長期的ユーザビリティ

  • 黒須教授
  • 2005年8月29日

連載再開にあたって

事情により、半年ほど連載を休止してしまい、大変ご迷惑をおかけ致しました。参加していた大型プロジェクトが二件終了することになったことを含めて、年度末、年度当初の業務が多忙すぎたため、まことに勝手ながら連載をお休みさせていただきました。

この間、ユーザビリティに関しては色々な動きがありました。NPO法人、人間中心設計機構の活動開始はその中でも一番大きな話題でしょう。その他、ISO20282やCIFなどISO規格に関する動きもありました。また、新たにいろいろとユーザビリティの考え方を新しい分野に適用していこうという動きがあり、新しい考え方も提示されるようになってきました。

これらの動きについて、これからまた定期的に掲載させていただきます。

本稿については、実にいろいろな方にお読み頂いていることを知り、大変ありがたく思うと同時に、その責任も感じております。ユーザビリティや人間中心設計がさらに普及するために頑張ってゆきます。皆様もどうぞご支援をよろしくお願いいたします。

黒須 正明


これまで、ユーザビリティの問題は、初心者を対象にして彼らが当該の機器やシステムをすぐに使えるようになれるか、という観点から扱われることが多かった。ユーザにとって新規な機器が多かった時期には、ユーザビリティの中でも使いやすさや分かりやすさという側面について、特にその導入時に焦点を当てることが必要だったといえる。実際、機器を購入したり、システムを導入したばかりの状態でもすぐに利用可能になるということは大切だ。機器やシステムの導入時にユーザビリティの問題が発生したために、それを利用してくれないようになってしまったのでは、せっかくの機能や性能が活かされなくなってしまうからだ。これはもちろん適切な考え方だったし、その意味で、ユーザビリティテストなどによる評価活動が初心者ユーザを対象にすることが多かったのも自然な成り行きといえただろう。

ただ、ユーザビリティという概念は、機器やシステムを使い始めたときだけの問題ではない。ISO13407でも長期的モニタリングという考え方が入っているし、ISO18529やHSLにはライフサイクルという観点が導入されている。ようするに、その機器やシステムを利用できるようになったユーザが、それを使い込んでいく長期的な過程もユーザビリティを考える際には重要だ、ということだ。

機器やシステムを利用していくと、いろいろな現象が起きる。

(1) 習熟にともなう操作の効率化

利用している機器やシステムに慣れてくると、だんだんと操作は早くなる。それは効率性にかかわる問題であり、ユーザは効率的に目標を達成できることを望む。キーボード入力しかり、マウス操作もしかり、である。さらにユーザは初心者の時に学んだやり方ではなく、もっと効率的なやり方を望むようになる。たとえばマウス操作の代わりにCTRLキーオペレーションを学んで利用するようになる。テキストエディタでいえば、キーマクロを定義して、類似操作を簡単に処理できるようにしてしまおうとすることもある。こうした形でユーザは自分の技能と知識の時間的変化にともなって、より効率のよいやり方を求めるようになる。こうした意味で、機器やシステムについては、使いやすさや分かりやすさを重視した初心者向けインタフェースを備えるだけでなく、ユーザが熟練したときに、効率的に操作ができるような手段を用意しておく必要がある。

(2) 機能の段階的学習

初心者の段階では、ともかくその基本機能が使えればそれで満足する。最初からすべての機能を覚えてしまおうとか、すべての機能を駆使してやろうというユーザは少ない。機器やソフトウェアに添付されているマニュアルが、初心者向けの薄いものと、すべての機能を説明した分厚い機能編に分かれているのは、そうした傾向に関係している。初心者にとっては、ともかくまずその基本機能を使えるようになることが大切だからだ。文書作成でいえば、まずはキーボードをたたいてテキストを入力できるようになること、削除や挿入、訂正、移動といった基本的な機能を使えるようになることあたりが基本的学習ということになる。それ以上の機能、たとえば罫線枠の設定とかセンタリングなどの書式設定などの機能については必要になったつど学習していくわけだ。それまではセンタリングをするために、文字列の前に空白をたくさん入れてしまうというやり方をすることもある。ともかくそうしたやり方でも目標(に近い状態)には到達できるからだ。

