ユーザビリティにおける文理融合

文理融合という言葉が最近はやっている。曰く、文理融合型キャンパス、文理融合型新学部、文理融合型学際的共同研究などなど。環境問題や電子図書館、ユビキタスコンピューティングなど、最近話題になっている分野では、こうした複合型のアプローチ、境界領域的、学際的なアプローチが提唱されており、ジェネラリストの必要性が説かれている。たしかに、学問が細分化されてきてしまっている現状はあるし、本来複数の学問分野が協力して検討すべきことは多いはずなので、それはそれでもっともなことではある。

ちなみに、東京大学では、情報学環・学際情報学府という大学院が設立され、コンピュータ科学、ロボット工学、グラフィックアート、コミュニケーション工学、情報法学、情報経済学、記号論、社会心理学、メディア論、認知科学、進化生物学、情報アート論、情報リテラシー論、生態心理学、歴史情報学、情報言語学、都市論、医療情報学、複雑系などを扱うことになっている。たしかにこれらは境界領域であり、学際的アプローチの典型といえるだろう。

ただ、ここで引っかかってしまうのは文と理という言い方である。境界領域とか学際的という表現には違和感はないのだが、文理融合と表現には引っかかるものがある。文理融合という言葉は、辞書的には文科と理科の融合ということになる。もちろん、文学と理学という意味ではない。ここで、文科とは、人文科学・社会科学に関する分野、また、大学などでもっぱらその分野を修める学部・学科であり、理科とは、自然科学の学問、また、大学などでそれを専攻する部門。理学部・工学部・医学部・農学部などの総称。また特に、理学部、となる(広辞苑)。筑波大学の昔の名称だった東京文理大や、東京大学における文?T、文?U、文?V、理?T、理?U、理?Vという科類の名称は、そのような意味で使われているのだろう。

しかし、本来なら、文科と理科を融合させることだけに意味があるのではなく、必要に応じて複数の学問分野が協力することに意味があるというべきだろう。それは文科の中の複数の学問分野でもいいし、理科の中の複数の学問分野でもいいはずである。文科と理科は距離があるから、いままでにない効果が期待できると考えたり、文と理という言い方をすれば毛色の違う全ての学問分野を包括したことになる、と考えるのは大雑把に過ぎないだろうか。その意味で、私は、文理融合という表現より、境界領域とか学際的アプローチという言い方を使うことにしたい。

ここで本題にもどって、ユーザビリティにおける学際的アプローチについて考えてみたい。まもなく出版されるユーザビリティテスティングという本には31名のユーザビリティ関係者に執筆をしていただいたが、その出身を見ると、学部でいうと、文学部、工学部、社会学部、総合政策学部、生活科学部、理学部、図書館情報学部、造形学部、経営工学部、芸術工学部、工芸学部などがあり、実に多様であることがわかる。もともとユーザビリティという学科もないし、ヒューマンインタフェースという学科すら極めて少ない現状では、こうした新しい分野には、あちこちから人が集まってくることが必要になるのだが、その意味で、ユーザビリティの分野では自然に学際的アプローチが行われていると考えることが出来る。

ただし、ここで重要なのは、多様な人々が単に集まっている、ということではない。彼らが例外なく人間を機軸にしたスタンスを取っている人々だ、ということが重要だ。ユーザビリティは人間にとって人工物がどうあるべきかを考える領域であり、人間を中心に据えたスタンスを取ることは必然である。しかし、また同時に、人間を中心に、という括り方をしてしまうと、それなら文学も哲学も、という話になる。その意味では、出身母体と活動分野を区別する必要があるだろう。ユーザビリティについては、出身母体はある意味でどうでもいい。しかし、活動分野としては、人間を機軸にして人工物の設計に取り組む分野であり、その点で文学や哲学とは区別される。こうした複合的活動分野が、さらに工学やデザインというものづくりを実際に行う活動分野と連携する、という学際的アプローチを取ることがすぐれたユーザビリティを実現するために必要だ、ということになる。これを複複合的アプローチといってもいいが、それは言葉の遊びになる。ちょっと乱暴な言い方かもしれないが、要は、必要に応じて複合的な取り組みがなされればそれでいいし、それを実践する人材の出身母体はどうでもいい、ということだ。文理融合という言葉を使い、文系の人、理系の人、などという言い方をするから、話の本筋が見えなくなるだけのことだ。私はそう思っている。

公開:2003年4月7日
著者:黒須教授

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