サイバースペースの逆ピラミッド

フレーム: ひとこと、ノー!だ。

この簡潔な導入部は、逆ピラミッドスタイルの実例だ。まず結論から始めるのである。もしフレームについてのコラムを書くなら、私はこの後、なぜフレームがダメなのか、実例を1つ、2つ掲げるところだろう(ブックマークできない、表示通りにプリントできない)。そして、最後に基本的な問題に関する議論で締めくくる(フレームはユーザのナビゲーションを傷つけ、ページ単位で構成されたウェブの基本的なユーザモデルを損なうものだ)。

博士号を取ると、伝統的なピラミッドスタイルの説明法への偏愛という厄介な職業病をわずらうことになる。いつもは、私も訓練を受けたとおりの書き方になる。前提から入って、徐々に結論に至るのだ。研究論文や技術報告書のほとんどは、問題点から始まって、先行技術を評価し、考えられるその他の選択肢と、そのための方法論についての詳細な議論に入る。我慢強く基礎の部分を20ページくぐり抜けて、ようやく読者は、詳細な表、チャート、それに統計テストの掲載された結果というセクションに入る。これが5ページ続いた後で、1ページくらいの結論にたどり着く。やれやれ。

ジャーナリストは長年の間、まったく逆のアプローチを取ってきた。記事の最初で、読者に結論を明らかにするのだ(「長い議論の結果、下院では10パーセントの増税という投票結果がでた」)。この後に、この結論を支えるもっとも重要な情報を、そして最後に背景を書く。このスタイルは、逆ピラミッドとして知られている。理由は簡単。単に従来のピラミッドスタイルをひっくり返したものだからだ。逆ピラミッド型の文章作法は、新聞で有効だ。読者はいつでも途中でやめることができるが、それでもなお記事のうちでもっとも重要な部分だけは知ることができるからだ。

ウェブでは逆ピラミッドがさらに重要となる。いくつかのユーザ調査で、ユーザはスクロールしないことがわかったからである。このため、記事の最上部だけしか読まないで立ち去ってしまうことが多いのだ。よほど興味をそそられた読者ならスクロールするだろうし、ピラミッドの基底部まで進んで、細かいところまで記事をつぶさに読むことだろう。

ウェブでのジャーナリズムは、印刷のジャーナリズムとははっきり異なっている。例えば、デジタルインク:Washington Postの事例で、Melinda McAdamは、オンライン新聞なら何年経っても記事が利用できると指摘している。このことは、筆者が全部の記事に背景情報の要約を掲載せずとも、過去の記事にリンクすればそれで済むということを意味している。またSam Vincent Meddisの指摘によれば、完全な背景情報へのリンクが可能だし、ある問題についてのリンクを複数集めることもできる(実際、この段落ではリンクを2つ使って実践している)。

言い換えると、ウェブはリンクのメディアなのだ。ハイパーテキスト理論からも明らかな通り、相互にリンクした情報空間のための執筆は、リニアなテキストの執筆とは違う。事実、英文学教授George Landowは、出発のレトリック到着のレトリックという言葉を考え出した。これは、リンクの両端にあるものがそれぞれ、そこからどこへ行けるのか、目的地のページはこれとどういう関係にあるのか、ということをユーザに伝える必要があるのだ。

よって、スクロールが必要な長いページを避けるために、ウェブライターには、できるだけ小さい意味のまとまりごとに執筆することが期待される。各ページは逆ピラミッド型に構成されるが、全体としての作品は、従来の「記事」というよりも、サイバースペース内で浮遊する1組のピラミッドのように見えるだろう。残念ながら、この新しい執筆スタイルを身に付けるのは難しい。ごらんの通り、私自身も、まだそこには至っていない。

逆ピラミッドスタイルの好例Ziff-DavisのAnchorDeskは、1段落分の記事要約から始まっている。リンクをクリックすると記事全文に移動し、(もし興味があれば)さらにクリックするとくわしい背景記事が読める。

1996年6月