ユーザビリティ専門研究会の活動停止
2008年12月をもって、ヒューマンインタフェース学会のユーザビリティ専門研究会は、その活動の幕を下ろした。今回は、国内のユーザビリティ活動の活性化に貢献してきた、この研究会の消長についてまとめておくことにする。
この研究会は1995年に筑波大学で第一回の会合を開いた。当時、プロトコル解析をインタフェース研究に応用するなどで活躍されていた海保先生が呼びかけ人で、記憶では30人程の参加者が会場に参集した。この時期はISO13407の制定に関する情報が少しずつ紹介されるようになった時であり、ヒューマンインタフェース研究の関係者の間でユーザビリティに対する関心が高まりつつあった時代でもあった。会場でその後も継続的に活動を行うことが決定され、以来、計測自動制御学会のヒューマンインタフェース部会の談話会の一つとして「ユーザビリティ評価研究談話会」という名称で活動を続けることとなった。それはヒューマンインタフェース部会が計測自動制御学会から独立し、ヒューマンインタフェース学会となってからも同じように継続されてきた。
会の活動としては、幹事企業を決め、持ち回り方式の例会(談話会)を年に2,3回から多い時で4,5回開催していた。その例会では、担当企業におけるユーザビリティ活動の紹介や、ラボ見学などを行っていた。入れ替わりもあったが徐々に参加者が増え、この例会は、今日のユーザビリティ関係者のネットワークを作る上で重要な役割を果たしたといえる。もともとユーザビリティ関係者の数は多くなかっただけに、現在のユニバーサルデザイン関連の組織のように複数に分散してしまっていたら、全体としての活性が損なわれてしまっていたと思われる。その意味で、日本を代表する、そしてほとんど唯一といっていいユーザビリティ関係の組織の礎が築かれた意義は大きかった。
その後、ISO13407(1999年6月制定)に関する情報が関係者に浸透するようになるにつれ、ユーザ調査からユーザビリティの評価までの一貫した反復的設計プロセスが重視されるようになり、ユーザビリティ活動の裾野が拡大した。そこで、評価だけを名称にしているのはおかしいだろうという理由で、2000年に「評価」を取って「ユーザビリティ研究談話会」という名称に変更した。
さらに2000年のヒューマンインタフェース学会の理事会で、ユーザビリティ研究談話会を専門研究会とすることが決議され、それを受けて、2001年4月から、名称を「ユーザビリティ専門研究会」とした。
ユーザビリティ専門研究会として行った活動は、談話会の開催と研究会の開催とに分けられる。談話会は、ユーザビリティ研究談話会時代から継続されてきたものと同じで、研究会メンバーの所属する企業が持ち回りで開催する形をとり、その企業におけるユーザビリティ活動の紹介や事業所見学を行うものだった。2001年度には富士ゼロックスKSP事業所と日本IBM大和事業所で、2002年度にはNEC関西研究所で、2003年度には富士通インフォソフトテクノロジ、ユーアイズノーバス、日産自動車で、2004年度には京都工芸繊維大学で、それぞれ開催された。また研究会は、年度ごとに秋に一回行われた。こちらは一般公募の形をとり、半日もしくは終日開催された。これはヒューマンインタフェース学会としての公式の行事であるため、予稿集が印刷・配布され、発表者にとっては業績のひとつとなるものだった。
しかし、ユーザビリティが純粋な研究課題というよりは実践的な研究課題であることもあって、2005年にユーザビリティ関係者が更に拡大した活動を行うため、NPO法人「人間中心設計推進機構(HCD-Net)」が設立された。その関係で、専門研究会の活動はHCD-Netの活動との重複が目立つようになった。2005年度から談話会が開催されなくなったのはそのためであり、以後は研究会だけを開催する形となった。
HCD-Netには国内のユーザビリティ関係者の大半が参加している関係もあり、またHCD-Netが研究活動にも力を入れるようになったことから、専門研究会としての活動は停滞してしまい、HCD-Netの行事をユーザビリティ専門研究会との共催の形にして登録会員にも紹介するという試みを行ってみたものの、結果的にはHCD-Netに統合する方向が検討され、最終的に活動を停止することになった。
ユーザビリティ関係の活動組織が拡大し、独立するまでに至ったのは、世間におけるユーザビリティへの関心の高まりもさることながら、それまで専門研究会としての基盤構築に力を注いでくれたヒューマンインタフェース学会のおかげでもある。その点で、同学会には深く感謝するとともに、今後も継続的に連携を深めてゆく方針でいる。