問題はごろごろ転がっている

身の回りにはユーザビリティに関連した問題がごろごろと転がっている。特にユーザビリティという概念で整理することはなくとも、そうした問題に対して不満を感じたりしている人は多いはずだ。

たとえば、ゴミ出しをしてからちょっと外出することにしたとする。マンションのエレベータに乗る。ゴミ置き場のある地下1階のボタンを押すつもりが間違って1階のボタンを押してしまう。エレベータの階床ボタンは訂正が効かないから、その後で地下1階のボタンを押しても、1階で必ず止まってしまう。これは、訂正機能がない、という意味で、機能性の面でのユーザビリティの問題である。

ゴミ出しをしてからマンションの外へでる。ちょっとたばこを買うことにして自販機に立ち寄る。280円のたばこを買うのに、お金がちょうどなかったので、330円を入れる。50円玉が返ってくることを期待したからだ。しかし案に相違して10円玉が5枚じゃらじゃらとでてくる。財布がふくれてしまうと憤慨する。これはサービスに関係した機能設計の問題である。

バスに乗ろうとして横断歩道を渡ることにする。信号が点滅をはじめたので、急いで渡りきらなければと思っていると、すぐさま赤になってしまい、駆け足をすることになる。これが老人だったらどうするんだと腹が立つ。これは高齢者の歩行速度を考慮しないで信号の点滅時間を設計したことに問題がある。

バス停でバスを待つ。予定の時間になってもなかなかバスがやってこない。地域によっては、現在どの停留所にいるのかを表示するシステムを採用しているところもあるが、この停留所にはそうした表示機能がない。そのため、待つのを断念して歩くことにした方がいいのか、もうすぐ来るから待っていた方がいいのかという決断もできない。こうした情報提示サービスは、パソコンのタスクバー表示と同じように、ユーザに作業の完了を予告する機能であり、ユーザビリティの基本である。

バスに乗る。バスカードを入れる口が正面になく、左から入れて右に出てくるようになっている。そのため、手首をねじってカードをいれることになる。これは人間工学の基本を考慮せず、機器の作りやすさだけを考慮した結果と思われる。

しかも、バスカードが読みとりに失敗してしまう。何回やってもはじき返される。これは信頼性の問題で、ユーザビリティとは別の概念であるが、やはりユーザにとっては重要な問題である。結局、運転手が、次に乗ったときに二回分を払ってくださいと言って、その場は収まる。もちろん、内心ではもうかった、と思ってしまう。しかし、これは本質的にサービス機能ではない。

バス停を案内する音声ガイドが、どういうわけか一停留所分ずれている。私には通い慣れた経路だから問題はないけれど、初めての人は停留所一つ分を歩かされることになるだろう。注意してバス停の表示をみて、それが音声ガイドとずれていることに気が付けば別だが、そこまで利用者に要求するのは酷である。この場合には、ユーザビリティは運用責任者であるドライバーの問題である。

バス停でおりてJRの駅まで歩く。歩道を自転車がやってくる。自転車の利用者の多くは、それが左側通行をすべきものであるということを意識していないようで、自転車同士がぶつかりそうになり、急にハンドルを切って歩行者の前にでてきたりする。これはインフラとしての法律システムが十分に周知されておらず、インフラとして機能していないためにおこることで、結果的には安全性に関わる問題だが、直接的には法律システムのインタフェースの問題といえる。

駅に着く。改札にIOカードを入れる。いつも気になっていることだが、なぜカードの挿入口は右側にあるのだろう。右手を利き手としている人が多いからだろうか。しかし、荷物をもっている場合、特にそれが多少重かったりすると、私の場合はそれを右手で持つ。したがってあいているのは左手で、カードは左手でもっていることになる。そのためカードを入れるときには体をひねることになる。ちなみに道を歩いているときに、どっちの手に荷物をもっている人が多いかを見てみると、半々か、もしくは右手にもっている方が多少多い。たぶんJRが評価実験をしたときには、カードだけを持たせて、それをどっちの手にもつかを調べたんではなかろうか。

エスカレータに乗ってホームに降りてゆく。有名な問題だが、関東では左側に立ち、関西では右側に立つ。それぞれそれなりの理由があるようには聞いているが、時には地方の人なのだろうか、通路側に立ち止まっている人がいる。こうした文化の問題もインタフェースの問題に関係があり、特に、それが混在してしまうような場合には、問題が発生しやすい。

こんな具合に、我々の日常生活には、いろいろな問題がごろごろしている。その中の多くは広い意味でのユーザビリティに関係しており、それは、設計の段階、あるいは運用の段階、あるいは背景となっている社会システムの段階に問題の源泉があるといえる。これらを見つけだし、一つ一つつぶしてゆくのが住みやすい生活環境を作るための課題である。これは一見果てしのない仕事のようにも思えるが、そうした地道な努力なしにばっさりと問題を解決してしまうような魔法の杖は存在していない。

公開:2000年6月20日
著者:黒須教授