HCD-Netの未来に向けて-1/2

HCD-Net(人間中心設計推進機構)から2020年11月24日に「人間中心デザイン基礎知識体系」が公開された。その内容をみると、首をかしげざるを得ない箇所が多かった。そこで、今回は、その基礎知識体系について批判的検討を行うことにしたい。

  • 黒須教授
  • 2021年2月8日

はじめに

2005年5月18日に発足記念フォーラムを行って活動を公式にスタートさせたHCD-Net(人間中心設計推進機構)は、今年度で設立から15年が経過したことになる。当初は、ISO 13407:1999(現在のISO 9241-210:2019)の提唱したユーザビリティ改善のためのHCDという概念を基軸に据えており、ISO 13407はHCD-Netにとってバイブル的存在でもあった。しかし、時代の焦点がユーザビリティからUXへと拡大するにつれて、ISO 13407だけではHCD-Netが行うべき活動領域をカバーしきれない状況となった。ISOの方でもそうした時代の変化を受けて、ISO 13407はISO 9241-210:2010に改定された。

しかし、そこではUXやサービスといった概念の扱いが後付けで不十分であり、ほぼ同時期にIDEOを中心としてデザイン思考という枠組みが提示されるようになったことで、HCD-Netの基軸をどこにおくべきかについて、若干曖昧な状況が続き、現在に至ってきた。

そうしたなか、2020年11月24日に「人間中心デザイン基礎知識体系」が公開された。時代に即応し、内容的にもきちんとした概念的基盤を設定することには大きな意味があり、筆者は大いに期待していたのだが、公開された内容をみると、残念なことに首をかしげざるを得ない箇所が多かった。そこで、今回は、その基礎知識体系について批判的検討を行うことにしたい。もちろん、その意図はHCD-Netに適切な方向に進んでもらいたいという点にあり、HCD-Netの活動を否定するつもりがあってのことではない。

なお、この知識体系は、HCD-Netのサイトのなかの「認定制度」というタブの下にある「HCD認定ニュース」というサブタブのなかに含まれている。直接ダウンロードする場合には、基礎知識体系の本体(レポート)は http://doc.hcdnet.org/hcdbasic_report.pdf から、概要版は http://doc.hcdnet.org/hcdbasic_digest.pdf からダウンロードすることができる。

 以下、気のついた点について節分けをして、主に概要版についてコメントをつけてゆくことにする。

人間中心デザインという表現

この文書では、HCD(Human Centered Design)の訳語として人間中心設計ではなく、「人間中心デザイン」が使われている。このことについて、本体のP.19には

「マインドセット(捉え方や考え方)」を明らかにすることが必要である。それにより従来からの HCD 関係者の専門領域の解釈を拡張することや、そもそものマインドセットを再確認することを促し、各分野や領域で一層の効力を発揮するものとしていくことが求められている。その際、「デザイン経営」の領域でみられたように、HCD 価値を従来からのモノづくりに顕著であった「完成品」に向けた一方通行のプロセスとして狭義に捉えるだけではなく、「発見」と「創造」とを繰り返す往復運動を HCD 価値の核に据えて、新たに「人間中心デザイン」として再定義する

と書かれている(下線、筆者)。

筆者は『UX原論』にも書いたように、「設計」という日本語を追放し、すべてのdesignを「デザイン」と訳すことを提唱しているが、ここで言われている趣旨は筆者の考え方とは異なる。そもそも、従来のHCDは繰り返し設計であり、それが一方通行であるという断定が間違っている。ISO 9241-210のプロセス図に見られるように、HCDにはフィードバックによる「往復活動」が明記されている。したがって、そのような意図から「人間中心デザイン」という表現を使うことは間違いである。しかも、英語にすれば同じになってしまうので、国際的にはどのように説明するつもりだろう。

これがHCD-Net理事会の総意であるとするなら大問題であるが、一部の人達の提案であるとすれば、もっと理事会で真摯に議論すべきことだろう。理事会の総意ではないと考えられる理由のひとつは、組織名が「人間中心設計推進機構」のままであり、「人間中心デザイン推進機構」となっていないことから窺われる。しかし、一部の人たちの提案であったにせよ、こうした文書を組織のサイトに公開してしまうことは不適切である。資格認定者を含めてHCD-Netの関係者に混乱を招くだけだろう。

世代という概念

資料では、プレHCD世代(ユーザビリティ)、第一世代(ISO化)、第二世代(UXデザイン)、第三世代(デザイン思考~サービスデザイン)、第四世代(デザイン経営)、第五世代(領域拡張)という図がP.3に書かれている。

