オンライン出版の方向性
「再利用」という言葉はオンライン出版の辞書から消し去るべきである。The Economistでさえ、そのインターネット版のサーベイではかんばしい成績を上げることができなかった。単に印刷用のページをウェブサイトに焼き直しただけだったからである。これは現在のインターネットの状況を象徴するような話で、知的なはずなのに、なぜか君の仕事は理解してくれないご両親に見せるものとしては、格好の素材になるだろう。また、このウェブ版も完璧な失敗というわけではない。記事中で触れられた様々な企業へのハイパーテキストリンクが設けてあるからだ。とはいえ、やはりあれは明らかに紙の原稿である。テキストが長すぎるし、テキストと画像も一体化されていない。企業のホームページ以外へのハイパーテキストリンクは、ごくわずかしかない。
新聞、雑誌、書籍のオンライン出版は、本当は意味のないコンセプトだ。オンライン出版の世界を構築する過程では、従来の出版の考え方は捨てるべきである。新しいメディアの特性に合致した、新しい情報の構成手法が必要だ。旧来メディアでは、物理的制約から、複数の出版物に情報を切り分けたわけだが、この考え方を継承する必要ない。例えば、あらゆるオンライン出版には、短期的な会議室(ephemeral interest groups)を設けて、ユーザが「編集者へのお便り」を出せるようにしておく。新聞でよく見られる機能だが、オンライン出版の世界なら新聞だけに限定する必要はない。もうひとつ例を挙げよう。レストランの評価記事は、一連の記事と考えるよりは、データベースとして捕らえたほうがよい。ユーザは、表を主体とした検索を使ってこれにアクセスしたり、あるいは各ユーザが好むレストランの情報にもとづいて、それらと似たようなスコアを示すレストランが新しくできたら、個別に知らせてもらえるという風にしておくといいだろう。
今月になって、Microsoft Network(msn)が立ち上げられたが、これでオンライン出版としてのインターネットが死んだとは、私は思わない。第一に、Bill Gatesは、msnは「インターネットの一部になるもので、そう大きく異なったものにするつもりはない」と言っている。つまり、インターネットキラーという位置づけにはなっていないのだ。第二に、たとえmsnがインターネットの息の根を止めたいと思っても、それは無理な話だ。
msnには、インターネットにはない利点が3つある。
- 第4世代のオンラインサービスであるmsnは、初めからユーザインターフェイスの専門家によってデザインされている。反対に、インターネットは、ユーザインターフェイスの悪さでは定評がある。デザインしたのが、大学の研究生たちだったからだ。
- 独占的なサービスであるmsnには、ユーザ認証が備わっていて、(最初のサービスへのログインを除けば)ユーザには一切の負担をかけることなく、情報提供者がこれを利用できるようになっている。
- 商業オンラインサービスであるmsnには、少額の取引に関する決済の仕組みが組み込まれている。著作権のあるファイルを引き出すごとに、毎月の請求書に、例えば5セント上乗せするなどということは何の問題もなくできる。
インターネットを付加価値オンライン出版のもっとも有力なメディアにするには、これら3つの問題を解決しなくてはならないが、実際、この方向への動きは急速である。インターネットにも、よりよいユーザインターフェイスが生まれつつある(Sunのウェブサイトの再デザインは、ユーザビリティ調査にもとづいたものであり、ユーザインターフェイスの専門家をスタッフに加えていた)。だたし、中には実装時の副産物でしかないデザインも相変わらず存在する。
現在のところ、ユーザの認証は登録によって行っているウェブサイトが多い。この方式では、ユーザは自分のユーザIDとパスワードを選んで、サイトにアクセスするたびに、毎回これを入力しなくてはならない。ユーザ登録はいずれ死に絶えるべきものだ。人間工学の経験などほとんどなくても、ユーザIDとパスワードが50個やそれ以上に増え続ければ、とうてい覚えきれないだろうということくらい理解できるだろう。しかし、自分のホットリストに50以上のサイトを登録しているユーザはぜんぜん珍しくない。やがて、ユーザはパスワードをどこかに書きとめるようになるだろう(この結果、セキュリティは台なしになる)。やがては、リンクをたどって違うサイトに行くたびにユーザIDとパスワードを探し回らされるわずらわしさに、ユーザは腹を立てるようにもなるはずだ。ユーザのコンピュータが登録情報を自動的にリモートとやり取りする必要が出てくるだろう。この場合、ユーザの設定にしたがって、誰に、どのデモグラフィック情報を開示するかを制御できるようにしておく。
お金を払わない何千もの読者にマウスボタンひとつでコピーが出回るデジタルの世界で、知的財産の創作者に報いるにはどうしたらいいか、という最近の記事で、Esther Dysonは、情報への支払いは人間の時間への支払いに取って代わられるだろう、と指摘した。例えば、本の著者が、印税よりも多くのお金を、講演料やコンサルティング料で稼いでいることは珍しくない。このため、印税の回収システムがないということは、大した問題ではないというのだ。私は、Estherのこの発言に99%まで賛成だ。
情報のコストがほとんどゼロになったとしても、価値の高い情報の著者には、やはりある程度の見返りが与えられるべきだろう(同意できない1%はここである)。少額課金は、この解決となるものだ。ユーザが利用した情報オブジェクトの対価として、わずかな額のお金(例えば5セント)を、情報提供者に支払うのだ。少額取引のオーバーヘッドはごく低く抑える必要がある(5セントを回収するために32セントかけるわけにはいかない)。よって、単純な請求サービスが利用できるなら、これはまさにコンピュータ向きの仕事だ。少額取引のための請求サービスとして信頼に足るものは、インターネットにはまだ出現していない。だが、ごく近いうちに出て来るのではないかと睨んでいる。
これら3つの問題が解決できれば、インターネットは無敵だ。新しい機能のダイナミックかつオープンな開発、クロスプラットフォームのプロトコル、それに巨大な全世界的ユーザ層という基本的なアドバンテージがあるからだ。
1995年8月