過大評価されるパーソナライゼーション
ある読者からの質問。
私たちXX社の内部では、数人の間で議論が白熱しています。ご意見を伺えれば幸いです。ウェブサイトのカスタマイゼーションと、パーソナライゼーションでは、どこかに違いがあるのでしょうか?あなたの見るところ、その違いはどこにあるとお考えでしょう?
これは、この2つの用語をどんな意味合いで使っているかという定義の問題だ。幅広く受け入れられた明確な定義はないと思う。私の意見はこうだ。
- カスタマイゼーション
- は、ユーザが直接コントロールするものだ。ユーザは特定のオプションから意識的に選択する(「ポータル」サイトに掲載された見出しのうちNew York Timesを取るか、あるいはWall St. Journalを取るか。あるいは、モニターしておきたい株式銘柄のティッカーシンボルを入力する、など)
- パーソナライゼーション
- は、コンピュータ主導で行われる。ユーザごとに個別対応のページを提供するのが目的。このための判断材料になるのは、そのユーザが持つニーズをある種モデル化したものだ。
ウェブのパーソナライゼーションはあまりにも過大に評価されているが、ナビゲーションのしやすいウェブサイトをデザインできないことの、おそまつな言い訳として使われることがほとんどだ。ユーザとウェブサイトの間に本当に個別対応のインタラクションを成立させようと思うなら、ユーザにヴァラエティ豊かなオプションを提示し、ユーザ自身がその時興味を感じたものを自分で選択できるようにしておくのが一番だ。情報空間がうまくデザインされていれば、この選択は容易だ。しかも、人工知能ではなく、自然な知性によって理想的な情報を得ることができる。言い換えれば、今、自分が何をやりたいかを正確に知っているのは、世界中で私ひとりしかいない。だからこそ、どの情報を見、どの情報をスキップするか決められるのであり、このおかげで、自分のニーズに完璧にマッチしたものを選び取れるのである。
選択肢に対して自然の知性で対処できるのは、以下の場合に限られる。
- 簡単に理解できるようになっていて、リンクをクリックすると何が出てくるか、他のリンクを選ばないことで失われるものは何かが、ユーザにわかっている場合
- ユーザが望むもの、必要とするものを幅広くカバーしている場合(ないものは、選びようがない!)
ユーザに応じたウェブサイトのパーソナライズをコンピュータにやらせるというのは、コンピュータがユーザのニーズを判断できるという前提に立った考え方だ。これは実行が難しい。同じ人間でも時によってまったく異なった欲望を持つことを考えると、なおさらだ。コンピュータに実力以上のことをやらせようとか、あなたのニーズを推測させようというのは迷惑なことだ。うまくいかなかったら、直すのに無駄な時間を取られることになる。
ナビゲーションしやすいオプションをワンセット用意しておいて、あとはユーザに選んでもらおう。パーソナライゼーション機能を備えたサイトでユーザテストすると、ユーザからはこんな発言が出る。「私を型にはめるのはやめてほしいな。単にオプションを提示するだけでいいよ。どれが自分にぴったりかコンピュータに教えてもらうより、自分で選んだ方がいいからね」 – 確かに。今回と次回では、欲しいと思うものがぜんぜん変わっているかもしれないから。
パーソナライゼーションが役立つ場合も少しはあって、限られたケースだが、以下のように特徴付けられるだろう。
- 機械にもわかるような形で非常に単純に表現でき、さらに
- 比較的変更が少ない
その好例が天気予報だ。天気予報を知りたいと思う時、その95%は、自分が住んでいる地域(それゆえ、不変である)の天気予報だ。だが、他の地域の天気を知りたいと思うことも5%はある。だから、パーソナライゼーションを導入したからといって、他の地域を選択する手段をデザインする仕事がなくなるわけではない。同様に、希望する地域を表現するのは簡単だ。単に都市名か、郵便番号を入力するだけでいい。これで誤解の余地なく希望の地域を定義できるわけだ。(同名の都市が複数ある場合は、このような質問をシステムから返すようにしておけばいい。「あなたの言っているのは、こっちの町ですか、それともあっちの町?」こうすれば、ユニークな都市識別子を内部のデータベースに記録することができる)。
