ローカルからクラウドへの流れ-致し方ない便利さ
システム手帳を盗まれてしまった。僕はGoogle Calendarを使うようになった。 ローカルな情報の怖さは「それ」を失ったら全てがお仕舞い、という点だ。 一方で、クラウドな世界の怖さは、利便性と引き替えに自由を明け渡してしまう怖さと、利便性の陰に隠れたセキュリティの落とし穴の怖さである。
INTERACT2009というHCI関係の学会に参加するためSwedenのUppsalaにでかけた。ところがStockholmからUppsalaに向かう車内で、網棚に置いたバックパックを盗まれてしまった。座席に座ってSweden語の本などを読んでいたのだが、いつ盗まれたのか、全く気が付かなかった。
何故か初めのうちはアレアレというような呑気な気持ちでいた。パスポートもクレジットカードも現金も無事だったからだろうか。しかし、そのうちにこれは大変なことだと思いはじめた。ノートパソコンも入っていたので荷物は合計金額にして30万円ほどになる。その金額のこともあるのだが、それはカードの保険で多少なんとかなる。問題はシステム手帳を盗まれてしまったことだ。盗人にとってはどうでもいいものだろうが、こっちにとってはとても大事なものだ。
僕は予定をA5サイズのシステム手帳に書いていた。もう10年以上になる。職場ではサイボウズのスケジューラが用意されていて、システム手帳からそこに転記していたが、最新の情報はシステム手帳にしかなかった。長期の予定もプライベートな予定もシステム手帳にしか入っていなかった。同時にシステム手帳は思い出ノートでもあって、コンサートのチケットなんかをそこに貼り付けてもいた。
要するにシステム手帳を盗まれるということは、過去と未来を同時に失うことに等しいことだったのだ。今の自分は現在しかないのだ。そのことに気が付いたら自嘲の笑いと情けなさとで、体から力が抜けるような気持ちになった。
警察に行って調書を作り、職場に国際電話で連絡をしたりした。学会などの仕事がどうにもならないので、現地でパソコンを買うことになった。その設定に丸一日を費やした。何しろSweden語のWindowsやOfficeを英語版にし、そこに日本語入力を組み込み、ウィルスソフトをダウンロードして組み込み、といった具合だったから。ともかくメールができるようになった段階で最初にメールしたのは、可能な限り思い出せる関係者に情報喪失の知らせ、つまり皆さんと約束した予定が分からなくなったので教えて欲しいという内容のものだった。その関係者のアドレスを引っ張りだすために役に立ったのはGmailだった。
そして現在、僕はGoogle Calendarを使うようになった。もう紙のシステム手帳に戻るつもりはない。ローカルな情報の怖さは「それ」を失ったら全てがお仕舞い、という点だ。バーチャルサーバに置かれたオンライン情報なら、どこからでもアクセスできる。これまではGoogleなんて情報世界の支配者になろうとしている会社の世話になどなるもんか、という気持ちでいたのだが、いやはや、こうなったら致し方ない。僕はE-Mobileにも加入しているが、大抵の場所でインターネットにアクセスできる便利さは実にありがたい。要するに紙に書いていなくても、大抵の場所でネットにつながれば、パソコンの中に自分の世界が広がってくる。うーむ、これは「致し方ない便利さ」だ。そんな気持ちでいる。
もちろん現在でもネットに過度に依存することに対する本能的な警戒心はある。GoogleもYahooもMicroSoftもAmazonも、皆、ユーザの個人情報を持とうとしている。ユーザに対して利便性を提供する代わりに、その個人情報をいただくという図式だ。そういうことを警戒している人がどのくらいいるのか分からないが、どうも僕は嫌な気持ちを拭うことができないでいる。別にその情報が国家に流れて、すぐさまOrwellの1984年のような事態になるとは思わないが、国家支配ではなく、企業支配という意味では既にそうした状況に突入していると思う。
要するに人々に主体性を持たせていると思わせれば、自分の意志で決断し選択し行動していると思わせれば、それでいいのだ。その巧みな策略は、コンピュータとネットワークのパワーによって既に現実のものとなっている。そう思っている。それが嫌なら個人でサーバを持ち、個人でシステムを構築すればいいのだが、そのためのコストや時間や何やらを考えると、とてもそんな気持ちにはなれない。安直さと引き替えに本質的な自由を誰かさんに譲り渡してしまっている、ということもできるだろう。
しかし、事件から2週間ほど経ってそうした状況になれてくると少しずつ前向きな気持ちになってきた。いや、単純に神経が鈍磨してきただけかもしれないのだが、クラウドな世界って悪くないのではないか、という気持ちになってきた。特にGoogleが提供しているGoogle DocumentやAdobeのPhotoshop Expressなどを見ていると、まだまだ現状ではレベルは低いものの、近未来のコンピュータ環境がそこに見えてくるように思う。
要するに、パソコンを買い換えるたびに丸一日を費やしてしまうソフトのインストールなんて時間の無駄でしかない。その上で自分の環境にするために各種の設定をする作業だって、毎回ほとんど同じことをしている。全てのアプリケーションがウェブでアクセスできればそんな手間は必要ない。オンライン販売のソフトもダウンロードする手間がいらない。実にシンプルな世界が実現されようとしている。もちろんソフトウェア提供側にしてみれば、それでどのようにして売り上げを稼ぐか、新しいビジネスモデルが必要になる。サイトライセンスの考え方に近いライセンス販売をすることになるのではないだろうか。
そうなると気になるのが個人認証のセキュリティだ。オンラインストレージでMy Documentsもサーバに置いてしまえば、要するにセキュアPCのように空っぽのPCでいいのだが、そのPCを利用する認証手段が確実なものでないと、全てを他人に明け渡してしまうことになる。いや悪人が入り込んでしまえば情報の改ざんや消去などもされてしまう。この怖さはシステム手帳を失う以上のものだ。さて、どうするか。
利便性と引き替えに自由を明け渡してしまう怖さと、利便性の陰に隠れたセキュリティの落とし穴の怖さ。クラウド時代は気をつけないと大変なことになりそうだ。