ICT機器の受動的利用と能動的利用

スマートフォンやタブレット端末の普及で、パソコン市場は縮小するだろう。しかし、市場回復のために妙な「魅力的」パソコンを開発するのはやめた方がいい。パソコンはパソコンで使いやすさを徹底してゆけば良いのだから。

  • 黒須教授
  • 2013年12月16日

スマートフォンやタブレット端末の市場での伸びが大きいのと対照的に、パソコンの売り上げが低下しつつあるという。パソコンメーカーは対応に苦慮しているようだが、考えてみれば、これは当然の傾向であるといえるだろう。

パソコンと専用ゲーム機

これまでパソコンは実に多様な種類の目的に利用されてきた。デスクトップでは本体もありディスプレイもキーボードもあってデスクを占領してしまうしかさばるというユーザには2Kgから3Kgくらいの重さのノートパソコンが開発され、それでは移動に重すぎるというビジネスユーザには1Kg前後のビジネスノートが開発された。またゲームを楽しみたいというユーザに対しては画面表示を強化したゲーム向けパソコンが開発された。

こうした流れの中で、パソコンから分岐した流れを早くから形成してきたのは専用ゲーム機だった。もともとテレビゲームという領域があったので、その性能をコンピュータ的に強化することは自然な成り行きだったと言え、ジョイスティックや十字キーのような専用インタフェースが発達した。さらにWiiのようにコンピュータの周辺機器にはないような使い方のできるマシンが増えてきた。

スマートフォンとタブレット端末

スマートフォンやタブレット端末も、ゲーム機と同じようにパソコンから分岐した流れの一つであると見るべきだろう。

スマートフォンについては、もともと携帯電話やPHSという流れがあり、その発展形として見ることもできるが、iPhoneに触発され発展してきたスマートフォンは、もはや「電話」というよりは携帯用コンピュータといった機能と性能を備えるようになっている。もともと携帯電話でもiモードのような形での多機能化が試みられていたが、スマートフォンではそれ以上の多機能性が簡単な操作で利用できるということで大規模に普及したわけだ。

iPadを契機として発展してきたタブレット端末は、それに先行する系譜が明確にあったわけではないが、スマートフォンの持っている多機能性の中から通話機能を落としながらもさらに大画面で発展させたもの、と見なすことが出来る。

SNSと電子ブック

それと並行して普及してきたのがSNSや電子ブックというアプリケーションである。

Web 2.0が騒がれた頃は、誰でもブログの作者になれる、という能動性が注目されていたが、最近のSNSで顕著なのは、自分ではあまり書き込みをしないが、他人の書き込みを見て回るという行動パターンである。もちろん書き込む人がいるから読む対象ができるのだが、手元に統計データはないものの、どうも読み手でありながら、時々は自分でも書くという利用者が増え、また読むことだけを楽しんでいる利用者も結構いるように思う。Facebookをやっていた頃、自分の「友人」の人数と、書き込みをしている「友人」の数を比較すると、かなり書き手は限定されていたことがその経験的根拠である。

電子ブックとなると、これはまったく受動的な利用形態である。線形文書を線形に読んでいくという目的、つまり小説やコミックなどを読んでいくには、特に付箋も必要ないし、ページをめくり戻す必要もなく、淡々とページを進めて行けば良い。参考文献を読むような場合には、ラインを引いたり、多数の付箋紙をつけたり、行ったり来たりして読むこともあるし、飛び飛びに読むこともあるので電子ブックはあまり適切なメディアとは思えないが、そうした場合には紙の書籍を利用すれば良い。

ICT機器の受動的利用と能動的利用

このように見てくると、スマートフォンやタブレット端末の利用は、情報を探し、それを受動的に利用する、という形態が基本になっているように思う。地図の閲覧もそうだし、ゲーム利用もメール閲覧もそうである。もちろんそれらの機器にもカメラ機能があり、能動的な行為を行うことができるが、これはパソコンから移ってきたのではなくデジカメから移ってきた機能である。また、能動的な機能としては入力機能も備わっており、それはメール返信やSNSへの簡単な入力を行うには便利である。とはいっても長文の入力や添付ファイルの作成などは能動的な行為であり、タッチでの文字入力には向いていない。ということは、スマートフォンやタブレット端末というのは、基本的に、受動的な情報活動に適しているということが言えるだろう。

反面、長文を作成したり、表計算ソフトにデータを入力したり、図面を作成したり、スキャンしたデータを加工したりといった能動的な行為には、キーボードとマウスを備えたパソコンが適しているといえる。僕自身、スマートフォンやタブレット端末とパソコンとの使い分けは、そのような形で行っている。

いいかえれば、これまでのパソコンは、受動的な目的で利用する人々にとっては大きすぎ、大げさすぎるマシンだったといえるわけだ。受動的な目的で利用する場合には、何でもできるマシンである必要はない。パソコン用の電子ブック閲覧ソフトも存在するが、電車のなかでちょっと本を読むという目的で、わざわざパソコンを広げるような使い方はやはり不自然なものだ。そうした理由からスマートフォンやタブレット端末が普及したのだと考えられる。

これからのパソコンのあり方

とすれば、スマートフォン・タブレット端末とパソコンは、受動的な情報行為と能動的な情報行為という目的の違いでこれからも使われるだろうし、能動的な情報行為をしない人というのも限られた数である筈だ。したがって、スマートフォンやタブレット端末はそれなりに普及し、パソコンをほとんど受動的行為にしか使っていなかった人たちはそこから逃げてしまうだろうけれど、能動的目的に使っている人がいる限り、その市場は消えることはない。

メーカーの立場に立つと、どうしても市場の縮小が気になって仕方ないだろうが、パソコン市場の縮小はある規模のところで収斂する筈だ。その分、スマートフォンやタブレット端末の市場が拡大していると考えれば、単価が安い分だけトータルの売り上げは低減するだろうが、それは自然なこととしてあきらめざるを得ないだろう。ここで考え違いをして、妙な「魅力的」パソコンを開発し、失った市場を回復させようなどと悪あがきをしない方がいいだろう。その開発費用は無駄になるだけだ。パソコンはパソコンで更に使いやすさを徹底してゆけば良いのだから。