねないところだ。デザインはInternet Explorerに最適化してあるそうで、HTML純粋主義者はきっと悲嘆に暮れることだろう。ウェブの現状を考えると、あまりMicrosoftを批判するわけにもいかない。少なくともフレームは使っていない。

オンラインメディアの利用

ハイパーテキストの利用はごく控えめで、テキスト本文への埋め込みリンクはまったくない。ほとんどの記事の末尾に、選び抜かれたリンクが少数、背景知識や反対意見を参照するために集めてある。だが、雑誌そのものには、非リニアな文章作法を試みようという意思は感じられない。有益なリンク集は、「他誌では」(in other Magazines)というタイトルのコラムにまとめられていて、他誌の主要記事や、そのオンライン版へのリンクが集めてある。Slateの中には、オンラインメディアの目新しい使い方はわずかしかないが、このコラムはそのひとつである。他誌についてのコメントは、クリックひとつでターゲットを参照できれば、なおさら興味が深まるに違いない。また、Slateでは、配信が即時に行われるメリットを生かして、他の雑誌が購読者の手に渡る前にその予告を掲載したりもしている。

Slateには、オンラインメディアの利用法として従来の雑誌を超えると思わせる点が、他にも2つある。第1に、記事を豊かにするために、うまくマルチメディアを活用している点。クルクル回るGIF89aは一切なし(ブラボー)。そのかわりに、Ella Fitzgeraldの死亡記事では彼女の歌声を、(非常によくできた)政治広告の分析コラムでは、共和党の反Clintonコマーシャルのビデオクリップを掲載している。反Clintonコマーシャルの分析で、ユーザが実際にそのビデオを見られることの意味は大きい。テンポや語調などが観察できるため、映画的な効果についてのより深い分析が可能だからだ。The New York Timesにも「コマーシャルを評価しよう(let’s review a commercial)」という記事があるが、まったく比較にならない。印刷メディアでは、テキストに集中するしかないからである。ご承知のように、動き、色、語調といったものは、実際の言葉よりも情緒に訴えるところがずっと大きい。よって、政治キャンペーンの脱構築にはマルチメディアが必要なのだ。

第2に、オンラインメディアの活用法としてうまいのは、彼らのいう「文通委員会(committee of correspondence)」である。これはあらかじめ選ばれた参加者5人によるディベートだが、スクロールが必要で、あまりにも長すぎる(中サイズの画面で40画面分)。特別号でのディベートのお題は「Microsoftは悪か?(Is Microsoft Evil?)」で、出版元に対するSlateの編集上の自由を強調するために選ばれたものであることは明らかだ。ディベートの形式は画期的だ。参加者は、新しい議題を何曜日でも毎日投稿できる。フォローを1日1通に限定し、寄稿者も厳選したおかげで、編集者はうまくフレーム合戦を回避し、理性をもった執筆ができるようになっている。とはいえ、実際に書かれたものの品質は、エリート雑誌並みの高品質とはいかない。もちろん、ネットニュースよりはましだが、何レベルも上というほどではないのだ。Microsoftが悪かどうかという点に関して、Slateの会議室では、comp.lang.java flamefestsで見たことのないような目新しい議論はほとんど見あたらない。「Windows’95 = Macintosh’89」というものから「大勢のユーザこそが正しさの証明」というものまで。すでにこの話題はインターネットでは出尽くした感があるので、次号以降のSlateでは、もっとましな結果になるかもしれない。回転がゆっくりで、参加者も限られていることから、メリットもひとつ生まれる。通常のネットニュースに比べて反論の信憑性が増し、行き届いた調査が可能なのだ。例えば、誰かがMicrosoftは何も新しいものを作ったことがなく、その製品は二流品ばかりだと発言した時、Steve Ballmer(このディベートでただひとりのMicrosoft関係者)は、自社のR&D予算とMicrosoft Researchへの採用人数を掲げ、さらに「編集部推薦」をもらった製品へのリンクを掲載することができた。同時に、反トラスト問題を矮小化しようとするBallmerに対しては、反トラスト法弁護士が、実際に司法省の裁判文書を引用して反論した。すでに述べたとおり、普通の口喧嘩よりはずいぶんマシだし、ネットニュースより数段上だ。だが、新たな洞察が得られるほどではない。

ウェブユーザビリティ

次に、Slateウェブサイトのデザインに目を向けてみよう。十分なユーザビリティテストが行われたとはとても思えない。そのデザイン要素のいくつかは、私が過去に他のウェブサイトで行った調査から、ユーザビリティ問題を起こす可能性が高いと目されるものだ。最初にもっとも目立つものを取り上げよう。それはホームページが2つあることだ。これはユーザを混乱させる元になる。最初のホームページには、主な特集記事の短縮版リストがあって、さらに、よりくわしい目次へのリンクがつけてあるのだが、これは小さくて目立たない。このリンクをたどると、大きい方のホームページにたどり着くが、これは非常に隙間の多いレイアウトになっているため、1画面に収まりきらない。実際、リストを完全に見ようと思ったら、3~4画面スクロールする必要があるのだ。しかもメイン記事のいくつかは、最初の1ウィンドウ分に入りきらない。

