Esther Dyson著『Release 2.0』の書評
私たちは、今まさにウェブの精神を守ろうと奮闘しているところだ。従来の放送環境のようなごく少数のブランドメディアから発信される一方通行のコミュニケーションをとるか、それとも何億もの小さな花を集めて豊かなサービスとして花開かせ、そこをユーザが自由にナビゲートできるようにすべきか。コンサルタント、メディア評論家、「プッシュ」ベンダーの多くは、ユーザを操りたいと思っている。Esther Dysonの新著は、はっきりとユーザに味方するものである。そして、ウェブによって、自らの行動の権限、自由、選択、責任が個人に集約される世界を模索している。ウェブを1兆ドル規模のメディアにするためには、Dysonのヴィジョンを実現させなくてはならない。広告が勝利すれば、ウェブは1000億ドル規模で停滞するだろう。
『Release 2.0』 [訳注: 邦訳『未来地球からのメール』吉岡正晴 訳/集英社刊 ISBN 4-08-773294-0] は実用的な本ではないが、戦略的には高度な重要性を持っている。この本を読むことを強くお勧めする。(最終的に『Release 2.0』に好意的な評価を下したのは私ひとりではない。1997年後期の時点で、この本はAmazon.comでベストセラー第2位になっている。現在ではペーパーバック版が入手でき、タイトルも『Release 2.1』というしゃれたものになっている。オーディオテープ版もある)。
新しくクールなサイトの構築法が知りたいとか、サイバースペースをパンフレットの使い回しで埋めようと思っている人間にとっては、この本は役に立たない。クールなサイトがなぜだめなのか、どうしたら役に立つサイトが構築できるか知りたいと思っているもっと分別のある人にとっても、やはりこの本は役に立たない。『Release 2.0』では、今現在オンラインにあるビジネスにとって重要な短期的問題も対象外である。この先2~3年のインターネット戦略を策定中の企業に対しても、ほとんど何もアドバイスはない。そのかわりに、この本は長期的超戦略的視点から、今後10年くらいの間にインターネットで世界がどう変わるかを分析している。明日ウェブページを公開するためなら、別にこんな知識は必要ない。だが、あなたの企業が生き残ろうと思うなら、ぜひ知っておくべきだ。ネットワーク経済の時代を迎え、世界は大きく変貌するだろう。そして、『Release 2.0』は、この未来を見通そうとする初めての本だ。言い換えると、実務上のアドバイスはゼロ、戦術上のアドバイスもごくわずか。全編これ戦略なのである。
『Release 2.0』は、大きく2つのパートに分かれる。
- 深みある4つの章は、ネットワーク経済に今後起こるであろう根本的な変化を扱っている。コミュニティ、仕事、教育、政治の未来について述べている。
- ある意味で表面的な5つの章は、ユーザ主導型のネットワークについてのもので、知的財産、コンテンツ、プライバシー、さらにセキュリティの未来について述べている。
これら2つのパートが、ソビエト/ロシアのソフト開発に関する序章と、インターネットでのユーザの主導権を守るために行動を呼びかける終章にはさまれている。初めのうち、私は、ソビエトについての章は場所を間違っているのではないかと思っていた。だが、考え直してみると、それはインターネットをソビエト化しない(すなわち、中央の計画ではなく、個人ユーザが主導権を持つものにする)ためのDysonによるキャンペーンに見通しを与えるものであった。
ネットワーク経済
『Release 2.0』の前半で、Dysonは、ネットワーク経済のおそらく10年ほど後の姿を描いてみせる。これら4つの章では、基本的に、私たちの生活を様々なレベルで新しく組み替える方法について述べている。明らかに、この本の中でもっとも重要な部分だ。ウェブ評論家は掃いて捨てるほどいるが、3~5年以上先のことをあえて見通そうとする者は少ない。ゆえに、『Release 2.0』に示されたような視点は、他ではなかなか得がたいものだ。インターネット戦略を策定する際には、『Release 2.0』のこれらの章に描かれたシナリオにそって、最終的なビジネスの進化を描いてみるといいだろう。もしその戦略がこれらのシナリオの元でうまく行きそうになければ、長期的な生存の見込みはないかもしれない。
Dysonは、非常に多様で流動性の高い経済を想定しており、移り変わりの激しい問題を素早く解決するために、小企業や雇用者ひとりひとりが自らを作り変えている。企業も個人も、その評価はウェブ上で目に見える形で行われ、これが信用とパートナーシップ強化のために利用される。小規模の企業は特に競争力のある分野に集中し、顧客への露出を強めるだろう。組織を小さくし、集中的な外部コミュニケーションを行えば、ネットワークをあまり利用せず、内部的かけひきにばかり熱心な企業に比べて、製品やサービスの価値は向上する。仲間内の根回しか、顧客との対話かの選択を迫られた場合、顧客中心の組織が勝つことはほぼ間違いない。
