ユーザーとしてのAIエージェント
人間だけでなく、今やAIエージェントもデジタルインタフェースを利用している。両者のためにデザインするには、「ユーザー」の意味を見直し、アクセシビリティを重視する必要がある。
デザインに携わる人々は、ユーザーのためにデザインするとはどういうことかを何十年もかけて洗練させてきた。ユーザーの行動を調査し、そのジャーニーをマッピングし、彼らのニーズに照らして自分たちの想定が正しいかを検証している。デザインという分野は、プロダクトやサービスを利用しているのは誰かを理解し、それに応じてデザインすることを中軸としており、そうであるべきだ。
しかし、今や、AIエージェント(行動、進捗の評価、次のステップの決定を繰り返しながら、目的を追求するシステム)も我々が人間向けにデザインしているデジタルインタフェースを利用している。
AIエージェントは、ウェブサイト内を移動し、フォームに入力し、選択肢を比較し、取引を実行している。そのやり方は粗雑で、信頼性に欠けることも多く、できることもかなり限られているが、我々がこれまでAIエージェントをユーザーとして認識してこなかったとしても、彼らは実質的には我々のインタフェースのユーザーである。この現実に即して考えるには、概念上の転換が必要だ。根本的な前提を改める必要がある。つまり、「ユーザー」はもはや「人間」と同義ではないのである。
広がる「ユーザー」の定義
デジタルデザインの歴史の大半において、「ユーザー」という言葉は、暗黙のうちに、画面の前に座っている人間を意味してきた。デザインヒューリスティクス、ユーザビリティ原則、調査手法のほとんどは、その対象が人間であることを前提としている。
しかし、現在、人々は、カレンダーを統合して新しい予定を追加する、航空券を予約する、リフィル処方箋の次回分の薬が薬局に用意されたかを確認する、予算内で評価が最も高い商品を探す、といったほぼ無限ともいえるほど多様なタスクをエージェントに実行させようとしている。エージェントは人間のユーザーが行うのと同じように、デジタルインタフェースを通じて情報を探し、どのようなアクションが可能かを理解し、それを実行している。
ユーザーエクスペリエンスの理念に反するように感じられるかもしれないが、この現実が意味するのは、次に挙げるように、エージェントは機能的な意味ではまぎれもなくユーザーだということである:
- 目的がある。
- インタフェースに接する。
- そのインタフェースを通じて目的を達成しようとする。
- インタフェースがその試みを支援できることもあれば、できないこともある。
エージェントもユーザーとみなすことが重要なのは、我々が現在デザインしているインタフェースが、この新しいタイプのユーザーへの対応にすでに失敗しているからだ。その結果、今度はそうしたエージェントが画面の向こう側にいる人間を支援できていない。
今、エージェントはどのようにインタフェースを利用しているか
エージェントがデジタルインタフェースを利用する主な方法は3つあるが、我々がインタフェースをデザインする上で前提にしてきたことのうちの何がエージェントに通用しないかはアプローチごとに異なる。
視覚ベースのインタラクション
最も初歩的なアプローチは、エージェントが人間のやり方を模倣し、インタフェースのスクリーンショットを撮って、ビジョンモデルを使い、そこに表示されている内容を解釈するというものである。エージェントは表示中のページを見て、要素(ボタン、テキストフィールド、ナビゲーション項目)を特定し、何をクリックするかを決め、これを繰り返す。
このアプローチはコストが高い。つまり、処理に時間がかかり、計算資源を浪費し、エラーが起きやすく、トークン消費量も多い。モデルが1枚のスクリーンショットを処理するだけで数万トークンが必要になり、しかも、そうしたスクリーンショットでは動的コンテンツや複数ステップのワークフローに十分に対応できない。
アクセシビリティツリーの解析
ページのスクリーンショットを撮る代わりに、エージェントはブラウザのアクセシビリティツリー(ブラウザがHTMLから生成するページの構造化表現)を読み取ることもできる。このアクセシビリティツリーは、視覚障害のある人がインタフェース内を移動できるようにするためにスクリーンリーダーが利用するデータ構造と同じものである。
アクセシビリティツリーは、ページ要素の役割、ラベル、状態、相互関係を整理された階層構造で表現する。処理に必要なのは数千トークンのみで(スクリーンショット方式が必要とする量より大幅に少ない)、より信頼性の高い情報が得られる。
アクセシビリティを考慮して適切に構築されたインタフェースは、そのままでエージェントにとって理解しやすい。セマンティックHTMLや適切なラベルが付いた要素、明確な役割、論理的なページ階層は、エージェントにも有効だからだ。
APIへの直接アクセス
3つ目は、インタフェースを一切経由せず、エージェント間のインタラクションやエージェントとAPIのインタラクションを行うアプローチである。構造化されたAPIを利用できる場合、エージェントは、ページの視覚表現や構造表現を介することなく、データを直接照会し、アクションを実行できる。
