みんながハリー・ポッターになる未来

魔法の世界では、生命のない物体がいきいきと動き出す。それはまるでコンピュータ・パワーや、センサー、意識、ネット接続を備えているかのようだ。

いつかみんながハリー・ポッターになるだろう。とはいっても、別にホウキに乗って飛び回ったり、3次元の球技をやるようになるというのではない(ヴァーチャルリアリティを使えば、熱狂的なファンが「クィディッチ」の試合を楽しめるようにはなるだろうが)。私が言いたいのは、これまで生命のないオブジェクトと思われていたものに魂が宿る時代に、いよいよ突入しようとしているということなのだ。

ハリー・ポッターの本がもつ魅力のかなりの部分は、ハリーとその仲間たちをとりかこむ奇妙な魔法のオブジェクトから来ている。固くて静的な物体とは違って、これらのオブジェクトは自発性で活動的だ。コンピュータパワーがデスクトップから日常のオブジェクトへと広がるにしたがって、私たちが経験するのは、まさにこういった変化だ。

次世代の魔法

ハリー・ポッターに登場するオブジェクトからいくつか例をとって、同じことが、将来どのような形で実現されるかを考えてみよう。

  • 魔法使いが目をやると動き出す「日刊予言者新聞」(The Daily Prophet)の写真。TabletPC ヴァージョン 3.0 なら、朝食のテーブルにつきながら、マルチメディアニュースを読めるようにしてくれるだろう。アイトラッキング技術と組み合わせれば(いくつかの改訂を経る必要はあるだろうが)、あの目ざわりな、休みなく動き続けるビデオクリップとおさらばできる。ビデオは静止画として表示され、0.5 秒か、あるいはそれ以上の時間、目をとめた時にだけ、興味の対象と認識されて再生が始まる。
  • 臭ってくると大声で叫びだす靴下。センサーを使えば、靴下(ウェアラブルコンピューティング)にでも、環境にでも実装できるだろう。スマートウェアは、未来のコンピュータ技術の方向性として、大きな柱のひとつだ。
  • 「クィディッチ」の名選手を再現した動く人形Interactive Barneyをはじめとして、なんらかの自律性を備えたおもちゃがすでに登場している。だが、パーソナリティには、まだ欠けている。
  • 後の検索に備えて思考や記憶を保存する「ペンシーヴ」。デジタルカメラによって、自分たちの体験をもっと幅広く記録できるようになるだろう。特に、自分たち予定や出会った人に関する知識を備えたモバイル機器と一体化されれば強力だ。そこら中に設置された保安用のカメラから、自分の写ったビデオを購入できるようになるかもしれない。
  • 映った人の見た目を評価する鏡。これは間違いなく売り物になるだろう。遠い未来には、エキスパートシステムがコメントをつけるようになるだろう。だが、それまでの間は、ネットワークで結ばれたファッションコンサルタントがその役を荷う。低賃金の国で安くスタッフを雇うか、あるいは喜んで無料で他人の評価をしてくれるおせっかいな人を探すことになろう。
  • すぐに再生できる Omnicular。デジタルカメラを内蔵した双眼鏡がすでにある。TiVo/Replay TV が持っている即時再生技術を組み合わせれば、第一世代の Omnicular のできあがりだ。鳥類データベースと照らし合わせて種類を判別するエキスパートシステムを追加すれば、画像の中に、注釈として通称とラテン語の学名を入れることができるだろう。
  • ホグワーツ校の中で動きまわる人間の様子をアイコンで表示する「忍びの地図」(The Marauder’s Map)。スマートバッジを使うことで、すでに、高度の機密を要する施設の中での従業員の動きを追跡できるようになっている。GPS システムと信頼ある 4G 携帯電話を利用すれば、同じ機能をどこででも提供できるようになるだろう。残るはプライバシーの問題だけだ。

私はそれほどオタクではないから、ハリー・ポッターを、次世代製品開発の理想的マニュアルと思って読め、とは言わない。だが、このシリーズには、間もなく作れそうな製品の例がいっぱいだ。物理世界において意識を具現化するということが、どういうことを意味しているかが、いくらかわかってくる。

「マグル」をいじめるな

ハリー・ポッターの世界は、別の面でも、コンピュータの世界に似ている。一連のハリー・ポッター作品では、すべての人が 2 つのグループに分かれている。ほんの一握りの魔法使いと、はるかに大多数を占める「マグル」(ふつうの人間)である。「マグル」たちは魔法のことなど何も知らないし、魔法使いの流儀も知らない。

同様に、私たちの世界でも、大多数の人はコンピュータやテクノロジーのことを知らない。SF 作家 Arthur C. Clarke がかつて語ったように、「十分に進歩したテクノロジーは、魔法と見分けがつかない」。残念ながら、コンピュータとインターネットは、ほとんどの人にとっては、まさにこの「進歩したテクノロジー」なのだ。画面に何かが表示されたり、コンピュータが望みの結果を出してくれたりする仕組みは、すべてがまさに魔法のようなものだ。

ハリー・ポッター本でも、道徳心の強い魔法使いは「マグル」に手を出さず、魔法でいたずらをしたりもしない。コンピュータの魔法使いも、ハリーから学ぶことがあるのではないだろうか。なにしろ、彼らは、しょっちゅう自分の力を悪用して一般人を傷つけているのだから。

私がインターネットのユーザビリティを向上すべきだと説く時、普通は、企業がウェブサイトから得られるビジネス価値を減じていることを根拠に挙げている。顧客サービスが悪ければ、顧客は減る。だが、もっと大きな視点からみると、さらに悪いことが起きている。期待通りの動作やデザインに準拠していないページがひとつでもあると、間違いなく、ウェブに対するユーザの概念モデルは損なわれる。このせいで、他のサイトも簡単に、自信を持って、楽しく使うことができなくなっていく。この世界と「マグル」たちにユーザビリティの低いサイトを押し付けているデザイナーは、まさに邪悪な魔法使いなのだ。

2002年12月9日