一般人のためのコンテンツ制作
インターネットを次なるレベルに押し上げるためには、ユーザが自分自身のデータを発表するようにならなくてはいけない。単にコンテンツを消費したり、著作権のあるデータを配布しているだけではだめだ。残念なことに、ほとんどの人がいいライターとは言えず、他のメディアではなおさら無理がある。構造的制作法、選択肢方式のメディア、それに学校でのコンテンツ制作教育などが解決策として挙げられる。
ウェブ出版の最初の10年は、プロが制作したウェブサイトの独壇場だった。ウェブ出版を一方通行のものと思い込んだり、ユーザのことを「視聴者(eyeball)」とか「消費者」といった放送指向の用語で呼んだりする人がいるのも、たぶん、そのせいだろう。
だが、ウェブをにぎわせているのは消費者だけではない。彼らはユーザであり、消費者であり、そして制作者でもあるのだ。
ベンチャーキャピタリストの間で最近注目を集めているのが、P2P(ピア-トゥ-ピア)という用語だ。ユーザがウェブに貢献する必要性にようやく気がついたようだ。ただひたすらコンテンツを消費するだけではだめなのだ。残念ながら、P2Pをめぐる議論のほとんどが、ユーザが、自分で作ったわけでもないコンテンツをただ交換するだけのNapsterのような製品に集中している。
他人の創作のコピーを許可なく配付することは、断じてインターネットの有効な利用法にはならない。裁判所の判決がどうであろうと、私の意見では、他人の労働の果実を不正に取得して配布するということは、道義上の著作権侵害である。
いずれにしろ、普通の人が自分自身のコンテンツを制作し、それをインターネットに貢献できるようにならなくてはいけない。一見、簡単なことに思えるが、実際にはかなりの難題だ。最大の問題は、ほとんどの人にコンテンツクリエータとしての資質がない(これまでもそうだったが)ということだ。プロのライター、グラフィックデザイナー、映画制作者、講演家、音楽家、その他のいろんなタイプのメディア専門家がいるのは、これが理由だ。一般人がコンテンツを作ろうと思っても、たいして言いたいことなんてないし、あったとしても言い方がまずいことがほとんどだ。
広大な荒れ地になっているGeocitiesを見ても、このことは明らかだ。ユーザにホームページ編集プログラムを与えたところで、突然彼らが上手なライターになるわけではない。
とはいうものの、Geocitiesにもいくつか光るコンテンツがある。おもしろいストーリーを持っている人や、非常に専門的なジャンルに精通している人もたくさんいる。世界中の注目を集めるような話でなくても、わずかな人たち、例えば自分の家族とか友人にとっては、とても重要なコンテンツを共有できることも多いのである。ウェブのいいところは、ナローキャスティングが可能で、わずかな人しか読まないページでも掲載できるということである。
ウェブにコンテンツを提供できる人の数を増やすにはどうしたらいいのだろう?私は、先行き有望なアプローチをいくつか発見した。
構造的制作法
真っ白の原稿用紙が作家のスランプの原因になる。
まったく空で、ページ概念のないウェブサイトは、なおさら具合が悪い。
構造的制作法では、真っ白の画面のかわりに、アウトラインやその他のタイプの、前もって組立て済みのコンテンツを提供する。ユーザは、徐々にここに付け足していけばいいのだ。
- テキスト用の空欄を提示することで、構造的制作ツールは、ユーザのコンテンツ開発の手引きをしてくれる
- コンテンツを断片的に作れるようになっているため、、全サイトを一気に作る場合に比べて、ユーザの負担は軽減される
Epinionsの評価記事入力画面は、構造的制作法の簡単な例である。単に「ここに評価記事を入力」というのではなく、Epinionsでは、特別の1行フィールドを設けていて、ここでユーザは、その製品について一番よかった点、悪かった点を入力できるようになっているのだ。製品の品質の数値評価には、一連のラジオボタンが利用でき、より詳しい質問にも答えられるようになっている。質問と数値評価は、製品カテゴリーによって異なる。例えば、コンピュータのカテゴリーでは、製品のユーザビリティの評価にあたって、ユーザは「使いものにならない」から「ごく簡単」までの軸で評価するよう求められる。
