生活にとって意味があるということ

我々の生活における究極の目標を意味があること(meaningfulness)と考えたとき、それは何を意味するのだろう。まだ考えが十分煮詰まっているわけではないが、試行的にその概念構造を考えてみたい。

我々の生活は人工物と自然物に取り囲まれている。さらにある意味では自然物であり、別な意味では人工物であるような人間にも取り囲まれている。その意味で、我々の生活における環境や対象は、人工物、自然物、人間の三つに分けることができるだろう。

我々が人工物に対してすること、それは「使う」ということだ。その意味でusableつまり「使える」ことは人工物が生活に適合しているかどうかを判定する基準として利用できるだろうし、したがってユーザビリティという概念を用いることも妥当と考えられる。ただし、人工物の中にはアートのように「存在する」だけで意味があるものもあるが、それとて最初からその場所にあったわけではない。特定のものを選んで、特定の場所に置いて、という行為の中には目的的意識があったはずである。それは生け花や花の鉢植えのような擬似的自然物、いやしっかりと人工物であるのだが、においても同様である。したがって、何かを鑑賞のためにどこかに置く、ということもやはり広い意味で「使う」ということの一部であると見なすことができる。

さて自然物に対してはどのような動詞が対応するのだろう。それを人工物として利用するための素材と見ることもできるが、それはちょっと(悪い意味で)人間中心的すぎるのではないだろうか。その意味では「共存する」というあたりが生態学的に見ても適切な動詞と考えられよう。英語にするとどんな単語が適切なのか分からないが、co-existableなんて表現でいいのかもしれない。

次に人間に対してはどのような動詞になるのだろう。自然物と同様のスタンスからいえば、協調的にする、という概念になるのかもしれないが、世の中には他人との接触を拒み、一人でいることの方を好む人々も結構いる。ただ、そういう人たちでも全く他人との接触を行わないで生きてゆくことは困難なわけで、最小限度のつき合い程度はやっているだろう。店頭で黙って品物をだして、黙って金をだしてモノを買ってゆくような人でさえも。その意味では、彼らなりに協調的な生き方をしているということもできる。とするとcooperativeといった概念に集約できるのかもしれない。

多少強引に、meaningfulnessをusable(artifact)、co-existable(nature)、cooperative(people)から構成される概念であると位置づけてみた。まだこれは仮説の段階なので、これからこの仮説を仮説演繹的に使ってみて行きながら、その妥当性を検証したり、修正をしていくことになるだろう。

さて、meaningfulnessの下位概念としてusableを考えたとき、そこにはさらにフェーズによって三つのあり方が区別されるように思う。ものごとは一般に時間軸上で成長曲線にしたがって変化する。つまり、成長期(上昇期)、安定期、衰退期(下降期)である。成長期に望まれること、つまり何らかの人工物に出会い、それを使えるようになろうと努力する時期においては、できるだけ早くそれが使えるようになることが望ましい。縦軸に水準、横軸に時間をとった成長曲線の上でいえば、その傾きが急であることが望ましいといえる。一般のユーザビリティ活動は特にその初期段階に注目しており、初心者が出来るだけ早く、当該機器やシステムを使えるようになることを評価の基準としている。だが、それと同時に成長曲線での右上がりの線ができるだけ高い水準にまで到達できること、つまりいつまでも初心者レベルにとどまっているのではなく、できるだけ熟達した水準にまで到達できるということも大切なことといえるだろう。最近、長期的な視点からユーザビリティを考える動きがでており、その視点はこうした側面に関係していると考えられる。次に安定期だが、ここでは、その水準を低下させずに所定の位置に維持することが大切だろう。ユーザビリティでいえば、ちょっと使わないでいたら使い方を忘れてしまった、というようなことがないようにすることなどがそれに対応するだろう。衰退期については、人間の能力の時間的、というか加齢による変化に十分抗しきれることがユーザビリティの観点から大切である、といえるのではないだろうか。これはユニバーサルデザインの考え方にも通じるものだが、たとえば老眼でモノが見えにくくなっても、そうした機能低下に対して十分に利用可能な機器を提供すること、がその一例といえよう。

まだ十分に練り込んだ考えではないが、このようにして概念構造を整理することによって、ユーザビリティの目標や活動の意義付けを整理することができるように思っている。

公開:2002年4月22日
著者:黒須教授

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