メーリングリストというメディア

メーリングリストというメディアは、1980頃に大型計算機ユーザに対して、システムメンテなどの情報を一斉に報知するために作られたのがその原型とされているらしい。1990年代はじめにはMajordomoなどのメーリングリスト管理ソフトが作られるようになったが、当時は専門家の間での情報交換が主目的だったそうだ。1990年代後半になって、メーリングリスト開設サービスが開始され、これがメーリングリストの爆発的普及につながったとされている。現在、メーリングリストは、情報伝達や情報交換だけでなく、議論の場としても利用されるようになっている。

最近、私は一つの実験を試みた。メーリングリストにおける議論というものがどのような性格を持ち、どのような可能性を持っているのかを調べたかったのだ。そのためにある「議論系」メーリングリストに参加した。メンバー数は150人程度。多すぎもせず、まあほどほどだと感じた。

それまでもメーリングリストでの議論は経験していた。ただし、そうしたメーリングリストはプロジェクト関係者や委員会関係者という、すでに所属も顔も人柄も分かった人たちで構成されたものであって、見知らぬ人が参加しているメーリングリストでの議論とは違っていた。いわば見知った関係者による会議室での議論のバーチャル化のようなものであり、学会発表や講演会におけるように、聴衆の皆さんについての情報が乏しく具体的にどのような人がそこにいるのか分からずに話しをするようなものではなかった。そうした理由からちょっと違ったメーリングリストでの議論体験をしてみたかったのだ。

半年ほど参加してみて、結局議論をするための参加を諦めることにした。幾つかの理由があった。

一番大きかったのはROMの存在。学会発表や講演会でもそうだが、発言しない人たちが何を考えているのかがわからない。ただし、もちろん発言する人もいる。全体の1割程度だったろうか。したがって学会発表や講演会のバーチャル化というよりは、パネルディスカッションのバーチャル化に近いといってもいいだろう。ただし登壇するかどうかは任意であって、壇というものがなく、全員が同じフロアレベルに座っている。発言する人だけで会議室で議論をするならつっこんだ議論も可能なのだが、発言しない参加者がいるとそのつっこみ方に配慮が必要になる。要するに発言が「公的」な性格を帯びざるをえないのだ。それを意識せずに発言がでてくることも多いが、メーリングリストの場としては、そうした発言も「公的」なものとして受け取られてしまう。日常場面でも、公的な発言と私的な発言では話し方が変わるし、話題の扱い方も変わる。私的なつもりで何気なく書いた発言が公的な立場から批判されてしまうこともある。ROMのみなさんの意向分布も見えないため、そうした場合、どのように対処すべきかについては慎重な対応が必要となる。これは疲れることだ。

次にやりにくかったのは顔の向きが分からないこと。対面の会議などであれば、誰かの方を向いて特にその人に向けた話しができる。そうすれば、その人は自分に向けて話しがされていることが分かるし、それ以外の人はその人の発言を少なくともしばらくの間は待つことになる。また、話しかけられて返事をしないということはまずあり得ない。しかしメーリングリストでは、たとえ相手の名前を書いても、必ずしも返事が来るとは限らない。また、いわゆる横レスが飛んでくることも多い。

タイミングの問題も難しいところだ。対面会議では設定された時間には全員がそこに参加している。したがって発言は適切なタイミングでなされ、その積み重ねによって議論が集約されていく。しかしメーリングリストでは、誰もが四六時中パソコンの前に座っているわけではない。そのため、参加したいと思った時には、すでに議論が特定の方向にどんどん進んでしまっていて、別なスレッドをたてたり、話を元に戻すのが難しいこともある。

座長の不在という点もメーリングリストでの議論を難しくする一つの要因だろう。これはメーリングリストでの運用方針にもよるのだが、座長役だからといって、これまた四六時中パソコンの前にいられるわけではない。したがって各発言者は勝手にどんどん発言をしてしまう。交通整理がなされずに議論が展開していってしまう。仮に座長がいたとしても、議論の展開に応じて、特定の人の発言を要求したり、局所的な議論に陥ったケースを収束させたり、それまでの議論をまとめてみたり、といったことを十分に行うのは難しいように思う。

議論の収束性の不明瞭という問題もあった。議論は展開はしてゆく。しかし、どういう形でそこでの議論が収束するのかについては、各人の主観的印象に任されてしまっている。多くの場合、議論は「発展的」に展開され、話題がなくなるとそれで自然消滅する。座長役が集約作業を担当すればいいのだが、四六時中展開される議論に対してそこまで関与することは座長役の人の負荷を増大させることであり、困難さを伴う。

プロジェクトや委員会でのMLにおける議論の場合には座長がいる。人数も少ないし、参加者はそれなりの責任感を持っているから発言はそれなりにロジカルに展開する。場合によれば意見の集約も可能だ。それでも議論の時間的な展開という点では、誰もが自分に都合のいい時間に発言をするので、多少難しい点もある。特に国際的なメーリングリストでは時差の問題もあって議論の展開に困難さをともなうこともある。しかし、それでも座長の関与度によっては、それなりにまともな議論の展開や意見集約を行うこともできる。

そんなわけで、自由な議論をする場としてメーリングリストを利用することについては困難な点が多いことを実感した次第だ。オールドメディアに新しい利用法を導入するという試みは積極的に試みられていいと思う。ただ、利用目的や利用法に適合した新しいメディアを考えることも必要だろう。メーリングリストというのは、初期の目的であった情報の一方向的な伝達には非常に便利なメディアである。しかし双方向的な議論をするためのメディアとしては、もう少し違った形での仕組みが新たに開発される必要性があるように感じた。

なお、BBSでの議論については別途考えていることもあるのだが、それはまたの機会に紹介したい。

公開:2004年12月6日
著者:黒須教授

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