モデルコンテキストプロトコル(MCP)のような新たな規格の登場により、このアプローチは標準化されつつあるが、だからといって普及が進んでいるわけではない。
エージェントがユーザーの場合、何がうまくいかなくなるのか
ごく日常的な例で考えてみよう。ある保護者が、エージェントに学校のウェブサイトで今後の行事を確認し、その日付を家族の共有カレンダーと照合して、予定の重複があれば知らせるよう依頼したとする。人間なら、行事のページを流し読みし、日付を控え、カレンダーを確認するだろう。
エージェントの体験はこうではない。学校のウェブサイトは、保護者が視覚的に流し読みすることを前提にデザインされ、行事は、日付・時刻・説明を空間的にグループ化したかたちで一覧表示されている。人間ならこれを読むのに苦労することはないだろう。しかし、スクリーンショットを解析するエージェントは、すべての情報をピクセルのまとまりから推測しなければならない。つまり、どのテキストが日付で、どれがタイトルなのか、そしてそれらがどのような関係にあるのかを判断する必要がある。行事のページが動的に読み込まれることもあり、読み込みが完全に終わっていないページをエージェントがキャプチャすることもありうる。行事によっては、ウェブサイトに掲載されているものもあれば、ダウンロード可能なPDFに掲載されているもの、保護者用ポータルにログインしなければ見られないものもあるかもしれない。
こうしたステップごとに、エラーが発生する可能性は高くなり、トークンの使用量も増えていく。これほど日常的でありふれたことを完了するだけでも大がかりなタスクになる。ましてや、プロフィールを変更する、商品を注文する、空き状況を確認して予約するといった、より複雑なタスクをエージェントが完了しなければならないとなればなおさらである。
短期的には:人間とエージェントの両方に向けたデザイン
当面のデザイン上の課題は、「人間のユーザーとエージェントユーザーの両方に同時に対応するインタフェースをどのように構築するか」である。(ただし、その双方に対応するかどうかはコンテキストに依存し、ユーザーによるエージェントへのタスクの委任がプロダクトやサービスの理念に沿っていることが前提となる。)
このデザイン目標を実現するのが、明確で説明的な要素名、予測可能なインタラクションパターン、論理的なページ階層、セマンティックHTML、ARIA標準といったアクセシビリティガイドラインである。これらは、デザインに携わる人々が、長年理解はしながら、しばしば優先順位を下げてきたアクセシビリティの基本である。
アクセシビリティへの投資はこれまでも正しいことだったが、今ではビジネス上の観点からも明確な根拠がある。というのも、短期的には、エージェントはアクセシビリティに対応したインタフェースを通じてプロダクトやサービスを利用することになるからである。アクセシビリティに徹底して取り組んできた企業は、そのことには気づいていなかったかもしれないが、エージェントがすでにより円滑に操作できるインタフェースを構築してきているのである:
- 明確で説明的なラベルづけ。アイコンのみのボタン、あいまいなリンクテキスト(「ここをクリック」など)、視覚的コンテキストに依存するラベルを使用しない。
- 予測可能で一貫したパターン。一貫したナビゲーション構造、標準的なフォームパターン、予測可能な状態変化は、複数ステップのワークフロー全体でエージェントのエラーが積み重なる可能性を減らす。
- 視覚だけで示される情報アーキテクチャへの依存の最小化。エージェントが要素同士の関係を理解できるようにするには、構造を示すマークアップに視覚的なグループ化を反映しなければならない。
これらの推奨事項はいずれも新しいものではない。インタフェースを障害のある人にとってよりユーザブルにし、さまざまなデバイスやコンテキストにわたって堅牢にして、長期にわたって保守しやすくするための原則と同じだからだ。
エージェントにプロダクトを利用させたくない場合は
ビジネスモデルやプロダクトカテゴリーによっては、エージェントにプロダクトを利用させることが望ましくない場合も確かにある。エージェントを念頭に置いてデザインすべきだという主張は、ユーザーの代わりに機械が行動する場合でもユーザーの目的と企業側の目的が一致していることを前提としている。しかし、常にそうであるとは限らない。
訪問そのものが価値である場合
人間が実際にアプリやサイトを訪れることで事業が成り立っている企業もある。こうした企業にとって、人間が訪問することなく、価値だけを引き出してしまうエージェントの存在は、事業の存続に関わる問題である。広告収益型のコンテンツサイトやコンテンツマーケティングサイトでは、この変化の影響がすでに指標に現れはじめている。
