ペーパープロトタイピング:実装前のユーザデータ収集
ペーパープロトタイプなら、初期段階のデザインアイデアのユーザ・テストが、非常に安価に実施できる。これによってユーザビリティ問題が修正できるので、使えないものを実装してお金を無駄にすることはなくなる。
Carolyn Snyder は Paper Prototyping: Fast and Simple Techniques for Designing and Refining the User Interface というすばらしい新著を書きあげた。書名が示すとおり、これはペーパープロトタイプを作成し、ユーザインターフェイスデザインに関するユーザビリティデータを、コストをかけずに収集する上で必要となるあらゆる実践的情報を網羅した本だ。この本のアドバイスに従えば、中規模プロジェクトのデザイナーが、数 1000 %の ROI を上げることも可能だろう。
シンプル過ぎて信用できない?
この本は非常に優れていて、正確かつ価値あるアドバイスを提供している。とはいえ、一度目を通したら、それっきり書棚でホコリをかぶる危険性もそうとうに高い。高品質なユーザ体験を作る上で資するところ大となる可能性を秘めているのだが、私の経験からいって、実際のデザインプロジェクトでペーパープロトタイプを使うデザイナーはめったにいない。
どうしてデザインチームは、ペーパープロトタイプを使わないのだろう? 莫大な費用や時間がかかるから、管理者としては、〆切に間に合わせるためにこれを割愛せざるをえないのだろうか? そんなはずはない。ペーパープロトタイプは、もっとも迅速かつ安価に、デザインプロセスに取り入れられる技法のひとつだ。
ペーパープロトタイプが利用されないのは、こんなにシンプルで安価な手法で、十分な情報が集められるとは思われていないからである。プロジェクトを改善するにはもっと額に汗しないといけないはずなのに、これではなんだか手を抜いているような気分になるのだ。「あまりに簡単で、話がうま過ぎる」。頭の中でこんな声が聞こえるようだ。「顧客に見せるのは、もっとましなユーザインターフェイスができてからにするべきだ」。だが、これは間違いだ。待ったが最後、手遅れになってしまい、ユーザビリティ調査結果を生かしたデザイン方針の変更はできなくなってしまうだろう。
ここで明言しておくが、ペーパープロトタイプは有効だ。ペーパープロトタイプにもたくさんのグレードがある。いずれにしても、その制作とテストにかかる時間に比べて、非常に大きな価値がある。私は、ホームページのモックアップ 3 種類しかない状態でウェブサイトの調査をしたこともある。それでも、問題のサービスをみんながどのように利用するのか、また、デザインコンセプトがユーザにどのように伝わっているかについて、たくさんのことがわかった。
ペーパープロトタイプが節約につながる理由
20 年に及ぶユーザビリティ工学の経験から、ひとつ一致した見解がある。デザインプロジェクトのできるだけ初期の段階でユーザビリティデータを集めることが、ユーザ体験の改善にもっとも役立つのだ。問題に関するプロジェクトの基本アプローチを変更し、機能セットを変更し、ユーザインターフェイスの構造を変更することができるなら、ユーザビリティ指標の劇的な増加が見込めるだろう。ユーザビリティ調査結果は、プロジェクト後期でもやはり役に立つ。ユーザインターフェイスの細部を微調整することにも意味はある。だが、後の段階での変更には、最終的なユーザ体験に対する影響力の面で、デザインの初期段階に行う根本的変更ほどの力はない。おおざっぱな概算ではあるが、私にいわせれば、初期段階のユーザビリティデータには、後期のそれの 10 倍ほどの価値がある。後期のユーザビリティ調査で、最終デザインの指標が 100%向上することも珍しくないが、初期のユーザビリティなら 1000%、もしくはそれ以上の向上が見込める。
40年のソフトウェア工学の経験から、ひとつ一致した見解がある。開発プロセスの後期よりも、初期段階で製品を修正した方がずっと安くすむ。よくいわれる概算によれば、コードを 1 行も書き始めないうちに修正しておけば、実装ができあがるのを待ってからやるより、100 倍も安価ですむのだ。
つまり:デザイン上で必要な変更点を早いうちに発見しておけば、その影響力は 10 倍になり、変更の費用は 100 倍も安くすむ。この両分野からの経験は明白である。つまり、先手必勝ということだ。
初期のユーザビリティ調査の利点はとてつもなく大きいのだから、是が非でもペーパープロトタイプを取り入れるべきである。プロトタイプには、きちんと開発されたデザインでのテストほどの効果があるように思えなくても、ぜひやるべきだ。すなおにやってみれば、この「原始的」なプロトタイプから得られる洞察の多さに驚くことだろう。私のいうことは信じられないというのなら、おおぜいのユーザビリティ技術者、ソフトウェア技術者たちの経験を信じてほしい。先制攻撃の効果があまりに大きいために、プロトタイプの品質差など問題ではなくなるのだ。
定番のユーザビリティ手法
ペーパープロトタイプには、もうひとつ利点がある。現在のデザインプロジェクトの品質に影響を与えるだけではないのだ。それはあなたのキャリアにとっても有益なものになるだろう。コンピュータやウェブデザインといったテーマで、今までに読んできたすべての書籍について考えてみてほしい。そこで学んだことのうち、10年先になっても使えそうなものは、いくつあるだろう 20年先には? かつての私の上司、Scott McNealy の名言がある。テクノロジーの賞味期限は、バナナ並み。
これとは対照的に、ペーパープロトタイプテクニックの賞味期限は、そう、紙と同じくらい、といっていいだろう。いったんペーパープロトタイプを身に付けたら、この先の実務の、あらゆるプロジェクトでこれが使える。20年後にどんなユーザインターフェイス技術が人気を集めるのか私には見当も付かないが、こうしたデザインをユーザビリティ評価にかけなくてはならないことはわかっているし、初期段階の調査で、ペーパープロトタイプがやはり有益なテクニックとなるであろうこともわかっている。
書籍情報
Carolyn Snyder: Paper Prototyping: Fast and Simple Techniques for Designing and Refining the User Interface. Morgan Kaufmann Publishers, 2003. ISBN 1558608702.
邦訳: Carolyn Snyder著、黒須正明監訳: ペーパープロトタイピング 最適なユーザインタフェースを効率よくデザインする.オーム社、2004年.ISBN 4274065669.
2003年4月14日