コーホートごとのユーザビリティ

  • 黒須教授
  • 2008年5月9日

一般に、高齢者はハイテク機器の利用が苦手だと言われる。たしかに高齢者を参加者としてユーザビリティテストを実施したりすると、そうした傾向が見られる。でも、ハイテク機器の利用が困難な高齢者が周りに多いからといって、高齢者はハイテク機器の利用が苦手だと言い切ってしまっていいのだろうか。そこにはコーホート(注1)という概念が導入されるべきだと考えている。

高齢者によるハイテク機器の利用困難さが問題になったのは、1980年代あたりだったと思う。1980年代に60才だった人たち(注2)というのは、1920年に生まれ、第二次世界大戦と戦後の時代に20代を過ごした人たちだ。彼らが10代の頃にはテレビもFAXも一般的でなかったし、CDもウォークマンも、もちろん携帯電話もなかった。要するに、若くて「頭が柔軟な」時期、心理学的にいえば流動性知能がまだ活発な時期に、彼らはハイテク機器に接することがなかったのだ。彼らより年長の人たちも同様である。つまり、1980年代に高齢者だった人々がハイテク機器に接したのは、彼らの中年期以上だったといえる。若い頃に利用経験のないもの、しかも操作が結構複雑なものを利用することが、彼らにとって如何に大変なことであるかは容易に想像できる。

2008年現在60才の人たちは、彼らより30才ほど若く、一世代か二世代後の高齢者である。いわゆる団塊の世代以上の人たちであり、彼らは青年期にハイテク化の波をかぶっている。その意味では、オールドメディアからニューメディアへの移行を時代と共に体験したわけであり、それなりの苦労をしてきた。子ども時代にはメンコや縄跳びで遊んでいた彼らは否が応でもハイテク時代の先兵にならねばならなかったのだ。

ハイテク時代を牽引した彼らはそれなりにハイテク機器の利用に動機づけられている。それらの機器が身の回りにでてくるのも一度にではなく徐々に増加してきたし、機能の高水準かや多機能化の動きもじわじわと、それこそ同時代的に行われてきた。その意味で、彼らには学習のチャンスも時間もあった。とはいうものの、幼少期にハイテク機器に馴染んでいなかった点は、近未来の高齢者とは異なっているだろう。

仮に2030年時点での60才以上の人たちを考えてみよう。この近未来の高齢者達は、1980年からのハイテク時代に10代だった計算になる。現在40代前後の彼らは、子ども時代からハイテク機器に接してきた。そうした機器を利用することが自然だった。流動的知能が活性化している時期にそうした経験を積むことは後年に大きな影響を持つ。

さらに2050年時点での60才以上の人たちを考えてみよう。この未来の高齢者達は、ハイテク機器が登場した1980年代には生まれておらず、かれらが10代となった2000年代にはゲームマシンも携帯電話もごく自然なものとして存在していた。それを使うことは彼らにとって当然のことだった。

このように考えた場合、たしかに高齢者の肉体的変化にともなう配慮の必要性には変化がないにしても、経験の蓄積とモチベーションのあり方に関連した事柄についてはコーホートごとに大きく異なると思われる。小さな文字が見にくい、コントラストの弱い表示が見えにくい、細かい指先の動作が苦手・・こうした高齢者の心理的・身体的変化はどのコーホートにもやってくる。しかしハイテク機器に対する分かりにくさの問題は、現在は大きな問題であっても、近い将来、高齢者対策としてそれほど大きな問題にはならなくなる可能性がある。もちろん認知特性についても、短期記憶のスパンの変化など、幾つかの考慮すべき点はある。しかしすべての面で認知的に高齢者が若年者と違っているわけではないし、その違いは時代によって変化すると考えられる。

ユニバーサルユーザビリティの視点から高齢者への対応を考えるとき、高齢者について普遍的なことがらと、「今目の前にいる高齢者」に特徴的なことがらとを区別する必要がある。その意味で、コーホートという概念を導入することは真の問題を見極めるために必要なことだと思われる。

  • 注1:コーホート(cohort)とは同時期に生まれた人々の集団のこと
  • 注2:高齢者については65才以上とする考え方(WHOなど)もあるが、定年退職による生活環境の変化などを考慮すると個人的には60才以上でいいと思っている