ものづくりの三軸
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意味性、品質、感性

成熟製品は、その意味性が明確になっているので、機能と性能の水準が一定のレベルに到達したら、あとは価格競争に入るものと考えた方がいいが、多機能性などを追求しはじめると、意味性の欠落した機能を持った製品が多数出現してくることがある...

友人のNoam TractinskyがeBookにVisual Aestheticsという章を執筆した(http://www.interaction-design.org/)。これは無料で読むことのできるHCI関連の百科事典であり、こうした企画はとても有意義なものだと思う。僕はTractinskyから依頼されて、彼の執筆した内容にコメントを書くことになった。そのコメントもネットで公開される。完成が遅れているが、2、3ヶ月の内には掲載されるだろう。

さて、TractinskyのAestheticsの話は、ローマ時代の建築家であるVitruviusの考え方の引用から始まっている。Vitruviusは、建物には、FirmitasとUtilitas、そしてVenustasの三つの特性が必要であるとしている。Firmitasというのは堅牢さのことであり、建築以外に一般化すれば、信頼性や安全性などと考えることができるだろう。Utilitasは有用性のことであり、今風にいえばユーティリティやユーザビリティということになるだろう。そしてVenustasは審美性のことであり、感性的魅力ということができる。

この話を読んで思ったのは、Brian Shackel以来のユーザビリティ関係者やUX関係者、そしてユーザビリティに関連したISO規格が扱ってきた内容と、Vitruviusの三つの特性との符合である。まずShackel(1991)は、ユーティリティ、ユーザビリティ、ライカビリティを問題にしており、それはUtilitasとVenustasに対応している。ついでNielsen(1993)は、Firmitasに対応した信頼性や安全性などの他、Utilitasに対応したユーティリティ、そしてユーザビリティ(Venustasに対応する満足感はユーザビリティの下位に位置づけられているが)を取り上げている。

特に、UtilitasとVenustasについては、ISO規格であるISO9241-11(1998)も、したがってまたISO13407(1999)もユーザビリティという概念で(満足感をユーザビリティに含めた形で)取り上げている。またPatrick Jordan(2000)は、機能性とユーザビリティと嬉しさという形で、三つの側面を個別に取り上げ、それらに機能性から嬉しさに至る順序づけをしている。さらにMarc Hassenzahl(2000)は、人間工学的品質と感性的品質という形で、またHassenzahl(2003)では実用的特性と感性的特性という形でUtilitasとVenustasを取り上げている。

ISO規格でソフトウェア関連の規格だったISO9126(2001,2004)では、パート1とパート4で信頼性やメンテナンス性、安全性などのFirmitas、機能性やユーザビリティなどのUtilitas、そして満足というVenustasを取り上げており、その改訂版であるISO25010(2011)でも同様な構造を、より整理された形で提示している。

これらの内容については一覧表の形でeBookの付録に掲載するので、それを参照していただきたいが、これらの経緯をまとめてきて、たしかにユーザビリティ関係者やUX関係者は品質特性(FirmitasとUtilitasをまとめてしまうとそう呼べるだろう)と感性特性(Venustas)については語ってきたが、実はもうひとつ、とても重要なものが欠落しているのではないか、と思いついた。それが意味性(meaningfulness)である。

この意味性については、2004年5月に書いているように、Aaron Marcusと話をしていて考え出された概念である。ただ、正直に言うと、当時はまだ満足感との区別が曖昧で、意味性と満足感のどちらか、といった二者択一的な発想しか持てずにいた。それがようやくにして自分の中でも整理されてきて、満足感は感性特性として位置づけ、それとは別の特性として意味性を位置づけることでようやくすっきりできたと考えている。

意味性というと、日本語でも英語でもいささか大仰な言い方にはなる。何かしらしかつめらしい話になりそうな気配がする。人生の意義を考えるというような、真剣で大げさな話のニュアンスが漂ってしまいかねない。しかし、とんでも無い。もちろんとても真面目に重要な話ではあるのだが、要は「そのモノは、何のためにあるのか」というだけのことである。それがそのモノの意味である。いいかえれば機能性の根底にある概念といえ、そのモノの中心的な機能はどのようなコトであるかということである。何をサポートすればユーザにとって意味のある存在になってくれるか、ということである。

そして、この意味性は、品質特性や感性特性とは独立である。いいかえれば、これらの三者はいずれにおいても高い水準にあることが必要であり、どこかが欠けると不適切な製品開発につながってしまう。したがって、これまでの議論でFirmitasとUtilitas、そしてVenustasだけが取り上げられてきたのは、十分ではなかったというべきである。本来、建築物にだって意味性はある筈だ。人々が居住する建物、人々が仕事をする建物、人々が食事をしたりエンタテイメントを楽しむ建物、病人が入る建物、為政者が自己を誇示するための建物、等々。しかし、おそらくはあまりに自明であったためか、あるいは資金のいるものだったため、無意味な建築物が作られることがほとんどなかったため、Vitruviusにとっては意味性を特記する必要は無かったのだろう。

しかし機器やシステム、サービスとなると話は別である。特に多機能性などを追求しはじめると、意味性の欠落した機能を持った製品が多数出現してくることになる。引き合いに出すのは気の毒なような気もするが、最近、除菌効果のある微粒子イオンを発生する装置を付けたテレビが発売され、ネットで多くの人たちから叩かれている。曰く、「テレビ機能いらないんじゃね?」「むしろ企画書見たいねw、どんな手を使えばこんなの通せるのか知りたいww」(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1715232.html)といった具合である。この製品の場合、あまりに無意味さが顕著なため、これだけ多くの人たちに叩かれることが「できた」が、多くの製品の場合、あってもいいけど無くてもいい、いやむしろ無い方がいいような機能が付いていることが屡々だ。同じテレビでいえば、しばらく前には、BSチューナー内蔵テレビというものが沢山店頭に並んでいた。CATVでテレビを使っていた僕のようなユーザにとっては全く余計な代物。その部品を外して部品代を返して欲しいと真面目に思った。

基本的に成熟製品というものは、その意味性が明確になっているので、機能と性能の水準が一定のレベルに到達したら、あとは価格競争に入るもの、と考えた方がいい。その点を見誤った日本のAV機器メーカーはテレビの高付加価値化に走り、高い値付けをし、結果、韓国メーカーにぐんぐんと差をつけられてしまった。

こう考えると、意味性の吟味というものはとても重要なものであり、品質特性と感性特性とのバランスを考慮したものづくりが必要なのだということができるだろう。

公開: 2012年7月12日
著者: 黒須教授

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