サービス活動への対価のソーシャルデザイン

今回は奉仕や支援というサービス活動とそれに対する感謝という気持ちの問題、さらにチップ、ないしは心付けという問題、そしてそれをシステム化した地域通貨のデザインについて考えてみたい。

感謝、チップ、地域通貨

今回は奉仕や支援というサービス活動とそれに対する感謝という気持ちの問題、さらにチップ、ないしは心付けという問題、そしてそれをシステム化した地域通貨のデザインについて考えてみたい。

基本的にどのようなサービス活動でも、その実施には人手が必要である。店舗での店員によるサービスは当然だが、特に奉仕や支援という面では、病院高齢者施設での看護や介護も、一時保育や長期保育、出張保育や子供の送迎、買い物支援、洗濯や掃除、食事の用意、留守番代行などもそうである。一般に、それらのサービスは善意をもって行われたとしても有償の場合がほとんどであり、無償のものは家族によって行われる場合が中心である。これは諸外国でも同様といえるだろう。ただし外国には有償サービスと無償サービスの間にチップというシステムが介在していることが多い。

どのような場合でも、基本になるのは感謝という気持ちだろう。家族や親友によるサービスが無償というのは当然のように思われるかもしれない。家族や親友においては、その親しさがサービスという形で発揮される、という側面がある。しかし、その内容や程度によっては何か代償を渡さねばと感じることもあるだろうし、少しくらいは貰いたいなあと思うこともあるだろう。ただ、金銭を介在させるとその関係に割り切った冷たさが生じてしまうと感じられるためか、あえて金銭授受を行わないことも多いようだ。

感謝:お礼すらしなかった若者と、お礼をしたおばあちゃん

さて、数年前のことだが、JRの車内に車椅子利用者の若者がいた。彼が下車するとき、あらかじめ連絡が伝わっていたのだろう、駅員がスロープをもってきて出口にそれを置いて車椅子が降りられるようにした。その駅員は、彼の家族でもなければ親友でもなく、第三者の関係である。駅員は、鉄道サービスの一環である役割行動としてスロープによる支援を無償で行っていたわけだ。しかし彼はそれを利用して下車すると、礼の一言も、挨拶もなく、さっさといってしまった。なんだあいつ感謝もしないで、というのが僕の実感だった。終始無言だったことからすると発話障害も持っていた可能性はあるが、それでも手を上げて謝意を表現するとかはできた筈だ。

これに対して、最近バスに乗っていて見かけたことだが、やはり車椅子利用者の高齢者が下車するときに、運転手がスロープを出したりしてその下車を手伝ったが、車椅子に乗ったおばあちゃんはきちんと礼の言葉を述べていた。

JRの車椅子利用者は若者の傾向を示し、バスの利用者は高齢者の傾向を示している、などと言うつもりはない。ともかく、あのときの若者の態度が気になって、ずっと記憶に残っている。一言でいいから感謝の気持ちを伝えるべきだっただろう。

もちろん、障害があるから他人に世話になる頻度が高く、いつも世話になった人にペコペコしなければならないというは不愉快なことかもしれない。そんなことを毎回続けていたら卑屈な人間になってしまう、そういう理屈もあるかもない。しかし、まず気持ち、気持ちだよ。そのくらいは表現してもいいんじゃないのかな、というのが僕の考えるところである。

チップ:アメリカでの体験

あるときダラス空港で食事をしていたら、そのレストランに車椅子に乗った高齢の婦人が乗り付けてきた。自分で車椅子を動かすのではなく、空港職員がそれを押してきた。婦人は、店員と話をした後、財布から紙幣を二枚、多分2ドルなんじゃないかと思うけど、それを自分の肩越しに、つまり視線を交じらすことなく、後ろにいる職員に渡した。Thank youといった言葉もなかった。職員も当然のような態度でそれを自分のポケットに入れていた。二人の間にはそれきり会話もなく、婦人は立ち上がっておぼつかない足取りで店内に入り、職員は車椅子を押して立ち去った。

それだけの光景である。もともと有償のサービスだったのかどうかはわからないので、なんとも判断しにくい部分はあるのだけど、チップを渡すというのはそれなりに当然だろうな、と思える場面だった。しかし二人の間に言葉がかわされず、単に金銭の受け渡しがあっただけ、気持ちの交流がないというのも、これまたちょっと考えさせられた。日本人的な感想かもしれないが。

諸外国にはチップの不要な国と必要な国がある。後者ではそれが必要、というよりは、原則になっていると言った方が正しいのだろう。ちなみにアメリカでは大抵のことにチップが必要になる。面白いことに、それを受け取る側にも、笑顔を浮かべる人と、当然のことのような顔をして受け取ってしまう人がいる。