Dysonの予言によれば、頭の回転の速い者が勝つ。ネットワーク経済は電子と同じスピードで動く。体制を固めることよりも、リアルタイムのパフォーマンスの方が重要だ。ブランドの価値は今より低下するだろう。見込み客は、顧客満足度データの実況をみて、自分と同じような人たちが、それぞれの選択肢をどう受け取っているか知ることができるからだ。モバイルでのインターネット接続が可能なデバイスを持ってスーパーマーケットに行くと想定しよう。洗剤に手を伸ばすと、警告が出て、あなたと同じようにこの製品を試した1万人のうち、洗い上がりが気に入らなかった人が70%もいると教えてくれる。コミュニケーションを向上させれば(さらに判断データの処理を自動化することで)、透明性が高まり、顧客の力が強くなっていく。
ラベルとプライバシー
ネットワーク経済シナリオの戦略的見通しの後、『Release 2.0』の第2部では、ややトーンダウンする。Dysonは、メタデータの様々なエンコード手法、インターネットセキュリティの諸側面についてかなり詳細に論じている。これらの章は、実装用マニュアルとまではいかないが、明らかにかなり戦術的なものである。具体的な提案をいくつも詳細に議論しているが、読者にとっては、メタデータの戦略的重要性、およびプライバシーについて、それぞれ1章設けてあった方がよかっただろう。
ユーザの能力を最大化し、彼ら自身のインターネット利用において主導権を与えるには、メタデータが必要だ、というのが、このパートの主要な洞察だ。例えば、コンテンツラベルを利用すれば、親は、子供に適切なコンテンツを与え、「アダルト」サイトから守ることができる。各サイトが自分のラベルを提供してもいいが、独立した他者からラベルを提供してもらうこともできるだろう。今日、すでにこのようなレーティングサービスが存在しているが、Dysonはこのコンセプトを一般化し、自らサイトに行って見なくてもたくさんのことがわかるようになれば、他にも数多くの利点が生まれるだろうといっている。ますます大きくなるウェブのナビゲーションや検索の問題を解決するには、メタデータの利用をさらに拡大するしかないと私は確信している。コンテンツラベルや構造定義ファイルといったものがこれに当てはまる。
『Release 2.0』の第2部では、暗号技術の自由化を強く訴えている。ユーザがどれだけプライバシーを期待できるか、そのサイトはそこで謳われているとおりのサイトなのか。様々な章で豊富な例を通じて示されているのは、ネットワーク経済の長期的未来がこれら次第で決まってくるということだ。ウェブの可能性のすべてを理解するには、強力な暗号化を誰もが利用できるようにする以外ないことは明らかである。あらゆるウェブサーバ、インターネットに接続されたあらゆるデバイスは、完全に統一化された暗号手法を利用できなくてはならない。これを使って、送られてくるすべての情報要求、プロトコル送信、商業取引のすべてに認証を求め、保護することができる。
ひとつ例を挙げよう: ウェブで価値あるコンテンツを入手したいのなら、ユーザはお金を払えなくてはならない(ウェブでは広告はどちらかというとうまくいかないとDysonは言う)。この点では私も意見が同じだ。マイクロペイメントにはプライバシーと同様、セキュリティが必要だ。そこで暗号の登場となる。さらに、みんながお金を払うのは、購入前に品質の保証を得ているからである。自らの価値を正当化(誰もがみんなすごいと言う)できない限り、購入前に、中立的な第3者から情報品質の保証をもらう必要がある。こうした評価には権威付けが必要なのは言うまでもない。そうしないと、評価プロトコルを見破って中立サイトのふりをする者が現われて、評価を高く偽り、不当な売上を上げるようになるだろう。さらに、何億ものサイトに対して信頼ある評価を下すためには、何億人ものユーザからフィードバックを集めるしかない。これらユーザも、自分のプライバシーが絶対的に保証されない限りは、リモートのサイトに対して好きか嫌いかを開示する気にはならないだろう。このように、将来的に、高品質なコンテンツのためのインフラには、あらゆる面で暗号化が一体化され、かつ自由に利用できるようになるかどうかにかかっている。
『Release 2.0』の結論は2つ。
- 未来は現在とはまったく違う。ネットワーク経済は個人に力を与え、10年のうちにビジネスのやり方をすっかり変えてしまうだろう
- この先、インターネットの未来を明るいものにするには、今、暗号の自由化のために行動する必要がある。必要な機能をインフラに浸透させるには、長い時間がかかるからである。
従来型メディアのレビュー従来型メディアでの『Release 2.0』の評価は、大部分がかなり否定的なものだった。
