データは永遠に

  • by Jakob Nielsen
  • 1997年1月1日

1997年のウェブトレンドに関するコラムへの補足記事

従来のコンピュータ科学では、よくこんなことが言われる。

  • ハードウェアは数年: その後はもっと速いものにアップグレードする
  • ソフトウェアは何10年: いくら速いコンピュータを手に入れても、ソフトは昔のまま使い続けたいはずだ。20年以上前に書かれたソフトを未だに使っている企業がたくさんあるのはこれが理由だ。当時は、西暦2000年なんて遠い先の話だと思っていたので、世紀を省いて日付をエンコードしていた(例: 75/7/4)。ソフトをアップグレードする場合でも、古いコードのかなりの部分は新しいバージョンでも残っている(1980年代、Microsoftがユーザビリティラボを設置する以前に決められた間違ったデザイン方針のせいで、MS Wordのユーザは、未だに苦しむことになっている)。
  • データは永遠: 例えば、顧客のアドレスをいったん記録したら、この情報をいつまでも保持したいはずだ。それは老朽化したハードウェア、ソフトウェアを、ゼロから総入れ替えしたくなった場合でも変わらない。

ウェブでも同じことが言える。ハードウェアの将来は危うい。成功したサイトなら年に数回サーバをアップグレードする必要があるだろう。ブラウザを始めとしたソフトウェアも、常に流動的な状態であることは誰もがみんな知っている。

ウェブデータ(主にページの形態をとるもの)は、ウェブハードウェアやソフトウェアよりも、ずっと長く生き続けるべきである。ほとんどのユーザが新しいページに行くとしても、古いページに興味を持つユーザも存在する。例えば、Sunでは、これまでに出荷したほとんどすべての製品に利用客がいる。よって、これら旧製品も興味の対象となっている。販売用ページにさえ興味を持つユーザがいる。新しいマシンに入れ替えた企業から、旧型機種を買い取ろうと考えているサードパーティ顧客だ。彼らが中古機材を購入しても私たちには1銭も入ってこないが、それでもサードパーティ顧客をサポートすることには意義がある。サービス契約をしてくれるかもしれないし、後々、彼ら自身がアップグレードする際には、もっとも有望な見込み客になるはずだからだ。

もうひとつ例をあげよう。1946年のHumphrey Bogartの映画The Big Sleepを見ようかどうか、考えているとしよう。もちろん、Cinemaniaのようなサイトへ行けば、現在の評価が読めるわけだが、1946年当時のThe New York Timesが、この映画をどう評価していたかわかったらおもしろいとは思わないだろうか?もちろん、映画の学生なら、制作当時の状況下で、この映画がどのような評価を受けたかは気になるはずだ。この例からもわかるとおり、もし50年前のページがオンラインで読めるようになっていれば、Timesウェブサイトはどれほどよくなることだろうか。また、今年の新作映画Evitaの評価記事が、2020年に何千ものヒット数を稼ぎ出すことも難しくない。

結論は明らかだ。今日デザインされたページは、今後何年経っても利用される可能性がある。よって、デザイナーは、できるだけ標準にそったマークアップをしておくべきだ。また、できるだけ恒常的価値のある情報を作り出すよう心がけよう。もちろん、古いページを何度も補修したって構わない(そもそもの先読みが甘かったばかりに、「2000年問題」解決のために、大枚はたいてコンサルタントを雇うはめになるのと変わらない)。だが、これは高くつくし、結果として、古いページは忘れ去られる可能性が高い(もし存続していれば顧客に新たな利便性を提供できたはずで、それによって生まれたはずの機会も失うことになる)。