視覚障害に対するユニバーサルユーザビリティ

  • 黒須教授
  • 2002年5月8日

最近は障害者に対する配慮がいろいろな場面で徐々に浸透しはじめてきて、それはそれで結構なことだとは思っている。しかし、本当に役に立っているのかどうか分からないケースもある。その一つが視覚障害者に対する対応である。

たとえばエレベータや駅の券売機や構内に点字のテープや銘板が貼ってある。ああ、やってあるな、とは思う。しかし、それは健常者がそうした点字表示を目で見つけた時の話である。そもそもそのエレベータや券売機がある場所を視覚障害者はどのようにして知るのだろう。また、エレベータに乗ったとして、券売機の前にきたとして、点字テープが貼ってあるかどうかをどうやって知るのだろう。さらに、点字テープがどのあたりに貼ってあるのかをどうやって知るのだろう。このような疑問点が沢山湧いてくる。

普段利用する建物や駅については、視覚障害者は頭の中にイメージマップを構成して、それを元にして方位と距離を計算してそこに設置されている機器にアクセスしているのだ、という話を聞いたことがある。しかし、本当にそうなのだろうか、またそういう視覚障害者サイドの努力に任せるような状態にしておいていいのだろうか。

視覚障害者には先天的なケースと後天的なケースがある。健常者にとっては先天的な視覚障害者の状況や認知のしかたを推し量ることは難しいが、病気や事故が原因で視覚を失う後天的なケースについては、健常者が目をつぶってシミュレーションした場合とほぼ同じことが言えるだろう。だから、目をつぶっていたとしたらとても見つけにくいだろうと健常者が考えるようなケースは、少なくとも後天的な視覚障害者にはそのまま該当すると考えてよいだろう。

そう考えると、仮に普段利用するからだいたい見当が付いているといっても、新しい場所に関しては予備知識がなければ分からない筈だ。視覚障害者が新しい場所にアクセスすることを予想していなかったとしたら、悪意がなかったにせよ、人権を侵す考え方だというべきだろう。

ところでエレベータの点字表示について疑問に思うのは、最近頻繁に見かけるタッチ式スイッチの階床ボタンだ。この場合、手探りで点字表示を探しているだけで、あちこちの階にタッチしてしまうだろう。この意味では、タッチ式のスイッチというのは本質的にユニバーサルユーザビリティに反しているといえる。こうしたデバイスを採用するのは、単なる格好良さを追求した悪しきデザインと言い切ってもいいだろう。

同じ意味で、銀行のATMなどのタッチパネルもそうだ。触覚的手がかりのないつるつるの画面で、視覚情報だけを頼りにして操作を行うタッチパネルというデバイスは視覚障害者にとってきわめて使いにくいものである。ただ、ATMの場合には、複数台設置してあることが多いから、非タッチパネル式のものを併置することで、銀行の側にやる気さえあれば何とか視覚障害者にも対応することは可能だろう。

同様に、既存のエレベータのスイッチを取り替えるのが困難であれば、バリアフリー的な対応で仕方がないから、内部に機械式スイッチを併置することはできなくない筈だ。もちろん、できることならタッチ式スイッチは全廃して、それを機械式スイッチに戻した方が良いのだが。

本稿のスペースの中で視覚障害者に対するユニバーサルユーザビリティの問題を網羅的に述べることはできないが、基本的な考え方として、機器やシステムをデザインする側に、多様な特性を持った人々による多様な利用形態という考え方が欠落していることはやはり大きな問題である。また、これは単に機器やシステムのメーカだけの問題ではなく、それを設置する側、つまりメーカにとっては顧客に相当する銀行や鉄道会社やビル管理会社といった人々も考えなければならない問題である。公共機器の場合には、メーカが製品を受注する一次ユーザと、その製品を利用する二次ユーザが分離していることが多く、メーカはともすると受注元である一次ユーザの意見に左右されてしまいがちである。こうした時、そうした機器を発注する側の一次ユーザに、ユニバーサルユーザビリティに関する見識がないと、結果的に苦労を強いられるのは二次ユーザということになる。

現在、ユニバーサルデザインやユーザビリティデザインに対して積極的な姿勢を示しているのは、残念ながらまだメーカサイドに限られていることが多い。銀行や鉄道会社のような運用サイドの人々にそうした考え方をもっと徹底していかなければならない。