ストリーミングサービスもこの問題を別のかたちで抱えている。NetflixはユーザーにNetflix内を「見てまわって」ほしいと考えている(見てまわっている間に、オリジナルコンテンツがユーザーの目に触れ、リテンションを促進するエンゲージメントループが強化される)。しかし、ユーザーがアプリを一度も開いていない状態で、「今夜は何を見ればいい?」という問いに答えるエージェントは、Netflixが長年最適化してきた発見の体験を損なう。
摩擦が意図的に設けられている場合
インタフェース内のすべての摩擦がデザインの失敗というわけではない。規制上、法律上、または安全上の理由から摩擦が存在し、それを取り除けば法的責任が生じる分野もある。
金融サービスには、その例が数多くある。安全確認のチェックポイントや法的な開示なしに、エージェントが容易に取引を実行できるようにする証券会社は、法規制上のリスクを自ら招くことになる。この摩擦は必要なものである。
ヘルスケアプロダクトも同じような課題に直面するだろう。HIPAA(訳注:アメリカの医療保険の相互運用性と説明責任に関する法律)は、患者データへのアクセス方法と誰がアクセスできるかを制限しており、患者の代理として行動するAIエージェントがアクセスを許可された者とみなされるかどうかという問題は未解決である。この問題が解決されるまでは、エージェントによるアクセスをヘルスケア関連組織が認めないことには正当な理由がある。
競争上重要な情報を保護する場合
背後にあるデータが競争上重要なものであるため、機械には意図的に読み取りにくいように設計されているインタフェースもある。
航空会社やホテル、レンタカー会社は、スクリーンスクレイピングを行うボットと長年戦ってきた。各社の価格設定は動的かつ独自のものであり、戦略的に管理されている(競合他社や価格比較サイトは、まさにそうしたデータにリアルタイムでアクセスしたがっている)。エージェントが利用しやすいインタフェースにすると、これまでの取り組みがすべて台無しになってしまう。
プロダクト自体をエージェントにしたい場合
自らがエージェント層に「なりたい」と考えているプラットフォームは数多くある。一部のプロダクトは自らのAI機能を差別化要因とみなしているため、サードパーティエージェントによるアクセスを積極的に制限している(外部からのMCP呼び出しをブロックする、APIで公開範囲を限定するなど)。自社プロダクトがユーザーデータの上に位置する「インテリジェントな層」であることがそのプロダクトのバリュープロポジションになりつつあるなら、外部エージェントに自社のプラットフォームを単なるデータ保管場所として扱わせることは、自社が構築しようとしているものをコモディティ化してしまうことになるからだ。
エージェント対応をしないことによる競争上のリスク
ここまで述べたことは、エージェントをブロックするという判断にリスクがないという意味ではない。競合他社がエージェントをブロック「しない」場合に何が起こるかというのは、さらに難しい問題である。
銀行で働いているなら、セキュリティ上の理由から、エージェントが顧客の代理として取引を実行できないようにするというもっともな選択をするかもしれない。しかし、同様の金融プロダクトを提供する競合他社が資産運用を行うエージェントに対応していると宣伝しはじめたらどうなるだろうか。
これは誰もが一律に従うべきことではなく、戦略的に判断すべき問題である。エージェント向けにデザインすることが常に正しい判断とは限らないが、エージェント対応を一切しないことにもリスクがある。エージェント向けに最適化するかどうかにかかわらず、エージェントが自社のプロダクトを利用しようとすることを我々全員が(少なくとも)認識しておく必要がある。
より長期的には:インタフェース層が分岐するとき
エージェントが構造化データを照会してアクションを実行できるようになると、視覚的インタフェースはエージェントにとって不要になる。エージェント対応APIを通じてサービスを提供する企業が増えるにつれ、人間のユーザー向けとエージェントユーザー向けでは、デザインの課題もますます異なってくるだろう。
それでも、人間には引き続き(視覚的で、インタラクティブで、理解と意思決定のためにデザインされた)インタフェースが必要である。
エージェントは、基盤となるデータとロジックを直接利用することになる。人間が得る体験は、その人のエージェントがタスクを完了できるかどうかに左右されるだろう。
結論
「ユーザー」という言葉はもともと、ある存在を簡潔に言い表すための表現だった。我々がデザインしたものを通じて目的を達成しようとする存在を指していたのである。そして、何十年もの間、その存在は人間に限られていた。しかし、もはやそうではなくなった。
エージェントをユーザーとして認識するには、この分野が生まれて以来の我々の実務での暗黙の前提、すなわち、「ユーザー」のとらえ方を広げる必要がある。この転換によって、誰を対象にデザインするのかという範囲が広がり、我々が重要だとすでに認識している実践、すなわち、セマンティックな構造、アクセシビリティ、明確なラベルづけ、予測可能なインタラクションパターンに取り組むことの緊急性が高まる。
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