ユーザビリティと目標達成

ISO13407のユーザビリティの定義では、有効さ(effectiveness)という概念が、ユーザが、特定の目標を達成する上での正確さと完全さと定義されており、効率(efficiency)という概念が、ユーザが、目標を達成する際に正確さと完全さに費やした資源と定義されているように、いずれも目標を達成できることがユーザビリティの基準として用いられている。ISO13407はコンピュータを利用した対話型システムのユーザビリティに関する規格であるが、その考え方はあらゆる人工物に対して拡張して考えることができるだろう。

その際に問題となるのが目標達成という基準である。本来、ユーザビリティという概念は、人工物とその利用者との関係の最適化に関わるものであり、その関係の是非は問われない。したがって、たとえば戦いという利用状況においては、敵を効果的、効率的に殺戮し、殲滅できるものが高いユーザビリティをもった兵器ということになる。その意味では、誰を敵と認識するかという判断はユーザに任されており、敵国の人間であれば一般大衆をも含めてすべて敵であるという認識にもとづけば、あるいは敵国政府に対する効果的な圧力をかけるという目的からすれば、核兵器はユーザビリティの高い兵器であるということになってしまう。テロのための爆破機材も、その殺傷力が高ければ高いほどユーザビリティが高いということになってしまう。また反社会的行為として非難されることではあるが、スカートの中を盗み撮りしようという輩にとっては、小型で操作性の高いカメラがユーザビリティの高いもの、ということになる。

たしかに世の中には多様な価値観があり、一概にどの価値観が優れており、どの価値観が誤っている、という判断は難しい。ナチズムの時代のドイツのように、あるいは黒人差別が日常化していた当時のアメリカのように、また朝鮮人差別がはびこっていた当時の日本のように、社会全体が特定の価値観の方向に偏ってしまっている時には、世の中全体が許容する価値観を基準にすればそれで済む、というわけにも行かない。人道性についても同様で、残虐さに対する不快感が社会に受け入れられるようになったのは、どこの国でも比較的最近のことであるといっていいだろう。このような価値基準の変化を理解しないと、たとえばグリム童話を理解することも難しくなってしまうだろう。性や麻薬に対する価値基準も時代によって変化しているし、また現在でも国によって相当の開きがある。

対象を労働環境に限定し、そこで利用される機器やシステムに限定してユーザビリティを考えている限り、そんなに面倒なことはない、いや無かったというべきだろう。すくなくともテーラー主義が尊重されてきた時代においては、オフィスでは労働生産性の向上が目標であり価値基準であった。したがって、労働者にエラーを起こさせず、できるだけ短時間で成果をだすように機能する機器やシステムがユーザビリティの高いものだったのである。しかし、個人の生き方が重視されるようになってきた最近では状況が変化してきた。単に組織の歯車として効果的、効率的に作業をすることは、それが局所的な満足感をもたらすものであったとしても、望ましいこととは考えられないようになってきた。労働環境における価値基準が変化してきたのである。

このように、ユーザビリティの基準を目標達成ということにとどめて考えている限り、それは時代的、地理的、組織的な文化が備えている価値基準によって変化する相対的なものになってしまう。ある人にはユーザビリティが高いものでも、他の人にはユーザビリティが低いということになる。もちろん、一般的な場面でも、利用状況によって同一の機器やシステムのユーザビリティ水準が変化することは知られていた。ISO13407が利用状況の理解を重視しているのはそのためである。

こうした点を考えると、ユーザビリティという概念を、こうした価値の相対主義の中に置き去りにしてしまうことが本当に致し方ないことなのだろうか、という疑問が生まれてくる。それとも価値判断に対してはやむを得ずに判断保留の立場をとらざるを得ないのだろうか、とも考えられる。

しかし、そうはいっても、現在の我々が暮らしている社会の価値基準が未来永劫最適なものであるという保証はどこにもない。いつか何らかのきっかけによって、その基準が変化し、人々が過去の価値観を愚かしいものと判断するようになる可能性は、何時どこの社会にも存在しているだろう。人類全体が共有できる何らかの絶対的で普遍的な価値基準を想定することの方がむしろ危険なことかもしれないのだ。それは、ユーザビリティの上位概念として意味性(meaningfulness)という概念を導入したとしても同じことだ。何が意味のある生き方なのかは、一元的に規定することはできないだろう。

このようなわけで、私はユーザビリティという概念は、その上位概念としての意味性という概念を含めて、相対的な価値基準にもとづいて判断されるもの、と位置づけざるを得ないだろうと考えている。ある時、ある場所にいる人が、自分にとって意味のある生活を送ることができると考えられるような人工物を提供すること、これがユーザビリティなのだろう、と考えている。

ただ、この考え方は、たとえば犯罪者と認定されるような人々の価値観をどのように扱うべきか、という点に対して明確な解を出していない。元々、多様な価値観を持っているすべての人が自分の目標を達成できるような共存的社会というのはあり得ないからだ。結局、そこにあるのは、価値観と価値観の対立の構図であり、その戦いの中で自分なりの満足できる状態を作るべく努力をしていくこと、これが基本なのだろうと思っている。ユーザビリティという概念は、そうした戦う人々が自分の価値観に即して判断することなのだろうと考えている。

公開: 2002年8月12日
著者: 黒須教授