オリンピックとユニバーサルデザイン

以前から気になっていたスポーツ競技の男女別の問題をネット検索してみた。すると、総経理さんという方の大連雑学事典というサイトに「オリンピックにおける男女平等」という、きわめて僕と似た問題意識のコラムがあった。今回は、オリンピックという人工物の構築に関連して、男女の問題に限らず、さまざまな特性に関する「区別」について考えてみたい。

総経理さんが調べたところでは、男女が一緒に競技する種目というのはセーリングくらいであり、その他のほとんどすべての競技では男女はそれぞれ別個に競技を行っているらしい。では、そもそもなぜ男女を区別するのだろう。たしかに体格や筋力では男性の方が平均的にみれば女性を上回っている。掌の大きさだって違う。しかしそれは平均値の話である。

オリンピックというのは、各国のトップが集まるわけで、人間の特性が正規分布をするとしたら、その端っこの端の方にいる特異な人たちだけが集まる大会である。もうひとつ注意すべきなのは、スポーツというのは体格や筋力だけで勝負がつくものばかりではない。持久力やバランス感覚、集中力など、多様な能力を駆使しなければならない。その意味では、男女が体格や筋力で異なる平均値を持っているからといって、男女別に競技を実施するのが適当かどうか、改めて考えてみる必要がありそうだ。特異な能力をもった女性が出てくることは当然予想されるのだ。さらに女性の方が優位な特性だってあるかもしれないし、性別に関係ない特性もいろいろとあるだろうからだ。

そもそもなぜ区別をするのかを考えてみたい。本当の強者を称えることが目的であれば、体重も何も関係なく、ともかく勝ち残った者が偉いという、ある意味でとても乱暴なロジックで競技という人工物を設計するというスタンスがありうる。そもそも「弱者」に対してハンディキャップを与えたり、そうした人々だけを集めて競技をするというのは、ゲームとして楽しむための工夫ではなかったのか。ゴルフにおけるハンディなどはその典型だと思う。強者と弱者を混ぜて競技をすれば強者が勝ってしまうのは当然といえる。弱者でも弱者なりに参加の楽しみを、競技の楽しみを、そして勝利の喜びを味わえるようにするというのがハンディや男女別競技という工夫の根底にあったのではないだろうか。そして、そのようにして区別を行うことは、多様な特性を持った人々が、それぞれの特性に適合した形で生活における満足を得られるようにする、というユニバーサルデザインの考え方に通じるものだといえるだろう。

男女だけではない。レスリングや柔道、ボクシングなどで体重別に試合を行っているのだって似たような発想ではないだろうか。ボクシングの場合、フライ級であればチャンピオンであったとしても、ヘビー級の並のボクサーと試合をしたら吹っ飛ばされてしまうかもしれない。

性別と体重を考慮しているなら、年齢も考慮していいのではないか。市中の水泳教室ではシニアクラスの成績表が貼ってあったりする。ちゃんと年齢を考慮しているのだ。子供を別扱いするのは少年野球や少年サッカーなどに見られる(ただし、少年であって少年少女ではない!)。なぜオリンピックでは年齢を考慮しないのだろう。いや、年齢だけではない、身長だって座高だって関係している競技があるかもしれない。

しかしそうだとすると、どのような競技でどのような特性に関して「区別」を行うのが適切かを、もう少しバランス良く考える必要があるのではないか。たとえばハンマー投げ。全体に巨漢ばかりが登場するが、おそらく筋力や体重が成果に影響しているのではないだろうか。しかしハンマー投げに体重別の級分けはない。ヒョロッとした体格の人が、それでもハンマー投げって面白そうだし、オリンピックに参加したいなあと思っても、現在は不可能だ。これって不公平ではないだろうか。

もう一つ注目したいのは、性別にしろ体重にしろ、また年齢もそうだが、人間の静的な特性だ。それらが間接的に競技成績に影響するだろうと考えられても、直接的にどの程度の影響力があるかは明らかでない。反対に、動的な特性、たとえば握力や背筋力や肺活量などのように計器による測定をしなければならない特性だと、測定の時に弱めに表現をしてランクを落としておき、そこで有利な展開を図ろうとする輩がでてくる可能性がある。それで動的な特性は使われていないのだろう。だから、関連性があるようでありながら、もしかするとそんなに関連性はないかもしれない特性に関して区別をしておくという、実に曖昧な基準が設定されているのだろう。

このように考えてくると、パラリンピックという大会は、それなりに適切な位置づけだといえるだろう。障害があっても、参加の楽しみや競技の楽しみ、そして勝利の喜びを感じることができるように設計された人工物だからである。

しかし、現在のオリンピック、いやオリンピックに含まれていない競技も含め、性別や体重による区別が適切なものか、もっと区別を減らすべきか、もっと区別を推進すべきか、あるいは他に区別すべき特性はないのかどうか、そんなことを考えてみる必要がありそうだ。やるならきちんとやるべきで、曖昧なままにしておくべきではない。

人間はとかく、これまでに作られてきた伝統や習慣を無反省に維持継続してしまうことがある。その意味では、こうしたことはオリンピック競技だけの問題ではなく、人間社会全体において象徴的なものといえるだろう。注意を怠ってはいけない。

公開:2008年10月6日
著者:黒須教授

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