課題が達成できるということ

  • 黒須教授
  • 2002年3月25日

ユーザビリティに関する一つの基準として、与えられた課題が達成できるかどうかを用いることがある。CIFやISO20282では、テストしたユーザのうち何パーセントが課題を達成できたかどうかを数値によって指標化することを求めている。しかし、この指標については、その内容に関する吟味が必要だろう。

先日、最新のiMacを購入した。話題のi-Podもついてきたので、さっそくMP3のデータを入れることにした。何しろ膨大な数の曲を収録できるというので、すでにDellのWindowsマシンで作成したMP3ファイルをCD-Rに焼いて持ってくることにした。

困ったのはその後である。MP-3を入れたCD-Rができたのだが、それをどうやってiMacのドライブに入れたらいいのか分からない。Macintoshについては、数年前に8500を使って以来、ずっとWindowsマシンを使ってきたので、いろいろと勝手がわからない。ましてやOS Xである。初心者ユーザレベルに戻ってしまっていたといっていいだろう。その初心者に対して、Appleコンピュータは小綺麗な、しかしとても薄いマニュアルしか添付していない。これは使いやすいマシンであるということをそうした形でも主張したかったのだろうと推測した。しかし、主張は主張で結構なのだが、実際にユーザが困惑しないようにしてもらいたいものだ。ドライブが本体前面についていることはすぐに分かった。しかし開け方が分からない。イジェクトボタンが付いていないのだ。そこでドライブの蓋を押してみた。あるいはステレオで採用されているようにメディアを近づければ自然にドライブが開くのかもしれないと思って、メディアをドライブの近くに持って行き、ゆらゆらとしてみた。認識されない、というか蓋はあかない。というわけでマニュアルの登場だ。あちこち見ているとイジェクトボタンというのがある。キーボードの一番右上のキーだ。ああこれかな、と押してみると見事トレイがでてきた。要するにAppleは、昔のパワーキーをキーボードからなくして本体のパワーボタンにしたのと反対に、CD(DVD)ドライブのイジェクトボタンをなくしてキーボードにイジェクトボタンを持ってきたのだ。困ったことだ、とぶつぶついいながらも、このタスクは一応達成できた。そしてそのやり方は今でもしっかり記憶している。なぜなら、このタスクはたったの1アクションなのだから。つまり、こうした簡単なタスクの場合には、マニュアルを参照してタスクが達成できた、というようにしてタスクが達成出来たか出来なかったかで評価することは特に問題はないように思う。

しかし問題はその後である。大まかな手順としては、CD-Rに入っているMP-3データをまずハードディスクに移し、それからIEEE1394ケーブルでつないであるi-Podに入れなければならない。これは結構長い手順となるだろうことは予想された。案の定、この作業は試行錯誤の連続、また連続となってしまった。長いトライアルの後、何とかi-Podにデータを移すことが出来た。しかし、その間の経緯は単に「長いトライアル」としか書きようがない。なにしろ、いろいろ試みた手順をすべて覚えているわけではないし、その中のどれが有効でどれが無効なものだったかが分かっていないのだから。だが、i-PodにMP-3データを移すという課題はいちおう達成できた。

素朴な疑問がわき起こる。こうしたケースを課題達成としていいのだろうか。iMacに限らず、コンピュータでは、いろいろとやっているうちに結果的にできてしまう、ということが多い。Windowsマシンでもそうしたことは良く起きる。こうしたケースでは、ユーザは課題遂行の手順を学習していない。だからもう一度やったらおそらくまた迷うことだろう。多分、何回も何回も試行錯誤をしているうちに、だんだんと学習することにはなるだろう。しかし、こうした場合に最初の試行で課題を達成できたと判定していいものだろうか。課題を達成するということには、課題達成の流れを理解して、という前提が付くべきではないのだろうか。

ユーザビリティテストの状況では、単に課題を達成できたという結果的情報だけでなく、その途中でユーザがこまかい間違いを犯したり、立ち往生をしたりといった情報を細かく記録する。そしてそれぞれの問題のステップに対して改善案を考える。こうした見方なら納得できるのだが、単に結果として課題が達成できたかどうかだけをカウントするようなアプローチでは、本当の意味でのユーザビリティを評価していることにはならないだろう。