ユニバーサルデザインの理想性と経済性

ユニバーサルデザインという概念とバリアフリーという概念の違いがアピールされるようになり、徐々にユニバーサルデザインという概念の方が用いられるようになってきた。両者の違いは、たとえば、駅の階段に車いす専用のレールと台車をつけることがバリアフリーであるのに対し、車いす「でも」利用できるエレベータを設置することがユニバーサルデザインである、というように表現できる。

概念の定義にはさまざまなものがありうるので、「すべての年齢と能力を持った人々が使用でき、魅力を感じる製品と環境をデザインすること」(モーリー・ストーリー)のように定義することもできるだろうが、前述の例に関してバリアフリーとの対比を強調するなら、障害に対する後付的な対策がバリアフリーであるのに対し、基本設計の段階ですべてのユーザのことを考えることがユニバーサルデザインである、ということになろう。ともかくポイントは「すべての人」という点にあり、それがユニバーサル、つまり「普遍性」ないし「共通性」というポイントにつながっている、といえる。

こうしたデザインは、建築や環境設計、日用品の設計などにおける「典型的」な事例、たとえばエレベータや段差の解消などについては適合的に考えることができる。しかし、それを身の回りにある人工物すべてについて適用していくことは、私には理想主義的すぎて、現実にはきわめて困難であろうと思われる。もちろん、ユニバーサルデザインというのは理念であり、その方向に向かって「出来る限り」努力をしていこう、というのが趣旨であれば、それはそれなりに納得できるが。

たとえば文化差の問題を考えた時、空港のバゲージクレームの案内表示は何語でやるべきなのだろう。アメリカでは、日本人のよく訪れるような国際空港では日本語表示を含めて数カ国語の表示が併記されるようになった。これは日本人にとっては確かにありがたいことである。しかしスワヒリ語はどうなのか、マレー語はどうなのか、というとその表示はない。世界中のすべての言語に対応することがユニバーサルデザインであるならば、すべての言語で表示することが目標となるはずだが、これはスペース的にも困難である。まあ、将来的には、特殊な眼鏡が作られて、それを付ければすべての表示が母語で表示される、というようなことになるかもしれないが。

これはごくごく一例にすぎないが、ユニバーサルデザインの「現実」には、やはり多数優先主義という現実原則が見えてきてしまう。これは経済原則というように考えることもできるが、ともかくマスマーケットを目指して行われるのが現実の経済活動である、という現実の制約は、ユニバーサルデザインの普及にとっては大きな壁であったし、またこれからも困難な制約条件でありつづけるだろう。

これまでの製品やシステムの開発において、障害者や非自国語圏、高齢者などに対する配慮が十分でなかったのは、大多数のいわゆるノーマルな人々を対象にして開発を行うことが「経済的」だったからである。それがユニバーサルデザインによって、共用可能な機器やシステムで行けるのだという方向性が見えてくると、産業界にとっては、ある意味ではマーケットの拡大であり、望ましいことである、とも見えてくる。こうした経済性は、ユニバーサルデザインが企業にとって比較的受け入れられやすい概念であることに通じているだろう。

しかし、現実の対応における状況を見ると、そこには障害に関しても「典型的な障害」、文化についても「代表的な言語や文化」、高齢者という多数の、また今後は更に増加するであろう集団が対象とされており、いわば第二のマスマーケット志向にすぎない、という見方もできる。身体障害といっても車いす利用者ばかりではない。ベッドに寝ている人もいる。ベッドから離れられないというだけで、他の点には大きな問題がないのに、そうした人の外出や移動はきわめて困難である。強いて外出しようとすると、無理矢理、車いすという枠に強制的にはめ込まれてしまうことになる。これでは本当にユニバーサルデザインとはいえない。これも一つの例にすぎないが、マーケットという観点から考えると、現状は、いわゆる圧倒的多数であるノーマルな人々の集団に、それなりの人数と共通性をもったサブグループが追加されているところだ、といえるだろう。

日本において、特に高齢者に対するユニバーサルデザインが考慮されはじめた背景には、当然、高齢化社会という現実がある。そして、その現実は彼らの人数によるものである。このような現状を一つの妥協点として受け入れるのか、それともさらに遙かな目標である理想点をめざすのか。ユニバーサルデザインの専門家でない私にはそれを判断することは困難である。しかし、少なくとも、現在目指されている方向が「理想的ユニバーサルデザイン」ではなく、「現実的ユニバーサルデザイン」の妥協点である、という現実認識を忘れてはならないだろう。

公開:2001年10月8日
著者:黒須教授

分類キーワード