ユーザビリティ再考(2)

ユーザビリティの概念を、人工物品質特性と利用品質特性、それぞれ客観的なものと主観的なものとに分け、現時点で自分に納得できる整理ができたので、ここに報告したい。

  • 黒須教授
  • 2014年11月4日

(「ユーザビリティ再考(1)」からのつづき)

製品品質と利用品質の区別

今回の考え方は、結果的にISO 9241-11とISO 25010とNielsenの定義(すなわちShackelの定義でもある)をひっくるめたものになっている。説明の流れはISO 25010をベースにした方がいいだろう。そもそも、製品品質とそれが使われた時の利用品質を区別している点を適切に思っているからだ。

ISO 25010で一番違和感があったのは、ISO 9241-11と同じ定義(すなわち、有効さと効率と満足感)が利用品質に含まれている点だった。ユーザビリティの定義がユーザビリティではなく利用品質の側に入っているということがどうにも腑に落ちなかった。これについては東先生が、当時の会議でNigel Bevanが強硬に主張したものである、と妥協の産物のようなものであることを明らかにしてくれた。そうなのだ。ISO規格というものは、こうした形で参加者の意見をまとめるようになってゆくが、その結果が常に最適な結果にはならないということも事実なのだ。であれば、そうした点について、自分なりに適切と思うことをまとめていくのも有りだろう。

とすると、有効さと効率と満足感を利用品質に含めておくとしても、それはISO 9241-11においてはユーザビリティではなく、利用品質のことが語られていたのだ、という解釈にもとづくものになる。ちなみにISO 13407を翻訳した頃には、既にISO 9126-1はでていて、quality in useという言い方も知られてはいた。ただ、別途quality of useという言い方もあって、それのどちらがいいのだろう、とか、結局はusabilityと同じなのではないか、といったような意見が飛び交ったにとどまっており、ISO 9126-1に外部品質や内部品質として含められていたusabilityについては、その利用時の品質との区別が明確になっていなかった。さらにISO 9126-1では、効率性が外部品質と内部品質の側にあり、有効性と満足性が利用時の品質の側にあるという混乱も見受けられた。そうしたことがISO 9241-11の下位概念をどう位置づければいいかについて考え方をまとめきれなかった、というのが実情だったといえる。

ISO 9126-1が効率を外部品質と内部品質の側に位置づけていたのは、効率というのは認知しやすさや学習しやすさと同様に、作業完了時間などの指標によって事前に評価し測定しておくことができる、という考え方にもとづくものであったと思う。しかし、有効さが利用者の特性や利用状況によって変化するものであるのと同様に、効率もそうした要因によって変動する可能性があり、その意味では効率も利用品質の側に含めるのがいいように思う。ISO 25010で効率が利用品質の側に位置づけられているのも、それなりに妥当性のある決断だったと思われる。

客観的品質特性

今回の図では、有効さや効率は、利用者特性への適合性や利用状況への適合性と合わせて、生産性の副特性という位置づけにしてある。生産性はISO 9126-1に利用品質の側にあった概念だが、ISO 25010では落とされている。しかし、その指標化は困難である(僕自身、以前、オフィスにおける生産性の指標化を試みて頓挫した経験がある)としても、概念的にはそれらの副特性によって決定されるものであり、利用品質として重要な品質特性であると考えている。危険の回避というのも、利用品質的には重要であるし、品質特性にある安全性に対応した概念であるから落とすわけにはいかないと考えた。こうした考えによって、図の(客観的)利用品質の欄を固めた。

一方、(客観的)製品品質については、Nielsenが書いているように、そこに記憶しやすさを追加すべきと考えた。記憶は情報を覚え込むことであり、学習はそれによって行動が変容することだから、学習しやすさに記憶しやすさを含めてしまうことはできない。さらに新奇性も含めることにした。製品の魅力ということを考えた時、あるいは満足感に寄与する要因を考えた時、新製品というのはRogersのInnovator理論では、特にInnovatorやEarly Adopterにとって重要な品質特性だからである。なお、ユーザビリティ以外について副品質特性を略記してあるが、そこについてはISO 25010を参照していただきたい。

図 人工物品質と利用品質の関連

主観的品質特性

さて、図には客観的品質特性や客観的利用品質と共に、主観的品質特性や主観的利用品質が書かれている。ここにはHazzenzahlの2003年の論文にあった考え方、つまり、pragmatic attributes (編注: 実用的属性)とhedonic attributes (編注: 感性的属性)を分ける、という考え方が反映されている。前回の図でも、それらを区別しておいたが、僕は、pragmatic attributesを客観的品質とし、hedonic attributesを主観的品質とした。つまりhedonic、それを僕は感性的と訳してきたのだが、それは外部的な観測によって測定できる品質特性ではなく、利用者の心のなかに響き、生成される品質特性だからである。

したがってISO 25010のユーザビリティに含まれていた審美性は別に扱う必要があろうと考えた。審美性が高いからといって有効になったり効率的になったりするわけではないし、そもそもそれは主観的品質特性と位置づけるべきものだからだ。僕はここで品質特性を魅力とし、その副特性としては美しさとかわいらしさを位置づけた。

同様に、ISO 25010にも含まれていた満足感は主観的利用品質として位置づけた。満足感は主観的なものだからである。その副特性としては、うれしさ、快適さ、楽しさの他に、危険の回避に関連した安心感、生産性に関連した達成感を含めた。言葉の問題ではあるが、ここにはまだ他の副特性が含められるかもしれない。

さらに、満足感のことを意味性とした。意味のあるものは満足できるだろうし、満足できるものはそれなりの意味があるといえるだろうからである。

それと、製品品質という言い方は人工物品質とした。これはISO 25010が主にソフトウェアを対象としているのに対し、ハードウェアもサービス(ヒューマンウェア)も、そしてシステム全体をも対象とした一般的なモデルにしたかったからである。

こうして全体は人工物品質の側で2ブロック、利用品質の側で2ブロックとなったが、それぞれのブロックの間の関連性も図には描かれている。まず客観的人工物品質は、当然ながら客観的利用品質に影響するが、同時に満足感に影響するという意味で主観的利用品質にも矢印が伸びている。さらに客観的利用品質からも矢印が伸びている。また主観的人工物品質は当然のことだが主観的利用品質に影響をしている。

usability = 可用性

もう一点、ISO 25010について日本語で使用性と訳されている点について記す。usabilityを使用性と訳すと誤解を招きやすい。使用性という日本語は使用した時の品質と解釈できなくもないし、そうなると利用品質という日本語との区別が曖昧になるからだ。そこで、use+abilityというユーザビリティの語源にもとづいて可用性という言葉を充てるのがいいと考えた。あくまでもユーザビリティはability、つまり可能性だからだ。ただ、ISO 13407の翻訳JIS以来使われてきたユーザビリティというカタカナ語は、その意味を取り違えさえしなければ、そのまま使っていいと思う。

これでモデルが完成した次第である。多くの方々に批判を仰ぎながら、多くの人々に使っていただけることを願っている。僕のなかのもやもや感は、少なくとも現時点ではこれで解消した。