目次にはいくつか「気の利いた」見出しがあって、これが記事へのリンクになっている(例:「除光液(Varnish Remover)」は、キャンペーンコマーシャル分析へのリンクだ)。ウェブでは、通常、気の利いたリンクは効を奏しない。何だかわからないものをわざわざダウンロードしようというユーザはめったにいないからだ。印刷では、趣向を凝らした見出しにも効果がある。どんな記事か知りたければ、読者は雑誌をぱらぱらめくるだけでいいからだ。ウェブでは、あらゆるクリックはすべてペナルティになり、ユーザは以前のページからの文脈を見失ってしまう。よって、リンクアンカーは特に直感的なものでなくてはならない。

ほとんどの記事には著者の名前が入っていて、これが記事の最後にある短い(2~3行)経歴紹介へのリンクになっている。この種の著者経歴は従来の雑誌からの遺物であり、ウェブの使い方としては実に拙劣だ。あまり興味のないユーザのために短めの経歴は残しておいてもいいが、著者に非常に興味のある人向けには、写真入りのもっと長い経歴ページへのリンクを設けておくのがいいだろう。このページには、同じ著者による他の記事へのリンクも掲載しておく。おもしろいことに、経歴書の中で唯一適切と思えるのは、あるNew York Timesのコラムニストのためのもので、この人物はMicrosoft善悪ディベートの参加者である(この経歴書は、彼の個人ウェブサイトに置かれている)。

Slateのウェブページは、すべて同じ<TITLE>になっている。このため、特定ページのブックマークや、履歴リストを使ったナビゲートは困難である。すべてのページを同じSlateというタイトルにしたのは、記事の寄せ集めではなく、雑誌としての統一性を強調したかったからではないだろうか。だが、ページをナビゲーションの単位とするのが、ウェブの性質である。ネット上にはステープルはないのだ。

目次のリンクアンカーは、ユーザがリンク先の記事を訪問したかどうかにかかわらず、すべて同じ色だ。非標準的なリンク色は絶対にダメだ(くわしくは私のコラムウェブデザインの間違いトップ10を参照のこと)。未訪問と訪問済のリンクに同じ色を使うと、読者はまだ読んでいない記事がどれなのか、ひと目で見分けられなくなってしまう。

最後のユーザビリティ問題は、ばかばかしくなるくらいひどいものだ。ナビゲーションバーにページ番号が振ってあるのだ。各ウェブページの最後にはナビゲーションバーが設けてあって、そこに23の番号が振ってあり、これが他の記事へのリンクになっている。もちろん、この次には記事13を読むつもりだ!なおまずいのは、号によって記事の数は変わってくる。同じ記事番号が、いつも雑誌内の同じパートに通じているとは限らないのだ。例えば、読者の投稿欄は創刊号では21番だったが、第2号では20番になっていた。なんというナビゲーションバーの無駄遣いだろう。ここはハイパースペースの構造をユーザに伝え、ナビゲーションのショートカットを設けるために利用すべき場所だ。

1996年7月中旬追記:Slateは3号まで出たが、私の批評は変わらない。ページ<TITLE>に関するユーザビリティ問題は部分的に修正された。最近の号では、ほとんどの記事に、違った<TITLE>がついている。マンガもスリムになった。幅586ピクセルという見やすいサイズになり、適度なインタラクティブ性も備えるようになった。こうした変更では、オンライン出版のよさが際立ってくる。ユーザからのフィードバックに反応して、いつでも改善できるという可能性だ。

「文通委員会」はあいかわらず企画倒れに終わっている。減税についての週では、おなじみの議論を蒸し返すばかりだったし、ミサイル防衛についての週は退屈だった。「有望」という評価は長くは続かない。Slateのディベート形式は失敗だったと考えざるを得なくなってきた。2人で代わる代わるディベートを行うHotWiredの「brain tennis」形式の方がましなようだ。寄稿者が2人しかいないから、読者も議論の筋道を追いかけやすいし、また文章の質もよくなるだろう。

(信じられないことだが、今年に入って私がHotWiredを誉めるのは、これで2回目である。もちろん、彼らのフォントや色使いは鼻持ちならないし、スレッドのUIは混乱そのものだ。すでに慣れてきたが。)

1996年7月

1996年8月16日追記:

7号を経て、ついにSlateがユーザインターフェイスを改善した。8月16日付で2つのホームページを統合し、新しい(単一の)ホームページは、もっとずっとコンパクトになった。この違いを横並びで比較してみた。ここでの教訓。ユーザインターフェイスのエキスパートがひとりいれば、これらの方針を、午後半日のインタラクション分析から導き出せる(現にそうだった!)。一方、コンテンツエキスパートが大勢集まっても、同じ結論に達するのにほとんど2ヶ月かかっている。自分で言うのもなんだが、ウェブデザインにユーザインターフェイスの専門家を加えるべきだという、何よりの証拠だ。

1997年11月5日追記:

初期のSlateの記事は長すぎ、メディアとしてのウェブに求められる条件にあまりにもそぐわなかったことをMichael Kinsleyがついに認めた。遅くともまったく気が付かないよりはいい。とはいえ、ウェブユーザビリティスペシャリストがたった1号見ただけで気付いたことを、15ヶ月も認めなかったのは、やはりいらだたしい。

Slateについては、他にも以下のような見方がある。

  • 雑誌FEED
  • HotWiredに掲載されたJon Katzのメディア批評:パート1パート2、それにパート3(どうして記事のパート間を結ぶリンクを設けないのか不思議だ)
  • 雑誌Salon
  • パロディ:Stale