たとえばホテルの清掃担当。僕は、海外ツアーの担当者がよく口にする枕銭という行為はしないことにしているが、在室中にサービスを受けた場合などは1ドル×室内滞在人数分を渡すことにしている。その時の担当者は大抵ニコッと笑顔を浮かべてありがとうというが、これは気持ちのいい場合だ。反対にレストランやタクシーなんかで、義務的にチップを加算するのは、どうも余計に金を取られたような気になる。せめて笑顔を浮かべてよ、といいたくなる。先日も空港までBlueShuttleを利用したのだが、ネットですでにチップ込の料金を支払っているのに、空港についた運転手は物欲しそうな顔をしていた。どういうシステムになっているのかわからないが、これ以上金払うのはいやだからそれは無視した。

チップ:日本での体験

以前、調布市のボランティアのサークルの人に、歩行困難な父親を親族の集まりの場所まで往復で運転してもらったことがある。あらかじめ費用はいただきません、と資料に書かれてあったので、日本のことだしチップというか心付けというのも却って失礼にあたるのかなと思い、特に何も渡さなかった。しかし遠距離を運転してもらっておきながら、何も渡さないというのは、なんとなく後味の悪い体験だった。どうするのが適切だったのか、今でも分からないのだが、サービスを受けたこちら側が当惑してしまう状況だった。

地域通貨:これが解決になるのか

こうした状況で考案された仕組みが地域通貨である。これについては、「げんき」という寝屋川の地域通貨のサイトでは

お互いに助けられ支え合うサービスや行為を、時間や点数、地域やグループ独自の紙券などに置き換え、これを「通貨」としてサービスやモノと交換して循環させるシステムのことで、現行の紙幣である「円」(国が発行するお金)とは違った「もう一つのお金」ともいうべき働きをするものです。地域通貨は、法定通貨ではその価値を表現しにくいボランティア活動や地域活動を地域通貨により、わかりやすく具現化することで地域が持っている潜在的な能力や活力を引出し、地域で活かすことのできる仕組みです。
地域通貨「げんき」について – 地域通貨ねやがわ「げんき」

と説明されている。ここで「法定通貨ではその価値を表現しにくい」という箇所がポイントである。

似たような地域通貨は2003年ごろには全国に登場したが、その多くは2005年前後に下火になってしまったようだ。また諸外国にも地域通貨の仕組みはあるが、寝屋川と同じような趣旨で実施されているわけではない。最近では、地域振興を目的とした活動は、地域通貨よりもふるさと納税などの形で行われている。いずれにしてもボランティア活動などに対する対価として設置されているケースは少ないようだ。

このあたりがソーシャルデザインの出番ということになるのだが、果たしてどのような形で感謝を表現するのが適切といえるのだろう。感謝の気持ちの表現だけで済む場合はそれで済ませ、気持ちが済まないような場合には、むしろ料金体系を明確にして有償にしてしまって法定通貨で謝礼をした方が気持ち的にはすっきりするように思う。お金の授受ということを何となく汚いことのように思ってしまう人もいるようだが、僕は、サービスは基本的に有償と考えるべきではないかと思っている。無償のサービスというのは、そしてそこにチップの授受が含意されているような状況、つまり、ちょっと謝意の表現だけでは申し訳ないなあという状況は、なんとなく気持ちが悪い。ただ、その境目に対する判断基準は個人によって異なっているだろうから、サービスをした側とされた側とでズレのあった場合には、後腐れの悪い結果になってしまう。ただ、料金体系が明確になっていれば、それなりにすっきりするのではないだろうか。

あとは法定通貨による謝礼をするにしてもしないにしても、とにかく感謝の気持ちが大切だろう。駅員や運転手が車椅子利用者の乗降についていちいち料金をとるのも面倒だし、そこまでやる必要はなかろう、という考えもあるだろうから、そこは笑顔と挨拶ということになる。反対に、店舗のサービスでも金をとっておきながら仏頂面をした店員というのは、二度とその店にゆきたいという気持ちを起こさせない。やはり有償であっても笑顔と挨拶はあってほしい。現行の無償サービスの一部は(チップ並みでありながら)料金体系の明確な有償サービスにしてしまう、というあたりが僕の考えるデザインの姿なんだけど、最近、ブロックチェーンを利用した地域仮想通貨が岐阜県に登場したようだ。これが安定的に利用されるようになるか注目したいと思っている。

公開: 2018年10月25日
著者: 黒須教授