ユーザビリティ25周年に寄せて
1983年に私が関わり始めて以来、ユーザビリティの分野は5,000%もの成長を見せた。これは大変やりがいのある仕事だ —— そして新たにこの世界に足を踏み入れる人々にとっても、やはり有望なキャリアの選択肢である。
私がユーザビリティ専門家となったのは1983年のことで、数ヶ月前にめでたくこの分野での25周年を迎えた。これまでの積み重ねを振り返るには、ちょうどよい機会だろう…
ユーザビリティの進化: 事態はどう変わってきたか
25年前と現在とで、この分野に見られるおもな違いはその規模である: いまやそれは桁違いに拡大しているのだ。1983年当時、ユーザビリティはわずかな関係者しかいない広がりに欠ける専門領域であり、その関係者の大部分は学問的な研究機関や電話会社(おもにベル研究所だ)、そして最大手のコンピュータ企業内部の啓発的グループに属する人々に限られていた。
こうした数少ない関係者がカンファレンスで集まれば、誰もがお互いの存在を知っていた。(私自身が83年にそうしたように)新たにこの分野に携わる人々もいたが、その新規メンバーの人数は毎年片手で数えられる程度だった。全体としては、たぶんユーザビリティ関係者は世界中に(アメリカとイギリスを中心として)1,000人程度しかいなかっただろう。
それが今日では、私見による計算だが世界中に約50,000人ものユーザビリティ専門家がいて、さらに仕事の一部としてユーザビリティを担当したりそれに興味を持つ人々は約50万人にものぼるとみられる。
ユーザビリティは今や、思いつく限りのあらゆる業界できわめて幅広い企業の中に存在している —— 生まれ故郷のハイテク業界の壁をとっくに乗り越えているのだ。たとえば、2007年に私が実施したユーザビリティカンファレンスに2,187名の参加者を送り込んだ1,345社の顔ぶれを見るだけでもそれが分かる。ここ2年間では、67か国 —— それはエストニアからペルーにまで渡っている —— からの参加者が集まった。ユーザビリティは真に国際的な分野に成長したのだ。
アムネスティ・インターナショナル、カリフォルニア州法人税局、キャセイパシフィック航空、HP、PayPal、ベライゾン、ヴァージン、ウェルスファーゴ、世界銀行といった大組織からも、昨年は大部隊(10名以上という場合も多かった)の参加があった。しかし、1社当たりの平均参加者数は1.6名に留まっているのを見れば、ユーザビリティへの関心がどれだけ広範囲に分散しているかが分かる。ほとんどの企業では、いまだにユーザビリティ担当者は1~2名しかいないのだ。
1983年のハイライト
25年の歳月が経っても、ユーザビリティの基本に変わりはない。ユーザテストの手法は1983年にもう確立されていた —— その年に、John GouldとClayton Lewisが、成功するデザインの主要3原則を示す論文を発表したのだ:
- 必ず早い段階でユーザに焦点を合わせ、デザイン作業を開始する前にフィールド調査を実施すること。
- 開発プロセス全体を通じて、実験的ユーザビリティ評価を行うこと。
- 反復的デザインのプロセスに従うこと。
これらは、ユーザビリティ設計の最重要ステップとしてわれわれが現在教えている3つの項目と同じだ。おもな違いと言えば、GouldとLewisが論じているのはテストを通じて定量的な評価データを集めることなのに対し、私の方はほとんどのプロジェクトでよりスピーディに実施できる定性的評価の方を重視している点だ。それは私が、1989年から“ディスカウント・ユーザビリティ手法”を唱えているためである。
1983年当時はテキストベースのUI(CUI)が支配的で、GUIはまだ目新しかった。1983年2月に雑誌BYTEのインタビューで、Larry Teslerが —— 現在はYahooのユーザエクスペリエンスグループのリーダーだ —— Appleの(Macintoshの先祖となった)Lisaの開発におけるユーザテストの役割について語った。その年の後半には、Xeroxの研究チームがマウスのデザイン方法に関する研究結果を発表した。マウスボタンは1つか2つか、それとも3つか、どれが最適なのか? 勝利をおさめたのは2ボタンマウスだったが、その結論をものともせず、翌年には1ボタンマウス付きのMacが発売された。2ボタンマウスが普及するまでには、もう数年かかることとなった。
