eBookのUXに関する回想的考察

パソコンの画面がテキストを読むのに適切かどうかについては議論があるだろう。以下は、eBookのUXに関する僕の回想的考察である。

  • 黒須教授
  • 2019年1月28日

今回は、いつもとはちょっと趣を変え、UXについて自伝的な回想にもとづいた考察を加えてみることにする。

コンピュータで本を読むこと

パソコンの画面がテキストを読むのに適切かどうかについては議論があるだろう。たとえばGoogle Scholarなどで論文を探してPDFファイルをダウンロードした場合、それを画面で読む人もいれば、プリントして紙で読む人もいる。

紙にはそれなりのメリットがある。どこにでも持ち運びできるし、書き込みやマーキングも容易だ。重たい再生装置を必要とせずに読むことができるのも、その利点の一つである。一方、パソコン画面の場合は、ハードディスクに収めてしまえば保管場所を取らず、どこに行ったかを探すのも検索機能を使えば比較的簡単だし、さらに本文をコピー&ペーストするのも容易である。それぞれの利点は、他方の欠点にもなりうるので、一概にどちらがいいとは言いがたいところがある。

以下は、eBookのUXに関する僕の回想的考察である。まず論文など、せいぜい十数ページの書類を読む場合には紙でもパソコン画面でも良かった。しかし、百ページ以上の書籍となると、紙本の場合は嵩があって場所を取り、重さがあるから何冊も持ち運びすることは困難だった。また活字が小さい場合には、老眼など正常な視力を持っていない場合には読み続けることが難しい。さらに収納をきちんとしていないとどこかに紛れてしまって、同じ本を二度購入しなければならないこともあった。

その点、パソコンの画面で本が読めれば、(ノートパソコンを持ち運びする場合にはその重さが障壁となるものの)書籍自体はデータになってしまうのでハードディスクに保存できるし、テキストデータにしてから変換すれば字体を変えることもできるし、サイズを変えたり、コピー&ペーストができたりと、色々な利点が考えられた。電子書籍が登場する前はそんな状態だった。

そんな具合で、僕はPDF形式の論文や青空文庫の書籍などをパソコンで読む生活に入った。そして、よほどの場合でなければ、それらを紙に印刷することはしなかった。そんな僕にとっては紙本を読むことは苦痛に近かった。紙の書籍は購入しつづけていたものの、積ん読にしてしまうことが多かった。

eBookの登場

そうした状況のなか、電子書籍が登場した。2007年にはKindleが出てきたし、2012年にはKoboが日本でも利用できるようになった。当然、僕はそれに飛びついた。最初の頃はKindle端末をアメリカで購入したりもした。Kindleに続いて日本のメーカーが電子ブックリーダーを続々と発売するようにもなった。

しかし、電子ブックリーダーがあっても書籍データがなければそれはただの箱にすぎない。比較評価のために数種類の電子ブックリーダーを研究費で購入したものの、結局は書籍データの数で勝るKindleとKoboに絞り込まれた。

ただ、電子ブックリーダーというハードウェアには難点があった。バッテリー容量とか大きさや重さの問題もあったが、それ以上に、携帯電話と電子ブックリーダーという二つのハードウェアを持ち歩かなければならないという不便さだ。すでにスマートフォンやタブレットは多機能なマシンとなっていて、その後、そこで本も読めるようになった。電子ブックリーダーのアプリがパソコン用にもスマートフォンやタブレット用にも提供されるようになったからだ。

Kindleはスマートフォンに対抗してかKindle Fireという多機能型の電子ブックリーダーを出したけれど、やはりカメラ機能や通話機能、メール機能等々を搭載したスマートフォンにはかなわなかった。だからスマートフォンやタブレットに電子ブックリーダーのアプリを搭載すれば、その機能の一つとして利用でき、二つのハードウェアを持ち運ぶ不便さからも解放されたのだ。

そういう流れで、タブレットを持ち歩いていた僕は、そこにKindleとKoboのリーダーAPPをインストールして、電車に乗っているときなどに読書をする生活に入っていった。

ただ、それらの電子書籍データの数が300冊とか400冊くらいに増えるにつれ、問題も起きてきた。それは書籍を分類整理することができない点だった。パソコンのOSの管理下にあれば、ディレクトリーを作って分類することもできるが、独自にデータ管理をするリーダーAPPでは、全書籍がフラットに配列されていて、目的とする本を探すのに手間がかかるようになった。前述の国産電子ブックリーダーには書棚を整理する機能が付いたものもあったが、いかんせん書籍数の点ではKindleやKoboにかなわなかった。