Dan BricklinのTrellixウェブオーサリングツールは、さらにその先を行っている。ユーザは、いつでも完全なウェブページができるテンプレートを元にしてコンテンツを制作する。入力されたコンテンツの分量が少なくてもかまわない。たくさん編集すれば、さらによくなるのは言うまでもない。だが、どれくらい続くかわからないウィザードに、無理につきあわされることはない。
選択肢方式のメディア
古くからのヒューマンファクターの教訓にあるように、既存のものを選択し、変更する方が、一から何かを作り出すよりもはるかに簡単だ。この精神にもとづけば、コンテンツ制作にも実際の創作活動は必要ない。利用可能な一連のオプションから選択するだけで、ユーザはおもしろいコンテンツが作れるのだ。
Octopusのようなサービスでは、ユーザは、ウェブ上のあらゆるサイトから集めた切り抜きを組み合わせて、複雑なページを構成できる。この結果できあがったページは、オプションの限られた従来のポータルを超越した個人用ポータルと言えるだろう。Octopusではユーザが自分のページを公開できるようになっている。この点から考えると、このサービスは、ユーザが何か書くのではなく、ページを編集することを通じて自分の興味を表現できる場と見ることもできる。
選択肢方式のメディアとしてもっとも有望なのは、ウェブ上の写真出版である。
最近行われたDEMOmobile 2000カンファレンスでは、Borlandで名をあげたPhilippe Kahnが、彼の最新の製品をデモしていた。それは、LightSurfのワイヤレスデジタル写真である。メインの製品は、携帯電話に接続できる小さなカメラで、これを使ってごくスムーズにウェブに写真を送信できる。
ベテランのデモプレゼンターであるKahnは、当然ながら、製品のウィークポイントについてもどう議論したらいいか心得ていた。すなわち、この場合は、送信に非常に時間がかかること、それに画質が悪いことである。携帯電話に接続するマッチ箱サイズのカメラを使うくらいなら、私は、インターネット接続が可能なデバイスにBluetoothか何かでつなげるデジタルカメラの方がいい。
Kahnの言葉を信用するなら、写真をウェブに上げるのが簡単になれば、ユーザが制作したコンテンツにデジタル写真がもっと取り入れられるようになるだろう。従来のように撮影して、現像して、スキャンして、ウェブサーバにFTPするなんて、考えただけでもぞっとする。
写真は究極の選択肢方式のメディアである。ひたすらシャッターを切るだけで、ひとつのイベントについて10~20枚の写真ができる。すべての写真を掲載したページを見て、ウェブ掲載用のベストショットを選択すればいいのだ。
20枚の写真から一番いいのを選んだからといって、写真の腕前が上がるわけではないが、少なくとも、発表された写真がかなりよいものであろうことは保証できる。一連のショットからベストの写真を選択するのは、簡単な仕事だ。
これと対照的なのが、1時間のビデオテープからハイライトだけ3分(コンピュータ上で見るビデオとしては、これくらいが上限である)に編集する場合である。これは、たいへんな仕事だ。高度に進化したビデオ編集ツールを使っても、一般人が編集部門でアカデミー賞を受賞するなんてことは絶対にないだろう。だが、見たものを評価するときは、このレベルの編集を基準にする傾向があるのだ。映画を見ているとき、視聴者はその制作価値を、どうしてもテレビや映画劇場で見たものと比べてしまう。家庭用ビデオだって?いや、いや、いや。見るに耐えないね。
長期的希望: コンテンツ制作教育
願わくは、ハイパーテキストの制作方法と、よいウェブコンテンツの組み立て方を、すぐにでも学校で子供たちに教える始めるべきである。オンラインでのコミュニケーション能力は、新しい経済では業務上のキーとなるスキルになるだろう。自己実現のための仕組みとしても重要だ。
この方面では、私はあまり大きな期待はしていない。つまるところ、学校では何世紀もの間、書き方を教えてきたが、作文の質はほとんど向上していない。一方で、たくさんの人が、実際に言いたいことを伝えるメモを書くことができる。
子供たちが若いうちに手をつけることができれば、今日の大人よりもずっといいウェブコンテンツを作れるようになるだろう。飛びぬけて優れた者はめったに出ないだろうが、ほとんどの人は、小規模な対象に向けてアピールできるいいコンテンツを作れるようになるだろう。恐らく、もっとも重要なのは、コンテンツ制作の可能性を生かすだけでなく、新たなレベルを開拓するような人が、わずかながらも出現するだろうということだ。
2000年10月1日