だが、パーソナルライズされた「日刊あなた」新聞を提供するようなウェブサービスのことを考えてみよう。10年後には重要なコンセプトになるかもしれない。だが今はだめだ。マッチング技術の開発がまだ追いついていないため、私がもっとも面白がる記事は何か、コンピュータが問題なく予告できるようにはなっていない。また、私の興味は日々移り変わってもいる。Negroponteはこんな例を使っている。私がアテネに行くということをコンピュータが知ったら、出発の日が近づくにしたがって、ギリシア関係のニュースの優先度を高くしてくれる。万事申し分なし(それに、私は、10年かそこらのうちにこのアイデアは実現するだろうと固く信じている)だが、私の旅行日程は、どのようにウェブサイトに伝わるのだろう?プライバシーの問題もたくさん解決しなくてはいけない。そうでないと、パーソナライゼーションに必要なだけの個人情報を、ユーザが自ら差し出す気にはならないだろう。
よいパーソナライゼーションのためには、システムにユーザのことをたくさん伝えなくてはいけない。プライバシー問題に加えて、このことが活動的ユーザのパラドックスと直接に対立してしまう。これはユーザインターフェイスデザインの領域ではよく知られた現象だ。人は何かについて学習したり、あれこれパラメータを設定したりするよりも、まずは使いたい気持ちの方が強いのだ。ウェブではこの問題はさらに悪化している。ユーザはなおのこと気まぐれで、サイトからサイトへと飛び回っているのだ。ウェブユーザには極端に忍耐力がなく、サイトから役に立つものを今すぐ引き出したいと思っている。複雑なパーソナライズ機能の設定に時間を費やしたいとは思わない。Fireflyが失敗した主な理由のひとつはここにある。
活動的ユーザのパラドックスのせいで、パーソナライゼーションが主体のウェブサイトですら、初めてのユーザを迎えるために、よくできたデフォルトデザインが必要になる。ここでも、パーソナライゼーションはよい基本デザインの代わりにはならないことが証明されている。第二に、パーソナライゼーション機能は、特に設定を簡単にしておかなければならない。複雑なもの、長くて込み入ったものはだめだ。ユーザはとうていつきあってはくれないだろう。
実例: Amazon.comの書籍推薦
Amazon.comにはご自慢のパーソナライゼーション要素がある。顧客ごとに個別に書籍を推薦してくれるのだ。完璧というには程遠いものだが、中にはたいてい関係ある書籍がいくらか含まれている。
書籍の推薦がうまくいくのには2つの理由がある。
- ユーザは何も設定する必要がない。システムは過去に購入した書籍を記録して、ユーザの好みを学習する。たまに、本人は好きでない本でもプレゼント用に買うことがあるので、これも完璧とはいえない。
- 何100万人もの購入客を観察することで、どの書籍が共通しているのかシステムが学習する。私の本を買った人の多くがDon Normanの本も買っているとしたら、過去に私の本を買った人にNormanの新刊を推薦するのはいい考えだ。彼の本を一度も買ったことがない人でもだいじょうぶだろう。
いずれのステップも、ユーザには何の負担もかけないで実現できる。また、本を買ったということは、その本に興味があるということを示す強力な信号だ。ユーザから集められる好みの設定より、よほど信頼性の高いデータである。
この共通性データを利用して、Amazonは、関連する書籍の間をハイパーリンクで結んでいる。このため、ある本のページを見ると、他にも欲しくなりそうな本が3冊ほどリンクとして表示されるわけだ。
基本に帰れ
パーソナライゼーションに莫大なリソースを注ぎ込むくらいなら、ウェブデザイナーは以下のようなことをやった方がいい。
言うまでもなく、これらのステップでは「何か斬新な技術で直そう」というような魔法は通用しない。だが、必ず効果が現れる(それに安上がりでもある)という利点があるのだ。
1998年10月4日