個人志向設計の考え方

  • 黒須教授
  • 2006年4月24日

人間中心設計の考え方はベースラインとしては適当なものだと思っている。しかし細目を定義していないため、その運用に際して必ずしも適当とは思えないことがでてくる。

ISO13407にある「intended user」という言い方がその一つだ。これについては以前から、想定していなかったユーザが使うときにはユーザビリティを保証しなくてもいいのか、という議論があった。多様なユーザや多様な利用状況を考慮すべし、というユニバーサルデザインの考え方からすると、この表現は適切ではない。

しかし製造業の立場からいえば、最初から「すべての」人への対応を考慮することは不可能に近い。そんなわけで、ある種の人々を想定範囲に含め、それ以外の人々に対しても多少はそれなりの配慮をするというアプローチ、そしてアクセシビリティを考慮した形で障害者や高齢者を想定範囲に含めるようにするアプローチが採用されるようになってきた。

これはもちろん望ましい傾向ではあるが、そのアプローチを取るにしても多様なユーザの多様さを網羅することはできない。それなりに「typical user」を想定してしまうことになる。たとえば高齢者の典型的な特性はこれこれだから、それに対応するようにしよう、ということになる。しかし現実にはそのtypical userと全く同じ人間はいない。ある意味の理想化だからだ。

典型的なケースを求める理想化の手法としては、シナリオ手法やペルソナの手法がある。当然のことだが、これらの手法でユーザの多様性を網羅することはできないし、網羅的にユーザの多様性を考えることはそれらの手法のもともとの狙いでもない。もちろん、それらの手法には、設計の方向づけを確認できるという意味での効果やメリットはある。しかし、使い方を誤ると、これらの手法はそこで想定されたユーザ群には使いやすいが、それ以外の人には使いにくいという結果をもたらすことになる。

そこで考えられるのが、ユーザによるカスタマイズの機能だ。基本的な機能は典型的と思われるマスユーザに対して設定しておくが、あくまでもそれはデフォルトであり、変更が可能なようにしておく。Windowsでのマウスボタンの機能割り付けの反転機能などはその一例だ。スクロールキーによる画面上下移動の方向とキーの刻印の矢印の方向との関係に関するIBMの研究所における古典的な実験もそうした考え方がベースになっている。

こうしたカスタマイズは非典型的なユーザによる利用をカバーしているという意味では適切な方向性だと思えるが、しかし、それによってすべての機能がカバーできているわけではないのが現状だ。ようするに選択肢が用意されていないことがあるのだ。いいかえれば製造サイドで容易に用意できるものしか提供されていない、というのが現状だといえるだろう。音楽再生ソフトでのスキンの選択など、その一例といえる。僕にとっては、そんなことは「どうでもいい」。もっと本質的な機能についての設定を自由に行えることが大切だと思っている。その意味でmusicmatch jukeboxというソフトの設定は、必要な部分がきめ細かく変更できるので使いやすい。秀丸エディタの設定となると、設定項目がいささか多すぎて却って使いにくい印象を持つが、それはまあ好みの問題だろう。

たとえば乗換案内における印刷メニューは3段メニューを開かないと実行できない。これは面倒だ。それでその機能をワンクリックで実行できるようなボタンを作りたいと思っても、それはできない。こうした機能設計に関わるような、特に操作手順に関わるようなカスタマイズはソフトモジュールの制御フローに関係してくるため、あまり多数を用意できないという事情は分かる。しかしそれはあくまでも製造側の話。ユーザにとっては、制御フローに関するカスタマイズも、選択肢設定に関するカスタマイズも同じようなこと。こうした利用状況を考慮してカスタマイズを用意することは大変な作業ではあるだろうけど、これからのソフトウェアにおいては必要なことだと思う。

ハード製品となると更に状況は困難だ。ソフトならバージョンアップの時にインタフェースを改訂することも容易だが、ハードウェアは一旦市場にでてしまったら、特にそのハードのインタフェースに関する変更はまず無理だからだ。あるメーカの腕時計には電子磁石がついていて、とても重宝している。しかし、その機能が付いている金属製のシリーズはすべてが太陽電池となっている。僕の利用状況には太陽電池は適合せず、すぐにバッテリーが上がってしまうため、バッテリー式のものを求めたかったのだが、それは製造されていなかった。こうした形で、ハード製品の場合には、ユーザの多様性を事前に十分考慮してシリーズ展開することが必要だ。

こうした意味で、今後は、人間中心設計の中で、さらに個人差を考慮したアプローチを重視すべきだろうと考えている。仮のネーミングは個人志向設計(IOD: Individual Oriented Design)だ。これからのモノ作りでは、こうした個人への適合性をもっと重点的に考えるべきだ、という思いを込めてネーミングした。IODに関する理論構築や方法論構築がこれからの課題だと考えている。