専用ワープロ再考

パソコンをあまり使い込んでいないユーザの方にインタビューをする機会があった。いろいろと話を聞いていくうちに、この方はパソコンをメールの送受信、Webの閲覧と書き込み、それにワープロソフトによる文書作成にしか使っていないことが分かった。それ以外のソフトは殆どインストールされていないし、わずかにインストールされているソフトもほとんど全く利用していなかった。

もう一つ興味深かったのは、ご自分のホームページを持っているのだが、そこへの書き込みは他の人に作ってもらったCGIで書かれたページのみ。FTPソフトは利用していないのでトップページの更新などはしていない。以前はFTPソフトを使ったトップページの更新もしていたのだが、その手順を書いた紙を無くしてしまったので、どうやったらいいか分からなくなったとのことだった。そんな話をしていて漏らした一言が「やりたいことはあるんだけど、途中のやり方が分からないから・・」だった。

分からないといいながら、ワープロソフトを使った文書作成ではセンタリングとかフォント設定とかはちゃんとやっている。マニュアルを読んだのかを確認すると、ほとんど読んでいないという。「だって、いろいろやっているとできちゃったから・・」ということだった。

この話はパソコンの初心者やあまり使い込んでいないユーザにある程度共通した傾向ではないかと思われる。?@利用する機能がある範囲に限定されていること、?Aやりたい目標は明確なのだが、途中の操作が分からず、面倒に思っていること、?Bマニュアルで系統的な学習をせず、場当たり的に使っているうちに、ある範囲のことはできるようになっていること、がこのユーザの方から分かった特徴だ。

パソコンの黎明期、日本では専用ワープロが主流だった。その背景には、当時は文書作成が市場における一番基本的な要求だったということがあるだろう。文書作成という目的に関しては、専用ワープロはそれなりに完璧だったといえる。文字入力も、ちょっと凝った修飾も、印刷も、保存も、既存文書の再利用もそれ一台でできる。従来の手書き作業と比較して、こうしたメリットは大きなものであり、それが専用ワープロの市場を支えていた。仮名漢字変換という特殊な処理を必要としたこと、また漢字を表示するのに適当な表示性能があったことが、当時のパソコンによる文書作成を凌いだ理由だったといえよう。こうした理由から日本のOA化は欧米とはちょっと違った経緯をたどることになった。

しかし、その後パソコンの性能は向上した。ビットマップディスプレイを備えるようになり、多様なフォントも利用できるようになった。またインターネットの楽しさや便利さも知られるようになった。ゲームなどのエンタテイメントを含め、ソフトさえ入れればマルチメディアを駆使した多様な楽しみ方ができることが分かってきた。専用ワープロもある程度までそれに対抗して頑張ったが、結局はその市場をパソコンに譲り、今では完全に過去のものとなってしまっている。ある意味では、機能と性能というユーティリティの面で専用ワープロはパソコンに駆逐されたといえる。

しかし、この流れをユーザビリティという面から見直してみるのは興味深い。パソコンの機能の多様性や柔軟性を必ずしも必要としていないユーザ、自分のやりたいことは簡単にやってしまいたいと思っているユーザ、しかしそのために系統的な勉強をするのは嫌だと思っているユーザ、こうした人々にとって今のパソコンは適切なユーザビリティを提供しているだろうか。

性能の向上はいいだろう。性能が向上して悪いことはまず基本的にないと考えて良い。しかし機能性の向上を頑張ってしまったために、また多様な機能を柔軟に提供できるようにするために、OSという、専用ワープロでは見る必要のなかった部分がユーザに見えるようになってしまった。それを見なければ使えないものになってしまった。沢山のことができるようになってしまったために、どの選択肢を選んで、どのように操作を進めてゆけばよいのかを学ばねばならなくなってしまった。アプリケーションも多様になり、機能も豊富になった。そのために、全部の機能を使わないのに、沢山の機能の中から自分のやりたいことを選ばねばならなくなった。どこをどういう順番でどのように操作していくかを考えなければならなくなった。

その程度のこと、ちょっと勉強すればよいのに、と思ってはいけない。それすら面倒だし大変だと思っているユーザもいるのが現実なのだ。どうだろう。ユーザに見えないOS、見る必要のないOSというものを改めて考えてみるというのは。基本機能に限定したアプリケーションを構成してみるというのは。

家電製品やAV機器などで時たまそういったシンプルコンセプトの製品が出されてきた。携帯電話でも最近そうした動きがある。こうした流れの中で、今一度、専用ワープロの「意味」を振り返ってみる必要があるように思っている。

公開: 2005年1月17日
著者: 黒須教授