私がこの道を歩み始めた数年間のうちにメインフレームのシステムが普及していたことは、ずいぶん後になってから役に立った: ウェブアプリケーションの第一世代は、古きよきIBM 3270の画面に似ていたのだ。数年前にも、Flashを用いたウェブアプリケーションのテストを実施した際に、1980年代後半にMacintoshソフトウェアの調査で得た多くの発見をまたしても目にすることになった。
(われわれのアプリケーションユーザビリティ関連セミナーは、25年間の経験に基づいている —— 受講者は時代遅れなスクリーンショットを嫌がるので、事例は最近のものを取り上げているが、それらは私が大昔にPCやMacやメインフレームアプリケーションのテストで初めて目にしたUIの原則を示していることが珍しくない。)
一般的に、何世代にも渡るユーザインターフェース技術を経験することは、ユーザビリティ専門家にとって大いに役立つ —— それによって以下のようなスキルが身に付くからだ:
- インタラクションデザインの根本的な課題を一般化できる: 25年もの間、毎年目にしてきたことがあれば、そこには何らかの真実があると分かるものだ。
- 最先端のデザインギミックの見かけの印象に振り回されずに済む。
個人的回顧
私は自分のキャリア選択に満足している。この25年間はどの一年をとっても、数多くの興味深い調査と心躍る発見を行うことができた素晴らしい年であった。ユーザビリティは、人間がコンピュータに服従させられるという、私が大学院生だった頃に多くの識者が危惧していた事態を招くことなく、人間に自分の未来や技術をコントロールする力を与え、日々の生活を一段と円満にしてくれるのだ(「私は人間だ、折ったり丸めたり切り刻んだりしないでくれ(I’m a human being, don’t fold, spindle, or mutilate me)」というスローガン(※)を覚えているだろうか?)。
ユーザビリティは人類を救うと同時に、売上を伸ばし生産性を向上させて企業の収益力をアップさせ、ビジネスを強化する。人助けと金儲けの両方を同時に達成できるような仕事というものは、そう多くはないだろう。
(※)訳者注: これは1960年代にカリフォルニア大学バークレー校で言論の自由を求めて起こった「フリースピーチ・ムーブメント」における有名なスローガンである。
キャリアとしてのユーザビリティ
今日の若者に、ユーザビリティは今でもキャリアの選択肢としてふさわしいかとたずねられたら、迷うことなくイエスと答えるだろう。むしろ、ユーザビリティは私が関わり始めた頃よりさらに恵まれたキャリアとなっている。
1983年当時は、ユーザビリティという専門分野は迫害を受けていた。コンピュータ処理で肝心なのはその処理能力と機能だという見方 —— つまり、使いやすさや望ましいユーザエクスペリエンスなど眼中にない態度に対し、われわれは数少ないユーザビリティの先駆者として立ち向かわねばならなかった。
それが今日では、ユーザビリティはウェブサイトの収益性を左右する決め手の一つだという認識が広まっている。どこかの大物CEOが、ユーザエクスペリエンスの向上を約束しているのは日常茶飯事となった。そうは言ってもまだやるべきことはたくさん残っているし、ユーザ中心デザインのライフサイクルをどれだけ受け容れているかという点では、ほとんどの企業がいまだに未熟なレベルに留まっている。
他ならぬその原因とは、私が素晴らしいキャリア選択だと自信を持てる全面的なユーザビリティ対応に向けて、ほとんどの企業はやっと足を踏み出したばかりだからだ: ユーザビリティが役に立つのは周知の事実である —— それはデザインプロジェクトのコストを大幅に上回る価値をもたらすし、企業はそれだけの対価が得られることを(私のエッセイを読んで知るだけではなく)自社のプロジェクトで実際に経験していくにつれて、一段とユーザビリティに注力していく傾向にある。
ただし、過去25年間で達成した5,000%の成長を今後も繰り返すとは考えにくい。これからの四半世紀でユーザビリティの分野に見込まれるのは、1,000%程度の伸びとなるだろう。しかし、それでもかなりの成長だ。この世に馬鹿げたデザインがある限り、われわれが仕事に困ることはないし、それは今後もずっと変わらない: 新たな技術が登場するたびに、それは無茶な使い方をされるものだからだ。
みなさんもわれわれの仲間になろう。きっと素晴らしい道が拓ける。私自身が間違いなくこの仕事を満喫しているし、いつまでも成長し続けるこの分野に喜んで足並みを揃えていくつもりだ。
2008 年 4 月 21 日