利用の時代から創出の時代へ

問題発見の努力を米欧に任せ、その成果を輸入して利用するだけのただ乗り的な姿勢はないだろうか。独自の問題意識をもって活動ができているかどうかという点は、人間中心設計における重点の置き方にも関係してくる筈だ。問題を見いだし、それを概念化し、そのための方法論を構築する。そうした創出のアプローチがどんどん日本で出てくることに期待している。

 「右にならえ」の傾向の強い我が国の実態を見ていると、イライラした気持ちになることが多い。右というのは偶々なのだが地図の上での右と一致していて、アメリカの影響がもっとも強く、さらにその右にある欧州の影響がそれに次ぐ、という形になっている。アジャイルもクラウドもサステイナビリティも皆カタカナ語。どうして日本人は自分たちで概念化しようとしないのだろう、どうして利用するばかりなのだろう、と思う。

 たとえばサステイナビリティという概念は、先日のUPAのWorld Usability Dayのテーマになっていたけれど、僕にはユーザビリティと本質的に深い関係がある概念とは思えなかったし、それを提唱したUPAの会長のSilvia Zimmermanと話をしてみても、やはりそう思えなかった。単に時代のキーワードになっているサステイナビリティを利用させてもらいました的な図式にしか受け取れなかった。そうしたテーマを(まあWUDに参加しているから使わざるを得なかったのだけど)日本でも使ってしまったことは我ながら理解できずにいる。何も米欧における流行をそのまま引き受けなくても良さそうなのに、というのが実感だった。

 ともかく、米欧と日本とでは問題意識のあり方が違うのかもしれない。一般に、米欧でも実務家は学会に情報収集のためにやってきて、そこで自分に有用な情報を見つけ、それを自分の活動に取り入れようとする傾向が強い。だから、手技法や概念の問題については、大学や研究所の研究者が中心に行う傾向がある。しかし、そうとばかりもいえない。Contextual Designを提起したKaren Holtzblattは実務家だし、Donald NormanもJakob Nielsenもいまでは実務家である。だから大学や研究所にいるユーザビリティ研究者や人間中心設計研究者の数が少ない日本でも、実務家の皆さんの中からどんどんそうした創発的な提案がでてきていいと思うのだ。

 そんなわけで、問題発見の努力を欧米、いや米欧に任せていて、その成果を輸入して利用させていただいている、というただ乗り的な姿勢があるのではないかという気がする。新しいネタを米欧に求めてしまい、自分たちで作りだそうとしない姿勢。そうした姿勢が歴史的に染みついてしまっているのが日本人の国民性なのか、と問題提起をするのは悲しいことだ。

 例外的なケースのひとつが感性の領域だろう。この領域を概念化したことは偉業と評価してもいいと思っている。感性という用語が英訳しにくいなどといってと嘆くことはない。Kanseiでいいと思う。この領域に関しては、アニメや漫画等々に突出している日本人の視点や意識構造、さらには社会の仕組みといったものを、もっときちんと把握する必要があると思っている。その点、感性という概念の提起はしたけれど、いまだにその定義が明確になっていないという状況は好ましいものではない。提案したからには、たたき台レベルのものであってもいいから、何かを出すべきだと思う。

 独自の問題意識をもって活動ができているかどうかという点は、人間中心設計における重点の置き方にも関係してくる筈だ。たとえばユーザビリティの評価をする際に、有効さや効率だけを重視していればいいのだろうか。総合的指標としての満足感をもっと分析的に、またもっと総合的に把握することが必要ではないのか。そのためには、QUISやSASやWAMMIなどを使うだけでは明らかに不十分だ。

 この満足感に関連して、最近ではドイツのMarc Hassenzahlという人が、イスラエルのNoam Tractinskyと共同で、pragmatic qualityとhedonic qualityという区別を概念化して、それを測定する尺度を提案している。世界の関係者はどんどん大胆に取り組んでいるのだ。これを受身的に待っているだけでいいのだろうか。ぜひ我々自身で評価システムを作ろうではないか。

 話は違うけれど、きっかけがどうであれ、昨年、電子政府のあり方に関するユーザビリティガイドラインが日本でできたことは、国民というユーザの総体の目標達成を満足できる方向に導くためのひとつのステップとして重要なものだった。そして、それが契機となり、世界に先駆けて人間中心設計専門家の認定システムを稼働させようとしていることも(手前味噌的ではあるが)意義あることだと考えている。このような日本発の動きが少しずつだけど出てきているのは確かだ。あとはそれを海外にも紹介し、向こうから調査のために日本を訪問したいという気持ちにさせるようにしようではないか。

 自分たちの生活や意識を、もっときちんと見つめ、そこに問題を見いだし、それを概念化し、そのための方法論を構築する。そうした創出のアプローチが少しずつでもいいから生まれてくることに期待している。

公開:2009年12月25日
著者:黒須教授