個をベースラインとしたユーザビリティ

  • 黒須教授
  • 2006年6月26日

私はユーザビリティの問題は、基本的に個人を中心にして考えていくべきだと考えている。

もちろん、組織にとってのユーザビリティという考え方もある。会社に導入したソフトウェアがユーザビリティに問題があるために効果的に使われずにいるとか、地域住民の要望に適合しない行政システムが住民に不満を起こしているといったケースはある。しかし、そうした組織的ユーザビリティの問題も、結局のところ、その組織をつくっている構成員一人一人にとってのユーザビリティが基本であり、その総括的な形で組織におけるユーザビリティというものがあると考えている。

また大量生産システムにおいては、個人ユーザに対して個別にカスタマイズした生産活動を行うことはきわめて困難であり、ある共通な属性をもった個人の集団を対象として人工物を設計しなければならないという事情は理解している。ただし、その場合であっても、念頭におくべきは、集合的に考えられたユーザを構成している個々人であり、それぞれの個人ユーザにおける満足の集大成としてマスマーケットにおける満足感というものが達成されるのだと考えている。

その意味で、ペルソナというのはあるユーザ集団を代表するだろうと考えられた「典型的個人」であって、実際には存在しないユーザであるため、ペルソナアプローチをとれば個々人の満足が達成できると考えるのは間違っている。ペルソナの手法はあくまでも発想を方向づけるための道具として有効なのであり、それが多様な個人ユーザを表現しているわけではない。

一昔前なら、ユーザを集合的に捉えるというアプローチはそれなりの成果をあげることができたと思う。いわゆるライフスタイル論が盛んだった時期、ニューファミリーといった集合を想定して行われたマーケティング活動はそれなりの成果をあげ得たと思う。

しかし現在は、個人の多様性がますます積極的に発現されるようになっており、そうしたマスとしてのとらえ方は限界にきていると考えている。個人の多様性を規定する要因には、年齢、性別、学歴などといったいわゆるデモグラフィックな要因だけでなく、ライフヒストリー、世代的特徴、地域的特徴などの社会的属性要因も含まれるし、宗教や文化への態度、価値観などの内面的要素も、またアクセシビリティで扱われるような障害の問題、さらには置かれた状況や内面的な緊急度などの状況的要因も関連してくる。これらの組み合わせから構成される個々人の違いはきわめて多様であり、設計対象とした人工物に関連する属性だけを取り上げても、その組み合わせは膨大になる。

さらに特に最近の若い人たちを中心にして、地縁や血縁というしがらみから独立した生き方が強くなってきているように思う。これは核家族という形で大家族制度が崩壊した後にやってきた新しい傾向だと思われ、今後ますます強くなっていくと思う。携帯電話やPDAはもちろん、パソコンもテレビも個人ユースに近くなってきており、いわゆるパーソナル機器という冠が、今後はあらゆる機器にかぶせられる可能性がある。もちろん冷蔵庫のようなものが家族の構成メンバーごとに存在すると考えるのは無理があるが、そもそも家族がばらばらに分離して生活する傾向が強くなってきている以上、そのようなアイテムについてもパーソナルな視点を導入する必要があると思っている。

逆に若い人たちを中心にして、ネットでの出会いや、ネット上のコミュニティが発達してきている。こうしたバーチャルな環境が実環境の中で果たす役割は大きい。結局、リアルであれバーチャルであれ、人間の意識にとってどのようにそれが作用を及ぼすかが問題だからである。

こうした時代におけるユーザビリティは、基本的に個人個人のユーザにとって、有効であるかどうか、効率的といえるかどうか、そして満足をもたらすものであるかどうか、という観点から考えられる必要がある。

その意味で、ユニバーサルデザインの視点は重要である。ひところone (design) for all (people)というフレーズがユニバーサルデザインの一つの考え方として唱えられたが、私はeach (design) for each (person)という言い方を提唱したい。こうした形で、それぞれの個人にとって適切な人工物が提供され、あるいはその個人が適切な人工物環境を構築するということがこれからの基本であり、同時にそれはユニバーサルデザインの考え方と同じ方向性を持っていると考えるからだ。each for each、それこそが今後のユーザビリティを考えるポイントになると考えている。