難解な言葉-「それなりに」の世界
ニールセン氏はインタフェース設計において「ユーザの言葉を使うように」と指摘したが、一般ユーザには馴染みがなかったり難解であったりする専門用語を使わずにできるだけ日常的な言葉で説明をするようにすることは設計の基本的約束事のはずである。
言葉というのは不思議なもので、何度も聞いているうちにそれなりになじんでしまうものではあるが、突然新しい言葉に直面すると、戸惑いや突っかかりを感じ、時には無機的な冷たさを感じてしまうものだ。突然、外国にぽつんと一人で置かれたような疎外感を感じさせられてしまうのである。
インターネットは今では幅広い人々に利用されるようになったが、この世界も例外ではなく、意味のとりにくい言葉や不適切と考えられる言葉が沢山使われている。今では、多くの人々によって利用されるようにはなってきたが、彼らが新しくこの世界に入ってきたときは、おまじないのような言葉の羅列に驚いたか、あるいは身近に詳しい人がいればその人まかせにしてしまったのではないだろうか。
URLという言葉は、一般のユーザにとってはおまじないにしかすぎないだろう。サイト名(いや、サイトという言葉も適切ではないかもしれない)とか、ホームページ名とか、もっと簡単な言い方を考えられなかったのだろうか。また、httpだってそうである。ftpを使ったりしないユーザにとっては、そうした識別子になっていることが分からず、意味も役割もわからないまま、ただ「そのように」打ち込むだけのものになっている。その後の://にいたっては、数式のような、なんだか分からないけどその通りに打ち込まないといけないもの、になっている。
またWWWということばは、誰が考えたのか、あまりうまいネーミングとはいえない。ワールドワイドウェブの略だと知っても、何でわざわざ蜘蛛の巣という比喩を使わなければならないんだ、という気がする。ワールドワイドネットの方がわかりやすかったと思うのだが、たぶん語呂合わせで三つともWにしたかったのだろう。それにしても、この言葉は発音もしにくい。そもそもダブリュという発音はやりにくいものだが、それを三つも重ねてダブリュダブリュダブリュというのは、早口言葉のような難解さがある。最近は、そうでもなくなってきたが、以前は、URLというのは頭にwwwと付けなければいけないのだと思わされてきた。これに対しては「何で?」という疑問を差し挟むことは許されなかった。そうしないと使わせてもらえないからである。
メールに関してもそうした言葉は多い。たとえばSMTPとかPOP3という言葉がその典型的な例だろう。送信と受信という日本語はきれいに対応しているが、同じ関係にありながら、どうして言葉が対応していないのだ、という素朴な疑問が浮かんでしまう。なぜSENDとRECEIVEではいけないんだろう。
こうした用語を考え出す技術者の頭の中というのはいったいどうなっているのだろうか、とむしろ興味を持ってしまうほどである。こうしたものが巧みなネーミングだと考えて得意になっているのだろうか。ともかく一般の人間には使われることはないだろうから、適当に付けてしまえ、と考えたのだろうか。まず確かなことは、彼らの頭の中には「一般ユーザ」という概念は無かったのだと思われる。
人間は与えられた環境に適応することができるし、時間が経てば何となくそれに馴染んでしまうものである。だからといって、どんな環境でも構わないと考えるのであれば、それは技術屋の怠慢である。ISO13407でも、ユーザと技術の間における適切な機能配分が必要だといっているではないか。用語の作り方についても、もう少し「知恵」を絞って、適切な言葉を考えてほしいものである。