Nigel Bevanの死

Nigelが亡くなったとの知らせが届いた。Nigelは、ISOの活動において、ISO 9241-210の標準化や、ISO 9241-11の改定作業をはじめ沢山の規格に関係していたし、ISO/IEC 25010などの作業にも深く関係してきていた。ともかく、今はusabilityやUX、そしてHCDに対して大きな貢献をしてくれた彼の冥福を祈りたい。

  • 黒須教授
  • 2018年6月11日

突然の知らせ

2018年3月30日9:01に、日本のISO TC159/SC4/WG6の主査である福住さんから、Nigelが亡くなったとの知らせが届いた。彼とは3月19-22日のKEER 2018の大会で会い、“Kansei Engineering and Emotion Design – a Research Agenda”というワークショップを共催したばかりだった。

Hikingが好きな彼は、学会の開催地の近辺でhikingにでかけるのが常で、今回も大会前にはIban族のlonghouse、まさに長屋なんだけど、それを見学に行き、とても楽しかったといっていた。大会後にもhikingにでかけ、そこで転落事故にあって3月27日に亡くなったのだという。今回のhikingには一緒にいかないかと誘われていたのだけど、フライトの日程の関係で断らざるを得なかった。

Nigelと僕

彼と最初にあったのは1996年10月のSC4/WG6のLondon会議だったと思う。だから、もう20年ほどの付き合いになる。その後、彼が来日した折には、ユーザビリティ専門研究会の主催で一回、HCD-Netの主催で一回、彼の講演会を開いた。時期が何時だったかは覚えていない。そして2002年2月のペルーのLimaでのSC1/WG4の会議では、直後にアマゾンのジャングル探検にでかけていたことが記憶に残っている。あいつはよほどhikingが好きなんだなあ、と思っていた。そのあたりから、結構個人的な付き合いもできて、2006年8月のアメリカのGaithersburgの会議の時は、宿から車に乗せてもらったが、イギリス流に車で左側通行をして正面衝突しかけたこと、なんかも楽しい思い出にはなっている。

2010年9月にドイツのDagstuhlでDemarcating UXというミーティングが開かれた。世界から30人の関係者が集まってUXに関する議論をする場で、その結果が翌年のUX白書としてまとめられたものだが、その30人のなかに、アジアから僕だけが招かれたのも彼の推薦によるものだった。

その後、HCIIにも出てくるようになり、以前からISO 13407やISO 9241-11のユーザビリティの下位概念としてのsatisfactionの位置づけが不適切だといってきた僕の主張がだんだん彼の記憶のなかに残るようになったらしい。2015年8月のLos AngelesでのHCIIでは、僕が諸概念を整理した品質特性図を提示したのだけど、彼の提案で、セッションが終わった翌日、関係者を集めてくれて一時間ほどの臨時セッションを開いてくれた。また2017年には僕の概念図に対する修正案を考えて提案してくれた。この時は、やっぱり継続は力なんだなあ、などという印象を持ったりした。

今回のKEERでのワークショップはそうした経緯の上に開催されたもので、僕は概念を図式化した資料を提示し、彼は(僕には面倒くさかった)議事進行を積極的にやってくれて、とてもいい議論ができた。これをベースにして意見交換の場をもうけようという彼の提案は、European Kansei Research Groupの次期代表としての彼の活躍につながるはずのものだった。そして僕はそこに積極的に参加する意思を示した。そのGroupの残された人たちがうまく彼の遺志をついでくれることを祈りたい。

さらにKEER 2018のclosingの席上、ISO/IEC 25010-3 v5を見せてくれて、その図2でsatisfactionが、effectivenessやefficiencyとは違うグループにいれてあるだろう、これならお前も満足か、と聞いてきたので、それを良くみて、うん、これなら満足だよ、と答えた。これが彼との最後の会話になった。

ISO活動におけるNigel

Nigelは、ISOの活動において、人間工学関係のTC159ではISO 9241-210の標準化や、ISO 9241-11の改定作業をはじめ沢山の規格に関係していたし、ソフトウェア関係のJTC1にも顔をだしISO/IEC 25010などの作業にも深く関係してきていた。そのエネルギッシュな姿勢には驚異の一言しかなかったが、ただ関係した規格をどんどん膨らませ、いろいろな新概念、たとえばhuman centered qualityなどというものを入れ込んできたりして、厄介なことをしてくれるなあ、という面もあった。また論理的な整合性をきちんととっていないところがあり、ツッコミどころ満載の改訂案であったりもした。「またNigelが妙なことを言い出している」、これが日本側関係者の口癖になるほどでもあった。

以前、彼に、「そんなに自説を主張したいなら本を書いたらどうだ」といったことがあるけれど、彼の返事は、「いや、僕にとってはISOの規格を書くことが仕事なんだ」というものだった。それほどISO規格に打ち込んでいた証拠ともいえるが、共同著作物であるはずのISO規格の性格をちょっと誤解している面もあったようには思う。さらに共同著作物であるISO規格は改定の度に、他人による修正が入ってしまう。だから彼が一生懸命にいろいろと改定をしても、次の改定の際にひっくり返されてしまうこともありうる。このあたり、彼としてはどういう気持ちでいたのだろう。今となってはわからないが。

感性工学とNigel

Nigelが感性工学の国際会議であるKEER (Kansei Engineering and Emotion Research)に顔を出すようになったのは、2010年のParis大会からだったと思う。感性に対する彼の関心は、やはりユーザビリティの下位概念として位置付けられていたsatisfaction概念との関係からだったと思う。ちなみに、ほかの欧米人が「カンセイ」と発音するのに、彼だけが「カンゼイ」と発音するのが可笑しかったが、指摘しても改めることはなかった。結構頑固者ではあった。

ただ、たとえば感性の概念定義にしても、国内の感性工学関係者がきわめて慎重であるのに対し、彼は大胆にそこに切り込んでくる姿勢を示した。そして日本における「感性」という概念の歴史などにも関心をもち、辞書にのっているsensibilityという英語では表せないものがある、と指摘していた。もう少し活動を続けてくれれば、感性工学にとっても、そして位置づけのあいまいな感性科学にとっても、いい刺激を与えてくれたことだろうと思うととても残念である。

ともかく、今はusabilityやUX、そしてHCDに対して大きな貢献をしてくれた彼の冥福を祈りたい。死の直前は痛く、苦しかったことと思うが、直前までは大好きなhikingができて、彼としては満足できる生き方をしたということができるだろう。