ユーザの感情

  • 黒須教授
  • 2004年10月23日

ユーザビリティ活動を行っているときのユーザはほとんどの場合、もともとは平静な状態である。特にユーザビリティテストの状況では、実験者との信頼関係を構築した後、穏やかな雰囲気の中でテストが開始される。

しかし実際のユーザの生活状況や業務の状況ではどうだろう。急いで書類を作成しなければいけなくて焦っていたり、とても重要なことに気をとられながら仕事をしていたり、電車に乗り遅れてはいけないと思いながら時刻表ソフトを検索していたりする。自動車を運転しているような時はその典型だ。自動車の運転をすると人が変わるとは良くいわれることだが、普段は温厚な人であっても渋滞にいらついたり、後ろからせっついてくる車に不愉快な思いをしたりすることは多いだろう。カーナビなどの車載機器は、こうした状況の中で的確にかつ効率的に操作できなければならないのだ。

もちろん、機器を使っているうちに感情的になることはある。機器が思うように操作できず、イライラしたり、反対に落ち込んでしまったりするのだ。しかし、これは事前の感情状態ではない。機器との相互作用の中で生まれてきた事後の感情状態だ。そして、こうした感情状態については、従来のユーザビリティテストの状況でもそれが生起することはあるし、そのような状態におけるユーザの行動を確認することはできる。

問題は、ユーザの事前の感情状態だ。その変数を、常に平静で穏やかな状況に設定して評価を行うだけでいいのだろうか。平静な時にはきちんと操作ができても感情的に切迫した状況では操作ができなくなったりエラーが頻発するということは大いに想像できるだろう。いいかえれば、ユーザビリティテストにおいて、ユーザの感情状態を操作して、「それでも」ちゃんと操作できるようなインタフェースにしておく、ということが必要なように思われる。

車載情報機器のテストの場合には、こうした状態に近い条件でテストを行うことがある。トラッキング、つまり動き回るターゲットに対してハンドルを操作してそれを追尾する、という状況の中でカーナビ操作をさせる、というような状況設定がそれだ。しかし、これは操作的にタスクの困難度を上げることにはなるが、必ずしも感情的な状態をコントロールしていることにはならない。タスクが困難になったからといってすべてのユーザがパニックに陥るわけではないからだ。

こうしたことを考えると、ユーザビリティテストにおいて参加したユーザの感情状態をコントロールしながらテストを行うことが必要なようにも思われる。それを実現するためには、たとえば10秒以内にタスクを完了できなければ謝金を差し上げません、というような形で「焦り」を導入するようなことが可能だろう。あるいは、一度見本と同じように文書を作成するように求めておいて、それに対して「これじゃあモデルと全然違いますね。これでは駄目です」というようにネガティブな評価を与え、参加者に否定的な感情を抱かせ急いで修正させるということもできるだろう。

このような形でテストの参加者の感情状態を人為的に操作することは不可能ではない。ただ、注意しなければならないのは参加者の人権に対する配慮だ。こうした侵襲度の高いテスト状況を設定することが参加者にとって不快なものであり、自分の能力を否定されたような印象を与えるようであってはいけない。

その意味で、唯一可能なやり方としては、あらかじめ不愉快になることがあるかもしれないが、それでもテストに参加してくれるか、という形できちんとした予告をし、それに対する同意をとってからテストを行い、テスト終了後にはテストの目的を説明し、とても参考になる情報が得られたといって賞賛を与え、感情状態のクールダウンを時間をかけて行う。少なくともその程度の配慮をしなければいけないだろう。あらかじめテスト内容についてある程度の予測を与えてしまうことにはなるが、その点は致し方ないだろう。

なお、ユーザリサーチにおける自然観察では、「自然」である必要性から、このような状況を実験的に導入することは避けるべきだと思われる。

ともかく、感情的に高ぶったり切迫した状態での機器やシステムのユーザビリティというのは、現実場面での利用状況を考えると考慮すべき重大な側面であると思う。