基礎知識としての心理学

HCDは人間を相手にしている。だから、その相手について知ることは必須のことであり、心理学を勉強しておく必要がある。勉強する際、心理学の現象や法則が自分のやっている仕事のどういう面に関係してくるのかを頻繁に考えることで、HCDの実践に結びついた生きた心理学の知識となる。

  • 黒須教授
  • 2014年5月19日

心理学や社会学、文化人類学などの社会科学あるいは行動科学が、HCDの基礎として、人間工学と同じように重要であることはいちおう知っているという人が多いと思う。ただ、人間について学ぶという目的での心理学の勉強は、通俗的な心理関連の書籍を読むだけでは全く不十分だし、心理学の概論書を読むだけでも十分とは言えない。

その反対に、HCDをやる以上は、心理学を専攻しておかねばなければならないのかというと、そうではないと思う。自分の研究として心理学を専攻するためには、心理学のディシプリンにしたがって、仮設を構築したり、実験や調査をしたり、データの処理や分析をしたり、結果の考察をしたりする、というプロセスが重要になる。もちろんHCD関連の場面で心理学的な調査や研究をやりたいというのであれば、そうした流れに従うことが必要になるし、そのためには心理学を専攻しておいた方が良い。しかし、ここで主張したいのは、心理学の知識を学び、それを活かしてHCDという現場で実践に活かしていくことであって、心理学を専攻して、心理学的な手続きにしたがって論理構築をすることがなくてもそれは可能なことである。

心理学にはいろいろな領域があり、その多くがHCDの活動に関係しているため、会社でやっているような短時間の研修では全く不十分である。たとえば認知心理学という領域についても、大学でのように15回、とは言わないが、それに近い時間をかける必要がある。そして認知心理学以外の心理学領域についても同等の勉強をするのが良い。HCDは人間を相手にしている。だから、その相手について知ることは必須のことであり、そのためには自学自習でかまわないから、かなりの意気込みをもって、またかなりの時間をかけて、心理学を勉強しておく必要がある。具体的には次のような領域について勉強するのが良いだろう。各領域について、一冊ずつの解説書をテキストとして読む程度の粒度が望ましいといえる。

なお、もう一言いっておくと、心理学を心理学として勉強する、という態度では効果は薄い。心理学の現象や法則が自分のやっている仕事のどういう面に関係してくるのかを頻繁に考えることで、HCDの実践に結びついた生きた心理学の知識となる。その意味では、HCDの場面に接したことがあり、あるいは今まさにそこで仕事をしている社会人は、心理学を心理学としてしか学ぶことのできない大学生に比べて、遙かに有利なポジションにあるといえる。

認知心理学

この必要性については改めて説明するまでもないが、これと紛らわしい領域に感覚心理学や知覚心理学がある。メンタルモデルやメタファなどの話題とともに認知というキーワードがクローズアップされるようになったが、いわゆる認知心理学以外にも、感覚心理学や知覚心理学の知識は重要であり、たとえば順応とか視野、奥行き知覚などの現象に関する知識を得ておくことが望ましい。

学習心理学

記憶心理学は認知心理学という大枠の中で語られるようになったが、記憶によって行動が変化するという学習については認知心理学とは独立に扱われることが多い。学習曲線や条件付けなどの基本的知識は身につけたい。なお、思考心理学については、認知心理学の枠組みで説明されることもあれば、学習心理学と一緒に説明されることもあるが、問題解決や概念形成などの心理などは重要な項目である。

社会心理学

ユーザつまり人間は社会的な存在であり、他者と共存し、また相互に影響を与えあっている。さらに集団としてみたときには、単なる個の集合というだけではない行動パターンを示したりする。認知的不協和や対人認知、リーダーシップなど、重要な概念や考え方がたくさん含まれている。

発達心理学

従来の発達心理学では幼少期から成人に至るプロセスに注目が当てられていたが、最近は高齢者の心理についても研究が進められている。また成人といってもひとくくりには出来ないものであり、加齢にともなうダイナミズムなど、基本的知識として身につけておきたい。

臨床心理学

臨床心理学に近いキーワードとしては、発達心理学や異常心理学、人格心理学などがあるが、HCDの観点からは特に人に接する場合の態度の取り方や性格の個人差などについて基本的な知識を得ておきたい。

心理統計法と心理学的測定法

心理学では統計法を重視するが、その基礎的な知識や概念、手続きとその意味については理解しておきたい。また評定尺度(リッカート法と誤用されることもある)の作り方などは、実践場面でも重要である。多変量解析についての知識も重要で、結果を鵜呑みにしたような扱いをしないために、各手法の意味を理解しておきたい。

その他

その他にも、生理心理学や言語心理学など、多くの心理学の領域があるし、応用領域としては、産業心理学や教育心理学などもあるが、HCDのベースとしては、ここに挙げたものをまずきちんと学習しておけば良いと思われる。

なお、心理学の書籍には良書が比較的多いので、どれを選んでもまず間違いはないと思われる。書店で手にとって自分に分かりやすいかどうかという基準で選択すれば良いだろう。参考までに言えば、サイエンス社のグラフィック心理学シリーズには、認知心理学学習心理学社会心理学性格心理学などがあり、ビジュアルな表現を多用していて分かりやすいと言えるだろう。また、僕の勤務先である放送大学の心理学関連の講座も充実しているので、ぜひ利用していただきたい。心理学研究法、認知心理学、社会心理学、心理統計法、記憶の心理学、人格心理学など多数の講座が用意されている。テレビ番組を見て学ぶだけなら入学しなくても良いし、テキストは書店で購入できる。

また、心理学そのものの説明ではないが、ユーザ調査に使われる各種の技法について説明した「情報機器利用者の調査法」では、心理学の手技法がどのようにユーザ調査で活かされているかを知る意味で実践的かと思われる。併せて参照していただけるといいと思う。