フィールドワーク調査の謝金

文化人類学などのフィールドワーク調査では、インフォーマントに謝金を渡していなかったようだ。しかし製品開発などのために行う場合には、インフォーマントには適切な額の謝金を渡す方がむしろ良いと思われる。

  • 黒須教授
  • 2014年2月10日

エスノグラフィが開始された20世紀の初頭から現在に至るまで、文化人類学や社会学のフィールドワーク調査では、インフォーマントに謝金を渡していなかったようだ。関連する文献をいくら読んでも謝金の扱い方についての記述がない。また、しばしば「調査するあなた方は私たちから話しを聞いて論文を書いて、それで有名になったりするんでしょうけど、私たちは仕事の邪魔をされただけで何も得るところがなかった」といった趣旨のインフォーマント達の不満の言葉が記述されているところからも、謝金はなかったのだろうと考えられる。

「未開」社会に調査に行くとか、暴走族の集団や段ボール族の人たちを調査するような場合、たしかに謝金を渡してしまうと、謝金欲しさに人が集まってきてしまい、調査にバイアスがかかってしまうことはあるだろう。また難病患者や寝たきりの高齢者など「社会的弱者」の人たちに謝金を渡すというのは、却って失礼になってしまうこともあるだろう。さらに経済的基盤の弱体な学生が調査を行う場合には、インフォーマントの寛大さに期待せざるを得ないこともあるだろう。そうした場合には謝金はむしろ無しにして、インフォーマントに師事するような態度で無償での情報提供を受けるのが良いということになるのだろう。さらに謝礼とは別の意味も込めて、できあがった論文を送るという形をとることもあるのだろうと思う。

しかし製品やシステム、サービスなどの開発のためにフィールドワークを行う場合、その対象はほとんどの場合、「一般の社会人」である。そして調査をする側も「社会人」である。そうした場合には、フィールドワークやエスノグラフィに関する解説書に記載がないからといって、謝礼を渡さないのはむしろ礼を失することになるだろう。彼らから情報提供を受けることは、give and takeの関係になっていると考えた方がいいだろう。インフォーマントは情報を提供し、調査者は謝礼を渡す、という割り切り方がむしろ良いと思われる。それはユーザビリティテストの参加者に謝金を渡すのと同じ感覚である。

謝礼として何を渡すかという点については、一般的には金銭と考えて良いだろう。ユーザビリティテストの場合には、自社製品を渡したりすることもあったようだが、必ずしもテスト参加者が皆それを有り難いと思う保証はない。金銭を渡すのが失礼だと思ったら、図書券でもいいだろう。他にも金券はあるし、誰もが読書家ではないにせよ、図書券あたりが無難な線といえる。もちろんあらかじめ連絡をしておいた金額を謝金として渡すことも有りだと思う。

その金額的価値については、その人が日常の仕事で得ているであろう時間給をn倍したもの(n>>1.0)を、というのが一応の公式といえるだろうが、その人の時間給をどのように見積もるかという難しさがある。厚労省の地域別最低賃金の全国一覧によると、最低賃金については、地域によって差があるが、安いところでは664円(鳥取、熊本、沖縄など))、高いところで869円(東京)となっている。ただ、最低賃金というのは「もらって当然の最低限」と見なされる金額であり、これを根拠にするのは適切ではない。およそ1000円を基準とし、あとは学生か、専業主婦か、会社員か、等の属性によって、先ほどのnを1.5にしたり3.0にしたりすれば良いだろう。

ところで謝金を渡すにあたって困難な点は、大学の研究者が調査をする場合に発生する。それは、謝金を金銭で渡そうとすると、一般的な事務補助の金額になってしまい、かなり安くしか設定できないことである。そのため、実際の所要時間が2時間であっても、望ましいことではないが、3時間や4時間やったことにして謝金を渡している研究者もいる。反対に図書券で渡そうと思っても、基本的に研究費で金券は購入できないことになっている。腹黒い研究者がインフォーマントに渡すと偽って自分の懐にいれたり、金券ショップで換金してしまうということを想定しての禁止措置なのだと思う。管理サイドからすれば、安全のために性悪説を取っている、ということなのだろう。

僕の場合には、インフォーマントを集める手数も考えて、謝金を含めた金額でリクルーティング企業に委託することが多い。一人あたりの金額は高くなってしまうが、そうした企業に委託するメリットとして、予定していたインフォーマントが欠席したり都合が悪くなった場合には、代わりの人を紹介してくれるという点がある。また煩雑な謝金のための事務手続きを簡素化できるということも利点である。

もっとも、フィールドワークの手続きとして非構造化インタビューや非公式インタビューの形を取るときには、いちいち謝金を考慮することはないだろう。半構造化インタビューの場合に比較して情報の密度は薄くなってしまうかもしれないが、相手も楽しんで話しができるような雑談のような形式であれば、特に謝金のことは考えなくてもいいだろう。

イード編注

謝金額については、調査主催者の判断により大きく異なります。