ユーザ至上主義

しばしば「最近のユーザは要求仕様が書けない」という言い方を耳にすることがある。これはもちろん、ユーザに要求仕様書を作成してくれと求めた場合の不満ではない。要求仕様書はあくまでもベンダー側で作成するものである。ここで言いたかっただろうことは「最近のユーザは自分の要求をきちんと定義できていない」という意味だ。

ソフトウェアの分かったユーザであれば、何でもかんでも要求すればそれが実現できるとは考えない。ソフトウェアというものの利点を理解しつつも、その限界をも理解していて、適切な要求を提示してくれるからだ。したがって最初の発言は、正確に言い換えれば、最近のユーザは、ソフトウェアが万能であって何でも要求すればそれが実現できるかのように錯覚していることが多い、ということを意味している。

しかし、そうなってしまったのはソフトウェアのことを良く理解していないユーザの責任というよりは、ソフトウェアが万能であるかのような誤解を与えてしまった営業担当やSEの態度に原因があると考えるべきだろう。もちろんユーザも勉強すべきだ。しかし、営業成績をあげようと、ユーザにおもねり、その要求を何でも聞いてしまうような態度を示す営業担当やSEが、ユーザの考え方を歪めてしまった結果である、と言うべきだ。

こうした形で「お客様は神様です」というスタンスを取ることは人間中心設計ではない。ユーザはたしかに開発の視点の中心に置かれるべきだ。しかしそれは人工物を、その「適正な」目標の達成ができるように「適正に」開発することを意味しており、打ち出の小槌を作ることではない。もちろん打ち出の小槌が作れるならそれでいい。しかし現実の人工物にはさまざまな制約条件があり、ユーザが要求したからといって、それを何でも実現できるという保証はない。過剰な要求であれば、その過剰さをユーザにも理解させ、同意してもらうことが必要である。

家を建てるときのことを考えてみよう。ユーザには実現したい夢がたくさんある。しかし通常、予算も限られていれば、スペースも限られている。その中にすべての夢を実現することは不可能だ。沢山の要求を盛り込めば動線的に不適切な室内ができあがってしまうかもしれない。窓をたくさん取ってしまうと構造的に強度が保証されない建物になってしまうかもしれない。そこで建築家はユーザと話しあう。その対話の中で、ユーザの夢を可能な限り実現するように努力しつつ、ユーザが気が付いていない生活上の有効さや効率性を確保しようとする。もちろん建築基準法には適合させなければならない。こうして何回ものやりとりを経て、ユーザもある程度満足できる家ができあがる。

もちろんソフトウェアと同様、家を建てる場合にも、施主は建築中にさらに追加注文をだしてくることがある。それが実現可能であれば、施主の要求であるから、建築者はそれを満足させようとする。しかし、そうした途中変更はどのような場合でも、コストの上昇と納期遅延につながりやすい。その意味で、最初の設計段階で、ユーザの要求を十分に聞き、さまざまな可能性についての情報を提供して、合意できる形で設計をまとめることが必要だ。

医療においても同様なことがある。患者との対話により治療に関するナラティブを構築していくNBM(Narrative Based Medicine)にしても、最近話題になっているPCM(Patient Centered Medicine)にしても、患者を中心に位置づけ、医療サイドがそれに協力してゆく。しかし、それは患者の要望をすべて聞き入れることを意味してはいない。患者の要求事項に対して、そのリスクやコストを的確に明示し、両者の間で適切な治療プランを構築していくのだ。時には患者に我慢を求めなければならないこともある。そうすることで、患者の満足を得つつ、効果のある治療プランがまとめられるのだ。

こうした事例を考えてみれば、ユーザ至上主義が誤ったアプローチであることは自明である。人間中心設計は、ユーザの目標を理解し、ユーザの要望を理解することが前提である。しかし、それはユーザの願望をすべて実現しようとすることとは別なのである。

公開: 2006年3月27日
著者: 黒須教授