国がやるべきこと

  • 黒須教授
  • 2005年10月25日

経産省や文科省、国交省、厚労省などにいってユーザビリティの話をすると、決まっていわれるのが「それは国がやるべきことでしょうか?」という話だ。

科学研究助成金や科学技術振興調整費など、研究振興として行う枠組みがすでにできあがっている場合には、特にそうした話はでない。国という体制の行うことは、枠組みができているかどうかで大きく違ってくる。枠組みがあるなら先例にしたがえばいい。その中で、申請された研究テーマの適否をそれなりの基準によって判定し、認可を与えてゆく。そうしたルートができあがっているからだ。

しかし、新しい支援の形を相談しに行ったりすると話は全く違う。ルートづけがまだできあがっていない。枠組みができあがっていない。そうした場合、新しいルートをつくり、枠組みを作ることに対して、役所の皆さんはとてもとても慎重だ。もちろんそうした慎重さは大切なこと。貴重な税収を無駄なことに適当に配分するのは避けるべきだからだ。

その点、アクセシビリティやユニバーサルデザインの話だと、国民個人個人に直接関係してくる話であり、かつ、そう解釈できる部分がいろいろとあり、国としての出番があることが理解されやすいのだろう。もちろん地方自治体や個別企業がやるべき部分もあるが、国の施策として行うべきと考えることが容易に思いつくという点が、こうしたテーマの「いい」ところだろう。もちろん、世界的潮流として大きく取り上げられていることもあり、ここで日本がきちんとしなければ諸外国に対して面目が立たない、という意識が働くことも考えられる。

これに対してユーザビリティの話はむつかしい。ユーザビリティが機器やシステムやサービスなどの問題だと解釈されると、科研や振興調整費などによる研究支援の場合を除き、なかなか国に動いてもらうことはむつかしい。それは個々の企業が努力すべきことだと考えられてしまうからだ。

もちろん、機器やシステムやサービスについても、その品質水準を維持するためにいろいろな法的規制を設けることは可能と思われるが、特に経産省は産業の振興と育成を目標にしているため、企業にとって困難な規制を新たに設けることにはきわめて慎重だ。その意味で、所定の基準を満たしていなければいけない、というネガティブチェック的な規制については、国がその枠組みを作ってくれることはまず期待できない。ISOやJISの規格については基本的に規格関係者が自由に設定できるのだが、それは国としての強制力を持つものではない。逆にGマークのようなポジティブチェックの方向については受け入れてもらいやすいが、それでもその申請等のために企業によけいな負担をかけることについての心配をされてしまう。

ユーザビリティがもっと世界的な潮流となっていれば、そして国民一般にも受け入れられる概念になっていれば、かなり状況は違うと思われるが、アクセシビリティほどにはまだ普及していない。それに、アクセシビリティの問題のように国民としての権利に関わるという認識がまだできていない。私自身はユーザビリティも消費者としての権利であり、その権利保護のための適切な法制度の確立は必要だと考えているのだが。

いまのところ、可能性があるかと思われるのは、政府調達についての話と、ユーザの利用状況に関するデータベースの話あたりかと考えている。率先して政府が調達基準の中にユーザビリティを導入してくれれば、それを達成するために個々の企業は努力を行い、結果的にユーザビリティ品質の向上が期待できる。また共同利用のためのデータベース構築の話であれば、個別企業が同時平行的に行うロスを考えると、国なり公的機関がそれを担当すべきだと考えてもらえそうな気がしている。

こうした形で部分的に現状の切り崩しをはかってゆく努力も必要だが、それと合わせて、政府関係者や国民全般の意識改革のための活動も必要だと思われる。その意味で、UPAが提唱しはじめたUsability Day(これについては別途書きます)のような全世界的イベントは、マスコミにアピールし、その結果、日本全体のユーザビリティ意識の向上にも貢献するのではないかと思われる。