リモコン無法地帯
簡単なホームシアターで必要な 6 台のリモコンを見れば、複雑で統一性のないユーザーインタフェースによって引き起こされる問題が明らかになる。
家庭のテレビで映画を見るとき、私はその困難さに苛立ちを感じる。リラックスできる時間のはずが、この単純なタスクを行うために必要な、複数のリモコンを操作するのに毎回手間取ってしまう。
自分の持っているリモコンに対してちょっとしたユーザビリティ・レビューを行うまで、なぜ操作がそんなに難しいのか気付かなかった。ただ、なんとなく腹立たしいという思いだけを持っていた。基本的に家電業界の消費者向け製品の被害者と同じ状況だったのだ。
私のホームシアターは、どちらかといえば控えめなほうだ。それを操作するためには、「たったの」 6 台のリモコン(下の写真を参照)の使い方をマスターすればいいだけだ。私の同僚の中には、高級ホームシアターを持っている人が何人かいる。彼らの悲哀に満ちた話を聞いて、私はアップグレードを試みるのが怖くなった。機器を買い足すのは簡単なことだが、どうやっても避けられそうにないユーザビリティ問題と格闘している暇はない。
世間が公平な判断をしていることがせめてもの救いだ。家電業界はかなり売り上げが落ちている。既存のシステムにもう 1 台の機械を追加しようとする際に起きるであろう混乱を、見込み客が恐れているからだ。もし今、機能しているならば、触らないこと。新しいものを買わないこと。もし買えば、ひどい目にあうのが落ちだ。
圧倒的な複雑さ
私の問題は、目的のリモコンを手に取ろうとする時からはじまる。各リモコンは、それぞれの役割分担がかなり明確に分かれている。1 台のリモコンが、特定の機器 1 台を操作するためのものだということは疑いようがない。しかし、ほとんどのリモコンは、だいたい同じような色と形をしていて、ごちゃごちゃした山の中から目的のものを選ぶのは難しい。暗い部屋の中であれば特にだ。
リモコンの複雑さを最もあらわしているのが、数え切れないほどの選択肢だ。合計すると 239 ものボタンがある。そのうち、私が繰り返し使うのは 33 %だけだ。2/3 のボタンは、私を混乱させて、使うボタンを選びづらくする以外に、何の機能も果たしていない。
複雑さを低減する小さな工夫として、音量アップとダウンのような対となる操作では、 2 つの独立したボタンを設けるのではなく、ロッキングスイッチを使うという方法がある。ロッキングスイッチは 50% のボタン削減が行え、2 つの操作が相互関係にあることをはっきりと示すことができる。当たり前のことだが、スイッチの形状と操作を直感的にマッピングできるように、上下を表すコマンドは縦に、前後を表すコマンドは横にしなくてはいけない。残念ながら私のアンプのリモコンは、これを逆にしてしまい、認識しづらくなっている。
多数のボタンには、意味不明なラベルがつけられている。いくつか挙げると、AUX、lock、fav、r-in-a-circle、Replay zones、DSS Cable、Zero/C/A Skip、ADD/DLT、M/A Skip、SAP/HiFi、FQ+、FQ-、MD/Tape、DSP Mode、ATT、SIG Select、そして FL Dimmer だ。
技術的な知識を持ったユーザーならば、いくつか理解できるものがあるかもしれないが、ここまで不明瞭な選択肢が多いと、ユーザビリティはひどく低下してしまう。実際、10 %の不明瞭なボタンが、そのリモコンとその各ボタンが何を行うためのものかという、簡単なメンタルモデルを形成する障害となり、明確なラベルがつけられた残りの 90 %のボタンまでもが、理解困難になってしまっている。
明確な意味を持つような言葉をラベルに使った場合でも、ユーザビリティ問題が起きることがある。たとえば、Info(情報)、Help(ヘルプ)、Guide(ガイド)、Angle(アングル)、Condition(状態)、Action(アクション)、Direct(指示)、Midnight(真夜中)、そして Mode check(モード確認)だ。
それぞれの言葉を理解するのは簡単だ。しかし、これに対応したボタンは何をするのだろう?例えば、Info(情報)、Help(ヘルプ)、Guide(ガイド)の違いは何なのであろう(この 3 つのボタンは同じリモコンについているのだ)。
ラベルをましなものにしておけば、ユーザビリティがいくぶんか向上するのは確かだ。だがこれは、ユーザーエクスペリエンスは、ユーザーインタフェースのみで決まるものにあらずという、私たちが苦心の末たどりついた教訓の完璧な見本でもある。複雑すぎる構造の上に、よいインタフェースを貼って済む問題ではない。もちろん、わかりやすいラベルやロッキングスイッチやその他のユーザーインタフェース技法を使えば、苛立ちを緩和することはできるだろう。しかし、どんなに工業デザインが優れていたとしても、私の持っているリモコンの組み合わせでは優れたユーザーエクスペリエンスは決して得られない。
優れたユーザビリティを実現するためには、複雑さを低減しなければいけない。ユニバーサル・リモコンは、この問題を確実に、かなりの部分解消してくれるだろう。また、機器同士の協調性を改善するのもよいだろう。ユーザーが異なる機器に対して別個にコマンドを与える必要性はない。機器同士で通信を行えばよいのだ。
改善への大きなステップは、リモコンでできることを減らすことだ。リモコンでホームシアターの全機能を操作可能にする必要はない。どんなに怠け者なカウチ・ポテトであっても、特定の初期設定を行うために、年に 1 度くらいは立ち上がって、その機械の前まで行けるだろう(もっとも、そのような操作はその製品の寿命が来るまでに 1 度行えば十分なはずだが)。機能が少ないということは、ボタンの数が少なくて済み、複雑さが低減し、間違ったボタンを押す可能性も低くなる。また、リモコンに残った便利な機能を、ユーザーが実際に理解できるようになる可能性も高くなるということだ。