人間中心デザイン基礎知識体系 概要版 P.3

プレHCD世代(ユーザビリティ)というのはISO 9241-11:1998やISO 13407:1999が出る以前、シャッケルやニールセン達が著作を発表していた時代のことだろう。HCDという概念がISO 13407によって提示されていることからすれば、それを「プレ」と呼びたい気持ちは理解できなくもない。

しかし、ISO規格が出るまえに、ユーザビリティに対する関心や活動が高まっていたことを考えると、やはりその時期を第一世代とするのが適切ではないだろうか。(しかも、P.4以降の詳細説明では、プレ世代についての説明が欠落している)。ISO規格の登場をあまりに重視しすぎているように思うし、重視しているにしては、第二世代以降(特に第三世代以降)の各世代がISO規格から離れすぎてしまっており、ISOによるHCDの規格化は一つのできごとにすぎなかったという扱いになっている…実際にはそのとおりであるにしても、そうであればISOを第一世代とするのは持ち上げすぎであろう。

それ以上に問題なのは、ユーザビリティ→ISO化→UXデザインという流れが順番に世代として位置づけられているのはいいとしても、それ以降の「世代」がそれと時期的に重複している点である。

そもそも、この資料の作成者たちは「世代」という概念を誤解している。たとえば、世界大百科事典の定義では「一般には,出生期をほぼ等しくする年齢層,したがってほぼ同じライフサイクルに属す〈同年齢集団cohort〉を指す」とあり、日本大百科全書では「常識的には、一定の年齢帯に属する人々をまとめて同時代者と考える場合にこのことばを使う」とある。これらの辞書的定義にもとづくなら、複数の世代が同一時期に出現することはありえない。したがって第三世代以降については、「世代」という表現を使うことは間違っている。

いや、気持ちはわかる。UX以外にも、時代をあらわすキーワードが多数出てきているのは確かだし、それを全部取り込みたくなったのだろうとは思われる。しかし、それなら、時代のキーワードとして年表に位置づけ、第二世代を(UXデザイン)などとせず、UXも時代のキーワードのひとつに位置づけ、第二世代(ポストISO)とでもすべきだっただろう。

P.3の右側を見てもわかることだが、SDGsからソサエティ5.0、CX、EX、DXなど、さまざまなキーワードがごちゃごちゃに併置されている。そこには因果関係もなければ、包摂関係もない。ただの寄せ集めである。聞くところによると資料作成の準備には半年くらいをかけたというのだが、それでこれなのかと慨嘆してしまう。

人間中心デザインの定義

P.12に人間中心デザインの定義なるものが図示されているが、まあ、これには可もなく不可もない。いいかえれば、一般的な概説図、ということである。もちろんここには問題がいくつかあるが、まずはP.13のコアコンセプトについて指摘したい。

コアコンセプトの図は、下のようなものであるが、まず8のように見えるのは、元は∞(無限大)だったのだそうだ。それをなぜ縦向きにしなければならなかったかは不明である。そして、この図だが、繰り返すことという部分を除けば、イギリスのデザインカウンシルのダブルダイヤモンドモデルと実質的には同じものと思われる。ただ、それがひし形2つではなく、円形2つになっているだけである。繰り返す、という点についても、無限に繰り返すわけではないのだから、縦型にした∞(無限大)という意味づけは適当ではない。

それよりも気になるのが、右側にあるコルビュジェのことである。最初に眼にしたとき、えっ、HCDってコルビュジェと関係あるんだっけ、と驚いてしまった。ご存知のように、コルビュジェはモダニズムの建築家である。そのモデュロールは人体寸法に合わせた調和した寸法の範囲ということで、人間のことを意識していたとしても、そのアンスロポモルフィックな外形寸法のことだけであり、かならずしも全体としての人間生活のことを考えて人工物の利用場面を考慮したものではない。

また「住宅は住むための機械である」と言ったコルビュジェは、機能主義者でもあった。機能主義といえば、「形態は機能にしたがう」という表現が浮かぶ。それは機能中心主義ともいえるものであり、人間中心主義とはある意味で対局に位置するといえる。…それがHCDの起源なんですか、という疑問は当然湧いてくる。

どうも、8の字型のパターンの根拠付けとするために、モデュロールの葉っぱ型を引っ張ってきたらしいが、ちょっと強引でしょう、というのが筆者の印象である。

人間中心デザイン基礎知識体系 概要版 P.13より