検索エンジンの編集機能

ウェブサイトにおけるナビゲーションを分かりやすいものにしようと、インタラクションデザイナーやインフォメーションアーキテクトは日夜苦労をしている。それはそれでとても大切な仕事だと思う。

しかし・・今から20年か30年したら、個別サイトのユーザビリティは問題にならなくなるのではないか、そんな気がしている。現在でさえ膨大な数のサイトがあり、20年や30年したらその数は天文学的な数になるだろう。もちろん利用人口の上限があるから、ある水準で横ばいになるにせよ、とてつもない数のサイトがあることになる。いいかえれば、あるトピックに関連したサイトの数もきわめて多数になるということだ。トピックの数も増えるだろうが、人間生活の有限性、人間の想像力の有限性を考えると、トピックの種類の方はいつまでも爆発的に増えるとは思えない。しかし特定のトピックに関するサイトや記事の数はものすごい数になる。

あるサイトがあるトピックについて適切な情報を提供していたとしても、それが最善であるという証拠がないとき、人々は他のサイトも見ることになる。複数を見て、個別のバイアス情報を最小化し、最適な情報を部分的に集め、それを頭の中で編集して、あるトピックに関する情報の構造化を行う。このようにして、人々の行動は自分の頭の中で情報の編集を行うという方向になっていくだろう。いや、その傾向はすでに出てきている。たとえばネットを利用してレポートを書こうとしている学生は、キーワードを工夫して検索をし、複数のサイトから情報を集め、その内容を読み、頭の中にロジックを組み立ててそれをレポートとして外化している。待ち合わせのレストランを探している人も、海外に旅行をしようとしている人も、DVDレコーダを購入しようとしている人も、それなりに複数のサイトを訪問し、それらから得られた情報を自分の頭の中で編集し、構造化し、自分の目的に適合した形に変形し、その上で、それを使って結論を導こうとしている。

これは編集という行為だ。編集という行為は、断片的な情報を切り離し、組み合わせ、変形させてそれに構造を与え、一つのメッセージとすることだ。編集によって単なる情報の素片は意味のあるメッセージとなる。我々が日常生活で利用しているのは単なる断片的な情報だけではない。もちろん情報の構造がきわめてシンプルなメッセージもある。スーパーに卵のパックがある、というようなものだ。細かく見れば赤い卵もあるし、大玉も中玉もある。だが基本的には、そこにあるかないか(1か0か)だけで扱われているメッセージだ。しかし大半のメッセージは複雑だ。いや卵だって実はかなり大量の情報の素編を加工することがある。どこのスーパーは、どこのコンビニは、1パックが幾らだったとか、新鮮さはどこが良いとか、卵にまつわる多様な情報の素編が大量にある。それをまとめることによってメッセージを組み立て、それが我々の行動を決定する。その意味で、聖バーソロミューの虐殺がどうだったか、さらに南京大虐殺はどうだったか、といった話になると関連する情報源は多量になり、その編集は大変な作業となる。そこまで行かなくとも、携帯電話でテレビ電話をするにはどうすれば良いのか、といった問いに回答しているメッセージを作るには、その携帯電話の機種やキャリアに関する情報や、そのユーザのリテラシーに関する情報など、さまざまな情報を利用し、それを加工し、メッセージを組み立てる。

現在のネットでは検索エンジンが機能を強化してイメージ検索などもできるようになったし、RSSリーダの機能などは情報編集プロセスの一部を自動化したものともいえる。さらにセマンティックウェブのような形でウェブ上の情報が、編集操作に向けて下準備されるようになると、情報の編集はいよいよ身近なものになる。

こうなったとき、個々のサイトのナビゲーション支援がどのような意味を持つようになるか、改めて考える必要があるだろう。結局のところ、個々のサイトは素材提供の場所にすぎなくなり、その素材が検索エンジンの編集機能によって適切に使ってもらえるように下加工をすること、それが個々のサイトの目標となるかもしれない。ウェブサイトのユーザビリティという課題は、その時には問題とならなくなり、検索エンジンの編集機能の使いやすさや利便性が問題にされるようになるかもしれない。

このような形で、ユーザビリティ活動が対象とするものは時代によって変遷していく可能性があるだろう。

公開: 2008年5月28日
著者: 黒須教授

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