統一性のないユーザーインタフェース
私の持っている 6 台のリモコンでは、 最も基本的なコマンドであるオン/オフのボタンが 3 種類の違った位置に置かれている。左上( 3 台)、右上( 2 台)、左上と右上の両方( 1 台)だ。また、これらのリモコンはこのボタンを 強調するために 3 種類の異なるデザインを用いている。
- ボタンを丸か四角で囲む。
- ボタンを目立つ色にする(赤、またはオレンジ)。
- ボタンを凹ませる。
これらのデザインは、いずれも私のリモコンの 1/3 で採用されている。
6 台のリモコンには、それぞれ数字キーがついている。ボタンの数を爆発的に多くしている原因のひとつだ。さらに悪いことに、この基本的なデザイン要素には 4 種類のレイアウトが使われている。
- 標準的な電話のレイアウト。3 台のリモコンがこのデザインを採用している(テレビ、ケーブルテレビのチューナーと DVR )。
- 非標準的な「 100 」ボタン。これはビデオデッキ用リモコンの「 0 」の左側にある。おそらく、ユーザーのキーストロークが少なくても済むようにと、ショートカットを設けたのだろう。しかし、この非標準な入力オプションを使おうと考えて、選択するために必要な思考時間は、標準的な場所にある、 2 つの標準的なボタンを押すために必要なキー操作時間よりもはるかに長い。
- 上の列が非標準的なもの。1 台のリモコンは 1 列あたり4 つの数字を配置(1-2-3-4、5-6-7-8という風に)し、さらに非標準的な「 10 」ボタンを設けている。この特殊な配列は、運動記憶を使って数字入力を手軽に行う可能性を排除している。非標準的な「 10 」ボタンは、前述した「 100 」ボタンと同じ問題を引き起こしているが、複数桁の数字入力について 2 種類の非標準的な方法をユーザーに強要しているので、さらに問題を大きくしていると言える。
- 最後の列が非標準的なもの。DVD のリモコンは最後の列に 0 を入れて、3 つではなく 4 つの数字を配列している(7-8-9-0という具合だ)。
数字ボタンに標準的な電話のレイアウトを使うことは、当たり前のガイドラインだ。残念ながら、50 %のリモコンしかこれに従っていない。
また、色の統一性も図られていない。6 台のリモコンで、ボタンには異なる 5 色が、ラベルには 6 色が、それぞれ何を意味しているのかという決まりごとなしに使われている。
統一と簡略化
多すぎるボタン、多すぎる不必要な機能、24 の意味不明なラベル、そして数字入力のような、もっとも単純な操作でさえも統一されていない。どうりで 6 台のリモコンを一緒に使うと、ひどく使いづらく、リラックスしているはずのユーザーに苛立ちを与えるわけだ。
私の持っているリモコンは、それぞれ独自のユーザビリティの問題を抱え、違反しているユーザリビリティ・ガイドラインも異なっている。しかし、本当のユーザビリティの悲劇の原因は 6 台のリモコンを組み合わせて、それを映画観賞用の単一ユーザーインタフェースとして使っていることにある。
まともなユーザーエクスペリエンスの構築という点で、どのメーカーも、ここでの失敗を棚上げしたくなる気持ちも理解できる。なにしろ、各社とも、システム全体ではなく、自社のデバイスにしか力が及ばないからだ。だが、それは見苦しい言い訳だ。高い金額を払ったユーザーには、ちゃんと機能する機器を手にする権利がある。例えば、ケーブルテレビに申し込む人で、テレビを持っていない人などいるだろうか。また、それ以外にもいくつか機器を持っているのが普通ではないだろうか。
標準的なケーブルを使って 1 台の機器から別の機器にビデオやオーディオ信号を送ることのできないような家電を、ユーザーは絶対に受け入れない。今日、認知的相互運用性は技術的相互運用性と同等に重要視されている。もっと売り上げを伸ばしたいのであれば、家電業界は共同して、統一されたインタラクションデザインを行う必要がある。
ウェブに対する教訓
ウェブデザイナーたちが鼻高々になりすぎてしまう前に、オンライン上でも同じ問題が存在していることを指摘しておこう。
- ユーザーが、1 つのタスクをこなすために、複数のウェブサイトを使わなければいけないことがよくある。今日のウェブは、複数のサイト間のワークフローをサポートしていない。製品の詳細を比較するような簡単なタスクでも、個々のサイトが同じ内容を違う方法で見せているため、必要以上に困難になっている。(同じサイトの中でさえ比較をすることは難しい。よい比較ツールを提供しているサイトはわずかだ。)
- 最も単純で一般的な操作が、異なるサイトでは異なる方法で提供されている。
- 標準的な方法に従わずに、無理に風変わりなユーザーインタフェースを作るサイト・デザイナーがいる。そのようなデザイナーはユーザーに害を与え、ビジネスに犠牲を払わせている。残念なことに、そのようなサイトは全てのユーザーにとって有害でもある。非標準的なデザインは、ユーザーが標準的なデザインのサイトを使う際の自信を失わせる原因になっている。
- サイト・デザイナーの中には、醜い技術の部分を露呈させて、ユーザーの夢を壊している者がいる。
- 多くのサイトは、ユーザーがタスクを行うのに必要とする以上の機能を提供している。
今度リビングルームでリモコンに苛立ちを感じたときには、自分のサイトやイントラネットで同じようなユーザビリティ問題をユーザーに押し付けていないか考えてみよう。