こうした段階的学習がどのようにして成立するかという点は、しかしながら重要である。よくあるのは、偶然の発見、それと熟練ユーザからのアドバイスだ。機器やシステムになれてくると、ユーザは探索的な行動にでる傾向がある。いろいろと試してみるわけだ。そうした中で機器やシステムの新しい機能を発見し、将来の利用法を考えることがある。また、やりたいことがあっても、その手続きが分からない場合がある。こうした場合、熟練ユーザが身近にいれば、その人に問い合わせることで、その答えを教えてもらうことができる。

しかし、偶然の発見がなく、熟練ユーザが身近にいないこともある。そうした場合、どのようにしてユーザに高度な使い方を学習させるかというのは案外難しい問題だ。いまさらチュートリアルで勉強するという気持ちにもなりにくいだろうし、チュートリアルに載っている標準的な手順では自分の目標達成に適合していないこともありうる。本当に役に立つ目的指向型のガイダンスを構築するのは難しいが、そうしたものが望まれているといえるだろう。こうして新しい機能を学習し、段階的に習熟していくと、ユーザはその機器やシステムに愛着すら感じるようになるはずである。

(3) 期待とのずれ

ユーザは機器やシステムを購入する前に、カタログを見たり、雑誌の解説記事をみたり、他人の評判を聞いたりといった形で事前に情報を得ていることが多い。そうでなくとも、店頭で店員に質問をし、自分の目的に適合したと思えるものを購入する。その意味で、本来なら、購入された機器やシステムはユーザの目標を達成することができるはずである。しかも、有効に、効率的に、そして満足できるように。

しかし、そうでない場合もある。極端な場合、自分のやりたかったことができないというケースがある。性能が思わしくなかったり、満足できないこともある。たとえば、携帯電話用のソフトウェアを店員の薦めにしたがって購入したが、家に帰ってみたら自分の機種との接続がうまくいかない、機能的にはなんとかやりたいことができるのだが処理に予想以上に長い時間がかかる、作成したデータの仕上がり品質がいまひとつ満足できない、そういったことが起こりうる。こうしたことは購入直後にわかることもあれば、一ヶ月、数ヶ月たたないと、期待値とのずれとして認識されないこともある。したがって、導入直後にアンケート調査をしても、その結果が本当の評価にはなっていないこともありうる。こうした点を確認するためには、それこそISO13407でいわれているように、長期的なモニタリングが必要になる。

(4) 飽きと目移り

それなりに満足して使っていても、人間には「飽きる」という現象がおきることがある。悪くはないんだけど、なんかいまひとつ・・、といったようなことだ。こうしたとき、新しい製品がでてきたりすると、それに目移りしてしまうことがある。従来の炊飯器を使っていて、それなりに満足していたつもりだったのだが、IHジャーがでてきて「お米本来の味が」といわれると、どうもそちらの方がいいのではないかと考えてしまう。そうなると従来の炊飯器の魅力は急速に色あせてしまうことになる。パソコンの性能も同じようなものだ。それまではパソコンというのはこういうもの、でも時たまちょっと遅すぎることがあるなあ、といった印象を持ちながら使っていたときに、新しい機種がでて、CPU性能が1.5倍とかいわれると、急にそちらに目移りしてしまう。

人間の欲望には限りがない。導入した機器やシステムのユーザビリティに満足していたと思っていたユーザにおける評価が急速に低下してしまうという現象があるわけだ。ユーザビリティという概念は、ユーザの目標達成が有効に、効率的に、満足できるように成し遂げられることを意味している。それは固定的なものではない。永久不変のものではない。常に変動してしまう可能性を持っているのだ。これについてユーザビリティ工学の観点から対処すべきアドバイスはない。そういったもの、というしかない。

(5) 廃棄

他機種に移行するというわけではなく、単純にその機器やシステムを廃棄するということもある。もちろん目移りの結果として不要になって廃棄、ということもある。これは製品のライフサイクルの終焉である。ここでもユーザビリティは大切である。単なる不燃ゴミとして処分してしまえるものもあるが、粗大ゴミとして市役所に連絡をして引き取ってもらう必要のあることもある。現在一番面倒なのがパソコンだろう。特に自作パソコンやショップ系パソコンなどの場合には相当面倒な手続きを取ることになる。資源の再利用という観点から、廃棄の手続きがある程度煩雑になることはやむを得ない。しかし、ユーザにとって簡便な手続きで廃棄ができるようにすること、これもユーザビリティ的な観点からは大切なことである。