プロジェクタを使ったCSCW

  • 黒須教授
  • 2005年12月5日

CSCW(Computer Supported Collaborative Work)、すなわちコンピュータや通信を利用した共同作業の支援については長い研究の歴史がある。一般に、時間的に同時的か継時的か、空間的に同一場所か遠隔地間かによって、それらのシステムを四つに分けて整理することがよく行われるが、その全体を含めると、これまでに著名なものだけでも40以上のシステムが提案されてきた。

同一場所で同時的な共同作業、いわゆる会議を支援するシステムには、発散型思考を支援するもの、集約型思考を支援するものなどがあり、Xerox PARCのColab、EDSのCapture Lab、アリゾナ大学のGDSSなどが有名である。これらのシステムは、会議参加者全員から見ることのできる大型スクリーンと、そこに連動した参加者ごとのコンピュータ、それに彼らの書き込みを支援するためのソフトウェアから構成されている。そうしたシステムは実際の会議室として利用され、また幾つかの企業では実際にそのような会議室を社内に設置した。これらは基本的に大がかりなもので、かなりのコストがかかっている。しかし、現在の時点で振り返って、それらのシステムが本当に有効に利用されたのかどうかを考えると、残念ながら必ずしもそうではない。いろいろな理論が提唱され、知的生産性の向上を何らかの指標によって算出し、さまざまな研究成果が発表されてきたにも関わらず、である。

一般に研究者の考え出したものが、そのまま有効に利用されうるケースは少ない。僕は、それを、技術系の研究者は実際の人間の考え方や気持に疎いことが多いからではないか、などと若干の偏見を込めて考えている。いわゆるユーザビリティマインドが欠落しているからではないか、ということである。もちろん先行研究として、これらのシステムの歴史的意義は大きい。しかし、現実の人間は研究者の予想しなかった要求を持ち、行動をすることが多い。また、現実の利用状況は、予測できない多様性を持っていることが多い。

僕の考えでは、人間というのは自由度を求める。システムによって自分の行動や思考を制約されることは望まない。また人間が生活し、仕事をしている状況は極めて多様だ。突発的にいろいろな状況が発生することがある。そうした状況に柔軟に対応できるためには、システムはあまり強い制約を持ったものではいけない。

さて、同一場所での同時的な作業について、最近は液晶プロジェクタの利用されることが多くなってきた。参加者は各自のノートパソコンを持参し、代表者が自分のパソコンをプロジェクタに接続する。その人がプレゼンテーションを行ったり、参加者のひとりが会議の議事録をリアルタイムで作成し、それを他の参加者がながめながら議論を進めたり、あるいは発散的なアイデアを断片として画面に書き連ねてゆき、それを眺めながら参加者は議論をしていく。このように、発散型であろうと集約型であろうと、液晶プロジェクタとノートパソコンによるCSCWが同一場所での同時的CSCWの主流として定着しつつある。

システム構成としてはシンプルだ。スクリーンと液晶プロジェクタが一組。たまには二組を使うこともあるが、たいていの場合は一組で済む。それと参加者が持参するノートパソコン、それにAC電源と、できることならLAN接続環境。大体こういった構成で現在の同一場所での同時的な作業は行われている。以前の実験的なシステムに比較するとコスト的には大幅なダウンが可能となった。もちろんプロジェクタやパソコンの価格が安くなった影響は大きい。

もうひとつ、大きな特徴は、会議の進捗を管理するソフトウェア無しに議論が進められている点だ。Winogradの提唱したCoordinatorもそうだったが、研究者の考案したシステムは制約が強すぎることが多い。そうした制約は、共同作業を形式的なものにしてしまいやすい。実質的な会議は口頭での対面の議論が主体。画面はその結果を確認できるものであればいい。そうしたシンプルな経験則が、さまざまな試行錯誤の果てに、ようやく確認されるようになったといえるだろう。

現在のやり方は、しかしながら最適とはいえない。表示するパソコン画面を切り替えるためにはディスプレイケーブルを手渡しするような作業が必要である。そのたびにもたついて多少ながら時間をロスする。自分の発言を記録者がタイプしたときに「いや、そうじゃなくて・・」というケースも時に発生する。いささかもどかしい状況だ。

しかし、そうしたデメリットがありながらも、僕には現在のこの形式が一つの集約点であるように思える。ユーザビリティというのは人間の本性と利用状況に適合した人工物の特性である。それらの条件が柔軟性と自由度を重視するものであれば、結果として現在の形に収斂してきたのはきわめて自然といえるだろう。

問題は、そうした人間の本性や利用状況についての理解があるのだったら、最初から、つまり20年以上も昔から、現在のようなシステムの提案をすることはできなかったのかどうか、という点である。いいかえれば、ユーザビリティにもとづくシステム提案はできなかったのか、という点である。

液晶プロジェクタやノートパソコンの登場とその低廉化という技術傾向を予測できたかどうかはその一つのポイントである。しかし管理ソフトの不要さについてはどうだったろう。据え付けのコンピュータであればこそ、管理ソフトという発想が生まれたとも言える。その意味ではノートパソコンの登場と普及という技術に関する大きな時代的変化を予測する眼力を、ユーザビリティ担当者は、技術者と連携しながら持つようにしなければならない・・これがCSCWの歴史から得られる教訓といえるだろう。