デジタルデバイド:3つのステージ

経済的要因による格差は、たいした問題ではないが、ユーザビリティと活用性の格差は、膨大な数の人たちをインターネットの潜在的利益から引き離している。

「デジタルデバイド」とは、特定の人たちが新しい経済環境から得られる利点が他よりも多く、有利だという状況のことだ。ほとんどの評論家は、この状況を純粋に経済的な視点でしかみない。しかし、別の 2 つの格差のほうが、将来的には大きな問題になるだろう。

第 1 ステージ:経済的要因による格差

これは、コンピュータを買うことができない人がいるという、デジタルデバイドの原因の中でも、最も単純な格差だ。政治家たちはいつもこの問題を取り上げるが、少なくとも先進国でこの格差は、時とともになくなりつつある。一方、著しく貧しい発展途上国の一般市民にコンピュータに手が届くようになるまでには、少なくともあと 20 年はかかりそうだということを認識しておくべきだろう。

北米、ヨーロッパ、オーストラリア、そしてアジアの先進国といった地域では、コンピュータの価格は、もはや問題ではなくなった。Dell の一番安いコンピュータは 379 ドル(モニタ付き)で、私が博士論文を書くために使っていた Macintosh Plus よりも約 500 倍パワフルだ。379 ドル出すことも難しい人たちがいることは確かだが、あと 5 年もすれば現在価格の 1/4 まで値段は下がる。5 年待てば、この社会的な問題は消えるということだ。

第 2 ステージ:ユーザビリティの格差

経済的要因による格差よりも深刻なのが、テクノロジーが未だ複雑すぎて、タダでコンピュータを手に入れたとしても、多くの人がそれを使えないということだ。そうでなくても、コンピュータは使えるが、今日提供されているほとんどのサービスは理解するのが難しいため、それを最大限に活用できない人も多い。

全人口の約 40 %のリテラシーは低すぎるとされながらも、低いリテラシー・ユーザ向けの執筆ガイドラインに沿って作られるウェブサイトは少ない。貧困層をターゲットにした政府機関のサイトでさえ、修士号を持っているほどの教育を受けていないと、理解できない。イギリス政府は、direct.gov.uk を読みやすくする努力をしているが、それでもなおスラスラと読めるためには、最低でも高校卒業レベルの学力が必要だ。

低いリテラシーは、ウェブで最大のアクセシビリティ問題だが、
誰もこの大きなユーザ層のことを気にしていないようにみえる。

高齢者は、アクセシビリティの障碍にぶつかる 2 番目に大きい層だが、こちらでもウェブサイトを高齢者たちが使いやすくする方法にはあまり関心が集まらない。このユーザ層をターゲットユーザにしても、コストを回収できないという言い訳は通用しない。なぜなら最近の高齢者たちは、裕福だからだ。高齢者がインターネット利用者数の中で一番伸びている層であっても、企業たちは、未だ若年層に気を取られ、裕福でリピーターになりやすい年輩たちをないがしろにし続けている。彼らを相手に商売をしようと思う人がいたら、どれだけ儲かるだろう。

経済的要因による格差が急速に縮まっているのに対し、ユーザビリティの格差ではあまり進歩がみられない。ハイエンド・ユーザの間では、ユーザビリティは改善されている。この層にとってウェブサイトは、毎年使いやすくなり続け、サイト運営者には膨大な利益をもたらしている。現在は以前よりもeコマースのユーザ体験ガイドラインに従う企業が多いため、オンラインで商売をしている企業の一般的な顧客転換率は、バブル期の倍の 2 %くらいだ。ハイエンド・ユーザにとってこれは朗報だが、40 %を占めるスキルの低いユーザたちからみたら、ユーザビリティはあまり改善されていない。そういったユーザたちを助ける方法は既に判っているが、単に行われていないのだ。

第 3 ステージ:活用性の格差

ユーザビリティの格差を縮めるための方法は判っている。そして私は、いずれその改善がなされることに期待している。しかし活用性の格差は、厄介だ。コンピュータやインターネットが極めて簡単に利用できるものになったとしても、全員が全員そのようなテクノロジーが提供するものを最大限に活かそうとするわけではない。

参加の不均一性は、インターネットの成長過程で不変的にみられてきた、活用性の格差を示す 1 つの現象だ。オンラインのソーシャル・ネットワークやコミュニティでは、ユーザの90%は読むだけで参加せず、9%は散発的に参加し、ほとんどの活動は残る1%のユーザによるものなのだ。

ウェブ・ユーザビリティの基本ガイドラインのセミナーのために、人々がどのようにして検索エンジンを使うかをリサーチしたところ、ウェブを本当に使いこなすためにどうやって検索を使うかを知らないユーザたちが多いことが判った。人々は高度な検索機能を理解せず、クエリーの再構築を行うことは滅多にない。そして多くの人は何の疑問も持たずに最初の検索結果を選択する。また多くのユーザは、検索エンジンがどのようにして順位付けを行っているか理解せず、「スポンサーリンク」という表現が広告を示していることを知らない人も中にはいる。(検索エンジン上の広告に関するユーザの知識について詳しくは Consumer Report の行った調査を参照。)

問題を自分で解決するためのイニシアチブやスキルがないため、他人の判断に身を任せてしまうユーザもいる。たとえば自分に合ったホームページを設定するのではなく、コンピュータのメーカーやプロバイダが設定したデフォルトのままのものを受け入れてしまう人がいる。これもまた、検索エンジンがコンピュータメーカーに大金を払って、出荷されるコンピュータのデフォルトホームページに設定してもらっているようなことからも分かる通り、時にユーザの注意は、屠殺場に送られる羊のように、金で売り払われることが可能だということを示している。

似たようなことだが、ユーザの中には「タダ」で使える広告入りのウェブ・アプリケーションしか使わないようにしている人たちがいる。そのようなユーザは、もっとよい(適切で、パワフルで、融通の利く)アプリケーションを、広告をみないように努めるのに浪費してしまう時間の価値を遙かに下回る費用で使えることを知らない。

改善の見込み

インターネットは、低価格商品や取引先を探したり、資産や投資を管理したりするには、便利なものになり得る。しかし同時にそれは、人々を不平等に扱い、格差を広げてしまう環境にも簡単になってしまう。インターネット上のエリートたちは、彼らが喜び楽しんでいる成長から、もっとスキルのない人たちがどれほど省かれてしまっているかを自覚していない。

私は、少なくとも先進国において急速になくなりつつある経済的要因による格差については、楽観的だ。ユーザビリティの格差は、解決にそれよりももっと時間を要するが、それでも解決法が判っているだけマシだ。問題はいつになれば、重い腰を上げるかだ。しかしながら活用性の格差については、とても悲観的だ。今後この格差は、開き続けるであろう。

2006 年 11 月 20 日