ユビキタスをどう実現すべきか

ユビキタスコンピューティング(ubiquitous computing)、しいて日本語に訳すなら遍在(偏在ではない)型計算機環境が最近話題になっている。この概念は、もともとゼロックス社のPARKにいるMark Weiserが1988年に提唱したもので、(1)一人のユーザに対して多数のcomputing powerを統合的に利用させる、(2)computingが前面に出てこないという不可視性(invisibility)という考え方がベースになっている。この考え方は、実世界指向(real-world computing)などと併せて、環境型インタフェースと呼んでもいいだろう。

彼が提案した1980年代後半から1990年代前半の当時と比較すると、最近では、一人で複数台のPCを保有することも珍しくなくなり、さまざまな機器にマイコンチップが内蔵されるようになり、さらに、無線LANの構築が一般的になり、この考え方を実際に運用する基盤が整備されたといえる。ちなみに、Weiser自身は、tabという携帯型の小型端末を持ち歩く形を提案したものの、tab自体にはユーザの入力操作が必要なかった。そこで、彼はユビキタスはモバイルとは別の考え方だといっている。しかし、最終的に利便性の高いものができれば彼の考えを忠実に実現する必要はないのであって、その実現において、モバイルの技術と連携することがあってもかまわないだろう。

この考え方の基本は人間にあり、人間がある計算機環境に入った時に、その環境と自動的にインタラクションできる点にポイントがある。したがって、環境の側から特定の人間がきたことを認識するための仕掛けが必要になる。そのためには、環境の側に自動認識の仕組みを入れこむやり方と、人間が身につけている機器が環境にその保有者の存在を教えるというやり方が考えられる。

前者の考え方は、自動ドアや自動照明をコンピューティングに発展させたものと考えてもいいだろう。ただ、自動ドアなどでは、人間が来れば誰でも反応してしまうのに対し、ユビキタスでは識別的に反応しなければ意味がない。そのためには画像認識や音声認識の技術を応用することが考えられるが、技術的にはなかなか困難な点も多い。後者の考え方は、tabのような機器を携帯させれば、その電源が切れない限り、自動的にインタラクションが行えるため、実現は比較的容易である。

ただ、そこで問題になるのは、どのような機器を携帯させればいいかという点である。人間が日常的に携帯している機器としては、めがね、腕時計、携帯電話、ウォークマン、PDA、自動車であればカーナビなどがある。これに加えて、さらに新しい機器を携帯させるのか、それともこうした既存の携帯機器にユビキタスの機能を埋め込むのか、という点が実現上の一つのポイントである。だが、限定された目的のために、何らかの機器を新たに身につけなければならないというのは、よほどのメリットが感じられなければ受け入れられないだろう。他方、既存の機器のうち、人間に一番密着しているのはめがねや腕時計である。これらは対話操作を求めないなら問題ないが、それを必要とする場合には向いていない。ユビキタスな環境で対話操作をする、ということになれば、携帯電話のような機器にユビキタス機能をもたせる、というのが妥当な線かもしれない。

さらに、ユビキタスなシステムの場合は、インフラの構築が必要になる。インフラのない場所に携帯機器をもっていってもただのお荷物になってしまう。その意味でも、インフラが特定の環境に限定されている限りは、新規デバイスよりは既存の機器に機能追加をする方がいいと思われる。

しかし、ここで本当に問題になるのは、いったいどういう目的のためにユビキタスなシステムを使うのかという点である。どういう必要性に対してユビキタスの技術は有効なのだろう。Weiserが最初に実験的に構築したシステムでは、保有者の行動を自動的に記録するといった機能があった。しかし、これはどうにも技術志向的な観点から無理矢理使い道を考えたきらいがある。

人間中心の考え方からするなら、そうした技術があることを前提にして使い道を考えてもいいが、まずは日常の生活の中からニーズを探し出す努力をすべきである。企業であれば、本人確認のためのチェック機能が必要かもしれない。そのために自動車のETCのような形でユビキタスを使うことも考えられる。しかし、そうした目的であれば、指紋や瞳孔の認識という別手段もある。ユビキタス、というキーワードから出発して無理矢理使い道を考えるのではなく、そもそも何が必要なのかを考えることが必要だろう。

公開:2001年12月17日
著者:黒須教授