パッケージのユーザビリティ

  • 黒須教授
  • 2002年2月9日

パッケージには色々な目的がある。食品であれば、内容物を酸化や変質から防ぐこと、悪意による毒物などの混入を防ぐこと、さらに細かい菓子などの場合には、一定量を区分けする目的もある。シャンプーや牛乳などの液体であれば、それにある形状をもたせて一単位の商品として成立させる目的もある。CDやホテルの歯ブラシの場合には、新品であることをアピールすることが目的となる。またパソコンなどの電気製品であれば、本体を衝撃や汚損から防ぐこと、本体の輸送を容易にするために規格化した直方体にすることなどが目的となっている。ヘッドホンや文房具などの小物については、内容物の形状を透明なパッケージによって外部から確認させることも目的となろう。

さて、こうした目的をもったパッケージであるが、それらの目的に関しては、パッケージの素材、大きさ、形状はそれなりの機能を果たしているといえる。問題はそのユーザビリティである。

たとえば「開けやすさ」という点について考えてみたい。スナック菓子やコーヒー豆のパッケージは、湿気を防ぐ目的のためか、素材も厚めで作りもとても頑強にできている。そのため、ちょっとやそっとでは開かない。どこかの縁に切り込みやギザギザがついていればまだしも、それがないと、とにかくエイヤッと引っ張るしかない。で、開いたとたんに中身がこぼれてしまうことがある。あるいはわざわざハサミをもってこなければならないこともある。

CDのパッケージには、紐というのだろうか、そこを引けばピーッと開けるようになっているものもある。ただ、その紐の端が見つけにくいし、見つかっても摘みにくいことがしばしばある。そのため私はカッターナイフで切り口をつけて、そこからビリビリと破くことにしている。さらにアメリカ製の輸入盤CDの場合には、ふたの部分にタイトルを印刷したシールが貼ってあるが、これが難物である。要するにちぎれてしまいやすいのだ。端っこをつまんでピーッとやってしまうと斜めに切れて大半が残ってしまう。なんでこんな切れやすい素材を使っているのか不思議なのだが、とにかくきれいに取り去るのが大変である。

電気製品の段ボールにも苦労させられることが多い。たとえばパソコン用のディスプレイ。これは重たいのでただでさえ大変なのだが、箱をあけて内部の段ボールといっしょに取り出そうとすると、外箱との摩擦で引っかかって出てこない。両足を開いて外箱を押さえ、両手でがんばって引っ張るとなんとかできる。だけど、これは力のない女性や高齢者だったらどうするのだろう。パソコン本体のパッケージにも苦労することがある。一枚の段ボールをとても巧妙にカットして組み合わせて本体やマニュアルやケーブルの入れ場所を作り、全体をコンパクトにしている、その苦労には頭が下がるが、時にケーブルなどの小物が段ボールのコーナーに隠れてしまっていて、無い無いと騒ぐことがある。

次が「捨てやすさ」である。今のパソコンの例でいうと、複雑にカットして組み合わせて立体化してあるため、捨てる時には、それを全部手で展開して一枚の原型にもどしてから捨てなければならない。面倒である。段ボールをビニールやプラスチックの皮膜で覆ってあることもある。そうなると分別収集のために、わざわざビニールをはがさなければならない。これも面倒である。大型冷蔵庫や組み立て家具の段ボールなどは、ただでさえ大きくて処理のためにカッターナイフが必要になり、下手をすると手を切りそうになるが、重量物を収納していた場合には大型のホチキスというのだろうか、そういう金具でがっちりと固定してあることも多い。この金具をはずさないと、段ボールゴミを処理する人がけがをするかもしれないと思い、全部はずすことにしているのだが、これがまたしっかりと固定してあるのでとてもはずしにくい。

さらに「再利用のしやすさ」がある。コーヒーなどは一度では使い切らないため、また封をする必要があるのだが、そのための配慮は全くない。菓子の類では、切り口の一段下に封をするための特別なテープがついていて、そこを指で押さえてゆけば湿気を防げるようになっているものがあるが、そうしたやり方をしている商品はとても少ない。

このように例をあげてゆくと切りがないのだが、ともかくこうした数々の問題は、パッケージの制作者がその本来の目的だけを追求しているから発生してしまうわけだ。後先を考えず、というのはこういうことだろう。ユーザビリティという概念が早く一般化して、パッケージ関係者の意識の中にも入るようになることを、一消費者としても願わずにはいられない。