さらに、極めつけはコピー&ペーストに関する制約である。著作権保護が理由なのだろうが、Kindleでは限られた文字数しかできないし、Koboではそもそも範囲指定をしてもコピーという選択肢がない。文字列検索の機能は便利だったが、学術書の場合はコピー&ペーストができないと自分の原稿に引用することができず、実に不便だった。

紙本のPDF化という解決策

そんな折りに目をつけたのが自炊代行業者の存在である。幾つかある業者のなかからとある会社を選び、持っていた本のPDF化を依頼した。ちょうど定年退職の時期にもあたっていたので、研究室においてあった書籍と自宅にあった書籍を合わせて6000冊ほどを委託した。費用は300万円を超えてしまったが、すべての紙本がPDFになったおかげで、床置きまでしていた本が消え、部屋の中がすっきりした。その後も逐次PDF化を依頼しているが、7000冊近い書籍のデータはトータルで2TBのポータブルハードディスクに収まるサイズであり、重宝している。

現在、PDF本は、ハードディスクにディレクトリーを作成して分類整理してある。一つのディレクトリーに入れる本は上限をおよそ5, 60冊に限定している。そうでないと、目的の本を見つけるのに手間どるからだ。だから100冊を超えそうになると分類基準を細かくしてディレクトリーを分けている。その際のコツは、サブディレクトリーを作らないことだ。トップレベルで全てのフォルダが見えるようにするため、たとえば「小説 永井荷風」とか「小説 樋口一葉」というようなフォルダ名の付け方をしている。

PDFの利点は、Acrobatを使って書籍を開いた場合、一冊が一つのウィンドウになるため複数の本を同時に開いて比較することが可能な点、OCR機能を利用して文字認識をしておけばキーワード検索が容易な点(ただし、これはKindleやKoboも同様)、コピー&ペーストが自由自在である点、またハードディスク中の本を検索するときにはエクスプローラーの検索機能で書名検索ができること、もちろんマーカーで記しを付けたりやコメントを付けることもできることなどである。さらにパソコンで読む場合、ディスプレイが大きければそのサイズまでページを拡大することができるので、文字が小さくて読みにくい文庫本なども楽に読むことができる。

紙本のPDF化とeBookの比較

PDF化した書籍を読む生活に入ってほぼ2年になるが、同時にKindleやKoboも利用している。その使い分けの原則は次のようなものだ。

  1. 専門書はKindleやKoboを利用せず、紙本で購入してそれをPDF化する。コピー&ペーストによる引用と同時に複数閲覧できることがその理由だ。反対に小説や戯曲は電車の中や待ち合わせの時などにタブレットを使って読むのでKindleやKoboで購入する。小説や戯曲は、線形に頭からお終いまで読んでいけば良いので、それで良い。
  2. 紙本は裁断されてPDFになってしまう(裁断した紙は廃棄してもらっている)ので、購入する場合は中古でも構わない。時には1円などという値段のついている中古は、書き込みや線引きがないかぎり安いものでかまわない。その点、KindleやKoboなどのeBookには中古という概念がないので、高い値段を払わなければならないことが多い。
  3. Kindleではシステム内部にPDFを読み込ませることもできるが、それはやっていない。PDF形式のeBookと同様、ページサイズが画面サイズに固定されてしまい、タブレットで読もうとすると字が小さくなりすぎるからだ。なお、自宅のデスクトップでは、PDFを読むために液晶ディスプレイの一つを縦向きに設置している。これだと1ページがフル画面表示される。なお、それでも字が小さいときは横向きに設置したディスプレイで表示する。こうすると、ディスプレイの横幅ギリギリまで拡大できるからだ。ただし、ページ全体が表示されないのでスクロールが必要になるが、このやり方で字が小さいと感じたことはない。
  4. サイズの大きい画集の類いは、PDFにするとむしろ小さくなってしまうこともあるし、画質の問題もあるので紙本のまま保存している。あと昭和初期とかの時代物や著者サインの付いた本は紙であることに価値があるので、やはり紙本のままにして保存している。
  5. ページ数の少ない本は、業者への委託費用を削減するために、自分で裁断してScanSnapでPDFにしている。

こんなところがeBookのUXに関する回想的考察ということになる。今回は自伝的な記事になったが、読者の皆さんはどうされているのだろう。