Dysonは非現実的なユートピア論者であって、インターネットでは、彼女が言うほどすばらしいことは起こらないだろうというのが主な反論だ。インターネット接続があらゆる場所に普及すれば、摩擦ゼロのネットワーク経済が実現するだろうと言う前提を、評者は否定する。 根本的変革の可能性を否定されてしまうと、もちろん『Release 2.0』での個々の予言は、接続性の弱いウェブの現状に比べて素朴に過ぎるものと思われるだろう。私はたまたまネットワークの接続度影響力の法則を信奉する者である。これによれば、ネットワークの影響力は、相互接続されたデバイスの数の2乗に比例して増大する。ウェブは、この先2~3年で少なくとも100倍に拡大するだろう。よって、その重要性は1万倍に拡大することになる。ここまで変化が大きいと、今までにない何かが起こるはずだ。恐らく、それはネットワーク経済につながるものだろう。 |
『Release 2.0』と『Net.Gain』の比較
ウェブ戦略に関する本はそれほど多くない。『Release 2.0』は、この先10年間に渡るネットワーク経済への移行期に起こる根本的変革について考えようとする読者の要望に、明快な答えを出している。残念ながら、この長期的視野はあまりにも戦略的に過ぎ、この先2年間のウェブ戦略を策定しようとする人にとっては、ほとんど役に立たないだろう。
ウェブ戦略についての良書としてひとつ挙げるとすれば、それはJohn HagelとArthur Armstrongの共著『Net.Gain』(著者は2人ともMcKinseyのコンサルタント)がそれにあたる。現状のインターネットでのウェブデザインの進化とビジネス構築に対して明確なアプローチを処方してくれるという点から言えば、『Net.Gain』は、『Release 2.0』よりもはるかに役に立つ本だ。流行語に乗り遅れまいとばかり、著者は自らのアプローチを「コミュニティ」と呼んでいる。だが、現実に『Net.Gain』が扱っているのは、ウェブを使って、いかにしてワン-トゥ-ワンの顧客サービスと関係を構築するかという問題なのだ。
この2つの本の一番大きな違いは、主張のあるなしである。『Release 2.0』は、ユーザの権利を確固として唱導し、個人が自らの運命の主導権を握る未来を描いている。大企業や政府機関の役割はその分、縮小する。『Net.Gain』は、ウェブの解放的可能性を企業のサービスに活用しようとする。そして、企業が自らの小さな閉じた世界を構築して、そこに囲い込んだ顧客を支配するにはどうすればいいかを論じている。HagelとArmstrongのために言っておくと、彼らも、企業のブランド付きのメディアは、ユーザに真の価値をもたらすことを基本に置くべきだと強調している。他のサイトへの良質なリンクを設けることでこうした価値を高めることができ、無味乾燥で焦点のはっきりしないマスメディアサイトより、専門性の高いサイトがたくさんある方がいいとも言っている。しかしながら、大体において『Net.Gain』が望むところは、数少ない企業サイトにユーザをしばり付けることであり、ウェブの豊かさをオープンに活用するのではなく提携先サイトを主体にリンクすることなのである。
『Net.Gain』は、ウェブサイトの価値をより高めるために、この先数年で採用可能なステップを明確に描き出している。一方、『Release 2.0』は10年後のネット-ワーク経済の姿を描き出しながら、その帰結としてのウェブデザインについては、まったく触れていない。Dysonが個人ユーザに力を与えることを狙っているのに対して、HagelとArmstrongは、ユーザを手なずけて、企業クライアントが主導権を持つサイトにしばり付けようにする。このように、2つの本は一見したところかなり対立するものに見える。だが、私の結論はそうではない。『Release 2.0』と『Net.Gain』はお互いに補完しあうものであり、ウェブの特徴についての基本的疑問点に関してはかなり共通している。
どちらの本も、ウェブをユーザ主体の環境であると見ているし、そこでのビジネスの価値は個々のユーザがやろうとしていることをサポートできるかどうかで決まると考えている。ユーザによって求めるものが違うということを認識している。ウェブの主な利点は、ターゲットを絞ったメッセージ発信と、個別の顧客関係を築ける点にあり、この結果、数多くの専門サイトが集まった多様性ある環境が生まれるということを、両者とも認めている。幸い私の見解とも一致するから、両方ともお薦めできる本だ。それぞれの本から得るものは違っているだろうし、著者それぞれの哲学の違いから、いろいろな問題に対して異なった見解を抱くことだろう。だが、それは、ウェブ戦略についての思考を発展させる上で、間違いなく役立つものだ。未来は実際、本当に違ったものになるだろう。適応か、死か。それが問題だ。
1997年11月15日